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信孝なんかに『本能寺の変』のとばっちりで殺されていられません~信澄公転生記~   作者: 柳庵


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106話 永禄二年 新年の儀・信長の決意

ども、坊丸です。

正月二日に織田家の新年の儀に信長伯父さんの指示にて参加することになりました


連枝衆の席の一番末席ででも出席しろっていうのか、奥向きで奇妙丸様に挨拶&お相手しろって意味だと思ったら、柴田の親父殿の脇に控えて座る羽目に。


織田家の家臣一同の奇異の目で見られるのは、なかなかにしんどい。

針の筵とはまさにこのことだ!と思いながら、新年の儀に参加する羽目になりましたよ。


重臣の方々の席、すなわち信長伯父さんが座る上座に一番近い一列目の列で柴田の親父殿の脇に控えて座っていると、続々と織田家家臣の皆さんがそろってきます。


右手で家臣の席とは違い、壁を背にするようにして座っているのが、連枝衆の方々だと、柴田の親父殿が小声で教えてくれます。


以前に名前だけ聞いた信長伯父さんの大叔父、自分から見たらひいじいちゃんの信定さんの末弟にあたる織田秀敏殿。


信長伯父さんの叔父にあたる織田信実、信次殿。このお二人は信秀爺ちゃんの弟ってことになるので、自分から見たら大叔父ですね。


信長伯父さんの庶兄、一時謀反を企てていたらしい織田信広殿。

信長伯父さんの弟にあたる、織田信包、信治、信興殿。


信長伯父さんのいとこにあたり、織田大和守家攻略で戦功第一だった織田信光殿のご子息、織田信成殿。


信包殿たち信長伯父さんの弟さん3名は、明らかに自分のほうを見て、コソコソ話しています。


信行兄の遺児がなぜゆえにあんなところにすわっているとか、家臣扱いかとか絶対にいい話でないと予想されるので、ちょっと嫌な気分になりますが、ここはアルカイックスマイルを浮かべて、連枝衆の席のほうに深めに礼をしておきましょう。


これぞ、大人の対応。体は子供、心は大人の坊丸君。頭脳も大人…のはず。なんか最近、体の方に引っ張られてる気もするからすこし自信ないけど。


さて、重臣クラスの席の後ろには、織田家を支える実働部隊の部将クラスの方々。

丹羽長秀殿、池田恒興殿、水野帯刀殿、飯尾定宗殿、金森長近殿、蜂屋頼隆殿。


柴田の親父殿の話だと、元は織田の一門だったけど、奥田城ってところの飯尾氏の養子になって、連枝衆から家臣や部将扱いになったのが飯尾定宗殿だそうです。

自分が大きくなったら、きっと、この飯尾定宗殿みたいな立ち位置になるんだろうな。


水野帯刀殿は知多半島の水野家の縁者なんだけど、今は織田家所属の人なんだって。

後の四人は、言わずもがな、信長○野望でも見たことある人たち。


その後ろくらいに、柴田の親父殿の義弟、佐々政次殿もいます。


その隣の武士っていうよりは神主っぽい恰好の人がいたので、気になってみていたら、柴田の親父殿が教えてくれて、千秋季忠殿っていうらしいです。なんとこの人、熱田神宮の大宮司の人。だから神主っぽい装束だったんですね。


宮司だけど、武士って、自分の感覚だと不思議な感じですが、この時代だと普通なんでしょうか?

ていうか、正月三が日、初詣の最盛期に、大宮司不在で良いのか?


あ、部将クラスの末席に猿顔の愛嬌のある方が!きっとあれですね、あの人が木下藤吉郎だったころの豊臣秀吉ですね。


そして、なんか目が合ったと思ったら、にっこり笑って勢いよく頭を下げられました。

うん、あの愛想のよさ、木下藤吉郎で間違いない。きっと多分。


その後ろに、母衣衆や同朋衆、吏僚の方々も控えます。こっちは結構な人数いるのでよくわかりません。きっと、あとで有名になる部将も混じってるはずなんだけど。


でも、母衣衆の方をチラチラ見ていたら、あんまりキョロキョロするな、と柴田の親父殿に小声で怒られました。

ま、柴田の親父殿からすれば、教えておくべき人物は教え終わったってことなんでしょうね、多分。


そうこうしているうちに、信長伯父さんが上座に着座されました。

一斉に頭を下げる家臣一同。


「新年の儀、めでたい」と手短にいう信長伯父さん。うん、織田信長らしい、簡潔明瞭さ。簡潔すぎる気もしますが。


それを受けて、重臣筆頭の佐久間盛重殿が答えました。

「新年を言祝ぎ、ご挨拶をさせていただきます。新年、あけましておめでとうございます」といって、頭を下げる佐久間盛重殿。


盛重殿の後に続くように、一斉に家臣一同が「新年あけましておめでとうございます」と言い、頭を下げます。壮観だなぁ。あ、自分もわずかに遅れましたが、おめでとうございますって言いながら頭を下げましたよ。


「一同、新年の挨拶、大儀。昨年は、浮野にて、岩倉の織田信賢率いる軍を打ち破ることができた。

戦場に出たもの、後詰や留守居を務めたもの、我が織田家の属する、皆の力での勝利である。皆のもの、大儀であった。


特に、戦の前の調略や外交などの下準備に奔走した丹羽長秀、木下藤吉郎の両名、戦場で奮戦した佐久間大学、森可成の両名は見事であった。丹羽長秀は戦場でも活躍しあっぱれであった。


この戦で、岩倉勢の力は大きく後退した。なれど、まだ、奴らは健在である。ゆえに、今年早々に、岩倉城を攻め落とす。岩倉を落とせば、尾張の大部分は我が織田弾正忠家のものとなる。


そして、岩倉城を落とした後は、我らを裏切り、鳴海や大高に今川勢を引き入れた怨敵、山口乗継を誅殺する。

この信長、必ずや、尾張の地より今川勢を追い払い、尾張を取り戻す所存である。


まずは、岩倉である!春までに、岩倉城を攻め落とす!今月下旬には岩倉城を取り囲むぞ!良いか、皆のもの、戦の準備、ゆめゆめ怠るでないぞ」


流石は、織田信長、戦意高揚のアジテーション大得意ですね。おおっと、なんだか周囲の織田家家臣の人たちの雰囲気というかオーラみたいなものが変わりましたよ。

アジテーションもカリスマのうちってことですかね。


「岩倉討つべし!」「尾張を我らの手に!」「殿、ご下知を!」


「この信長、皆のものの、戦意、しかと受け取った。岩倉攻めのこと、追って下知する!」


「ははっ!」


信長の言葉が終わり、一斉に平伏する織田家家中。

そして、すこし冷めた目で周りを見ているせいで、わずかに遅れる坊丸。

いつもの、光景であった。

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