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信孝なんかに『本能寺の変』のとばっちりで殺されていられません~信澄公転生記~   作者: 柳庵


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126話 岩倉城攻防戦 弐の段

信長は岩倉城を包囲する陣に到着すると、佐久間、森、柴田の三人を呼んだ。


「信盛、可成、勝家、儂が不在の間岩倉城を包囲すること、ご苦労。落とすことは叶わなかったようだが、それで良い。城外から兵糧を運び込まれるようなことはなかったであろうな?また、信賢は逃がして居らんだろうな」


「はっ。そのようなことは決してございません。思いのほか敵の兵糧が少ないようで、敵の士気は非常に低い様子。雑兵は逃げておりますが、あまり追ってはおりませぬ」


「で、あるか。兵糧攻めのみで落とすのであれば、雑兵といえども逃がすのは良くないが、たまたま敵方に動員された尾張の民を苦しませるのは、すこし心苦しい。今回は雑兵が逃げたのを見逃したのは特に責めはせぬことといたす。さて、今日まで各々には、馬廻りや清須の直臣たちの指揮権も預けていたが、それは儂のもとに戻す。本日からは各々が城代を務める城に付属する兵のみを率いよ。さて、まずは儂も数日戦況を確認することにすることとする。各々、兵糧攻めの継続を行うように」


「「「はっ」」」


佐久間信盛、森可成、柴田勝家が各々の陣に戻ったあと、信長は小姓衆や馬廻り衆20名ほどを率いて騎馬で岩倉城を一周ぐるりと見て回った。

敵の大将が城の周りを見て回っているにもかかわらず、岩倉城からは特に信長を狙って矢が放たれることもなかった。

無駄に矢を放つ余力もないのか、敵の総大将が少数で物見の様な事をするとは思っていないのか、いずれであるかはわかないのだが。


「佐脇、小姓衆、馬廻り衆から投石が得意なものを選び出せ。佐久間らの陣に投石部隊や投石の得意な者がおらば、これもかき集めよ。堀を超えて投石を行えるかを見る」


「はっ。明日までに選別いたします」


翌日、投石が得意なもの達30名ほどがかき集められた。

信長のもとに集められた投石部隊は、堀を超えて投石を行うように指示を受け、場所を変えながら散発的に攻撃を加えていく。


最初のうちは投石に対して、弓矢による反撃があったが、それほど本格的でない投石攻撃を脅威と感じなくなった為か徐々に反撃は認められなくなっていく。


信長も投石部隊の側でその様子を見守り、堀を超え、城壁を超えて石を投げ込んだものを選別していた。城からの反撃が少なくなったことに対して、信長がニヤリと笑って城の方を眺める様子も見受けられた。


兵糧攻めの継続を指示された佐久間らであったが、主君がチクチクと投石にて攻撃を加えることをいぶかしく思っていた。佐久間信盛は何かあるのかと思い、信長に聞いたが「まぁ見ておけ」と言われるばかりで何故、投石で攻撃を加えるのかは教えてもらえないのであった。


数日、その様なことを繰り返し、15名まで絞り込まれた投石部隊は全員が堀も城壁も超える様な精鋭となっていた。


安定して投石が行えるようになったことが確認された翌日、信長は諸将を集めた。


「本日は、みなに集まってもらったのは、これからの岩倉城攻めについてだ。数日、岩倉城の包囲の状況を確認し、自身の目と投石による牽制を行ってきた。最近は投石を行っても、腹が減って動けないのか、反撃も少なくなってきておる。このまま兵糧攻めでも良いが、時間がかかる。それに城方は弱っている様子であるので、力攻めを一度行うものとする。決行は明日。まずはいつもの投石と思わせるために

まずは投石部隊のみで大手門から攻めかかる。各々は投石の後に攻めかかれるよう投石部隊の周りに控えておくように。良いな。明日、投石の後に力攻めじゃ。明日の夕には岩倉城を落とし、信賢の首を上げる。各々、一層の奮励努力を期待する。以上じゃ」


「「「はっ」」」


兵糧攻めを切り上げて、力攻めを行う。それが主君信長の決定である。

諸将に胸には思うことがあるが、主君が決めたなら全力で攻め落とすまで、と腹をくくった。


諸将が自身の陣に戻った後、信長は岩室長門、長谷川橋介、佐脇良之を呼び出した。


「岩室、明日は投石部隊はそなたが率いよ。長谷川、坊丸が作った焙烙玉は手元にいくつある?」


「坊丸殿から追加の焙烙玉が届いておりますので、最初から持ってきた分と合わせ40個ございます」


「で、あるか。ならば15名で2回投げても10は残るな。最初の大手門での投石部隊による攻撃で焙烙玉を各々二回投げさせよ。投石部隊は投げることに集中させる。長谷川、小姓衆に焙烙玉に火をつけ投石部隊に渡す役を申し付ける。小姓衆15名を選び、その準備をしておけ。佐脇、投石部隊が弓矢で狙われてはかなわん。それに一投目の焙烙玉で投石部隊が傷ついても困る。残りの小姓衆、馬廻り衆とで木盾、竹束を準備しておけ。良いな。」


「「「はっ」」」


小姓衆筆頭格の三名は信長の指示を受け、すぐに実行すべく陣幕を後にする。


そして翌日。

信長自身が選別した遠投能力に優れた投石部隊が先陣を切って岩倉城の大手門の前に展開する。

いつもとの投石部隊と違うのは二つ。投げるものが石ではなく、坊丸たちがつくりあげた焙烙玉であること、いつもより盾や竹束など守りがすこし厚いことであった。


守備方から見れば、いつもの投石部隊である。盾を持ってきたのも大手門の前に出てくるのであれば不思議なことではない。投石部隊が展開中に嫌がらせの様に矢が飛んできたが、盾に防がれる。


そうこうするうちに、焙烙玉と投石部隊の準備が完了。投石部隊は焙烙玉を岩倉城の大手門に向かって投げつけた。


守備方はいつもの投石が飛んできたと思っていたが、実は焙烙玉である。製品管理がそこまで厳密でない、試作品の延長のような初期生産型の焙烙玉である。火縄の長さが微妙に違うため、大手門の直前で爆発するものもあれば、城壁の内側で爆発したものもあった。


15個もの焙烙玉が一斉に投げつけられ、一斉に炸裂したのである。

大手門近くで轟音ともいうべき爆発音と白煙があがる。河原での試作品の炸裂を見て聞いた小姓衆たちは驚いたといっても、すぐに動けたが、それ以外のものはあまりの轟音に度肝抜かれた。


そして、白煙が消えると、大手門はかなりボロボロになっており、大手門近くの城壁もかなり痛んでる。そして、城門の内側から、うめき声が多数聞こえ、硝煙の匂いと血と肉の焼けるにおいも漂ってくる。


「二投目も投げよ!後ろの陣におるものは、二投目の煙が晴れたら突撃じゃ!準備せよ!」

信長の大音声が響き、その声で我に返った投石部隊が二投目を投げ、焙烙玉が再度城門の内側に投げ込まれる。二度目であり、先ほどよりは信長軍に動揺はない。


「かかれ!ものども、かかれ!」

信長の大音声が再び響くと、その声で士気が上がった信長軍は城門になだれ込んだ。

焙烙玉で城兵のほとんどは死傷していたため、反撃らしい反撃はなく、あっというまに城門付近は制圧された。そして、大手門で発生した炸裂音と凄惨な様子をみた城兵たちは、雑兵たちを中心にほとんどは降伏。その様子を受けて、織田信賢も髷を切り落として、降伏してくるのだった。


永禄二年三月上旬、岩倉城は落城した。織田信賢は降伏後、尾張を追放となり、ここに上四郡の守護代を務めた織田伊勢守家は滅んだのであった。

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