第35話 口喧嘩と世界の真理
『万華鏡』を直した俺は、ライカが淹れてくれたお茶を飲んで寛いでいた。
「シュウさんのところにはこんな素敵な玩具があったんですね!」
初めて目にした万華鏡に、ライカは興奮気味だ。
「いいなあ……。私、行ってみたいですよ。シュウさんの世界に」
それを聞いた俺は、その言葉の奥底に潜む意図に気付かず、
「いやいや、そんなことないよ」
と、それを否定したのだった。
「え……」
「俺の世界には『隣の芝生は青い』とか、『隣の柿は赤い』……あれ、『隣の花は赤い』だっけ? ……な言葉があってね」
他人のものが自分のものよりよく見えてしまうという意味だ、と俺はライカに説明した。
「俺から見たら、便利なスキルや魔法があるこの世界が羨ましいよ」
「で、でも、『万華鏡』なんて初めて見ましたし、『木工旋盤』とか『コーヒーリキュール』とか『白あん』とか、この世界にないものをたくさんシュウさんは知っていて、作ってくれているじゃないですか!」
なぜか引かないライカに、ちょっとおかしいな? と思いつつ、
「それは、たまたまこっちの世界が少し時代が遅れていることと、文化の違いだろう。総人口を知らないから何とも言えない点もあるけど……」
と答えた。すると、
「人口が何の関係があるんですか!」
と、少し興奮して言い返してくるライカに驚いてしまった。
俺は妹と口喧嘩した時を思い出し、こちらはあくまでも冷静に、静かな口調で返すことを心掛けつつ、
「俺の世界は今、70億人を超える人間がひしめいているんだ。それだけ人がいれば、いろいろなことを思い付いて作り出すこともできると思わないか?」
と諭すように説明した。
さすがにこの内容にライカも驚いたらしく、
「な、70億……ですか!?」
と、少し引いたようだった。
少し冷静になったかな? と思った俺は、ここぞと説得に掛かる。
「だからライカは、ライカの世界を誇っていいと思うよ」
「……そう……なんでしょうか」
俺はここぞと畳み掛けた。
「そうさ。だから、俺の世界に来たいなんて言っちゃ駄目だよ」
だが、これは言ってはならない言葉だったようだ。
「……どうせ、私なんて役に立ちませんからね! シュウさんの、ばか!」
そう言い捨てたライカは、身を翻して自分の部屋に戻ってしまった。
「……なんだよ、もう」
俺にしても、ライカの気持ちに気付いていないわけじゃないし、ライカのことは好きだ。
だけど、あと半年以内にはなんとかして自分の世界に帰り、借金を返して妹と弟を救わなきゃならないんだ。
そんな俺が、ライカに何を言えるというんだ……。
それに、こっちの世界だからこそ俺は大勢の人に認めてもらえたわけで。
向こうの世界に戻ったら、俺くらいの職人なんてそれこそ掃いて捨てるほどいるわけで。
そもそも魔王の玉座の後ろが向こうの世界への通用門になっているとは言っても、ライカまでもが向こうの世界に行ける保証はないし……。
行けたとしても、生まれ故郷であり知り合いや友人が大勢いるこの世界に、もう2度と戻って来ることはできない可能性だってあるんだ。
ライカが不幸になるとわかっていて、俺の世界に連れていくなんてことができるものか……。
* * *
結局、その晩は悶々としてほとんど眠れなかった。
翌朝になっても、ライカの機嫌は直っていない。ただ、彼女もあまり眠れなかったらしく、目の下に隈を作っていた。
無言のまま朝食を済ませた俺は、そのまま工房を出てドドロフさんの所へ行ってみた。
「おう、ボウズか。やけに早く来やがったな。済まんが、まだできてないんだ。ちょっと急な仕事が入っちまってな。そうさな、夕方にまた来てくれや」
「わかりました、よろしくお願いします」
ドドロフさんだって、俺の依頼だけ受けてくれているわけじゃないし、それは仕方がない。
「さて、どうしようか……」
なんとなく、このまま工房には帰りたくなかった。
我ながら意固地になっているというか、子供っぽいことをやってるというか、そんな自覚はあるのだが、理屈じゃ割り切れないのだ。
それで、ドドロフさんの工房を出たあと、行く当てもなしに歩き始めた。
(どうしようかなあ……)
行く当てもないまま歩いていたら、いつの間にか神殿へやって来ていた。
「……お参りしていくか」
ここまで来たのも何かの縁と、俺は神殿に足を踏み入れた。お昼前なので、結構人は多い。
そんな参拝客に混じって、女神像の前で手を合わせると……。
『シュウ、あなたはしょうがない人ですね……』
と、女神様からの神託があった。神託と言うよりお小言だな、こりゃ。
『シュウも薄々感付いているかもしれませんが、この世界は地球のある世界よりずっと歴史が浅いのです』
まさかの事実を説明してくれる女神様。
『もっとはっきり言うと、出来立てで、まだまだ不完全なのです。シュウのいた世界を参考に作ったのですけど……』
女神様、ぶっちゃけたな。
『それで、シュウの世界を管理する同僚、つまり向こうの女神に頼んで、時々人材を貸してもらったりもしているのです』
おおう、思いがけずに世界の秘密を耳にした気がする。……だから、時々向こうのものが『古代遺物』としてこっちにやってきているのか……。
『なので、シュウの世界の方がいろいろ進んでいる、というライカの感想はあながち間違ってはいないのですよ』
そうなのか……。それでも俺としては魔法やスキルがあるこっちの世界はこっちの世界で素晴らしいと思うけどなあ……。
『ふふ、ありがとう、シュウ。そりゃあ、向こうの世界にも公害とか環境汚染とか人口爆発とか宗教戦争とか言葉の壁とか、いろいろマイナスポイントがありますものね。こちらではそういう苦労はさせたくないと思ったのですよ。これも後発ゆえの利点ですよね』
うーむ、世界の秘密らしきことがこんなに軽く明かされていいのだろうか。
『それでも、民族間紛争はなくせませんでしたけどね。残念です。でも、住民が努力してくれているようですので私としては嬉しいですね』
確かに今は、表面上は平和が保たれている。その昔はいろいろ紛争、戦争があったらしいが。
『文化・文明的には、こちらはまだまだ、シュウの世界を見習わないといけないのです』
女神様が認めてしまったのでは、もう俺の出る幕はないな……。
『ですからシュウ、ライカを怒らないでやってください。仲よくしなさい……』
それきり、女神様の声は聞こえなくなった。
(なんだか世界の秘密を聞かされた気がするけど……あれ? 思い出せないぞ?)
女神様、俺に何かしたのかな? 会話した内容のほとんどが思い出せない。そう、まるで、さっきまで見ていた夢を思い出せないように。
しかし、ライカには悪いことしたな……。
* * *
「あら、シュウさんではないですか」
悩みつつ歩いていたら声を掛けられ、顔を上げればそこにいたのは神殿付き巫女のローゼさんだった。
手にしている浄財箱に寄付を入れると、
「ありがとうございます~」
というのほほんとしたいつもの声のあと、
「ライカと喧嘩でもしました?」
という、驚くべき質問が飛びだしてきた。
「え、ええ、ちょっと口喧嘩を……」
とっさに誤魔化すこともできず、素直に認めてしまった。
「……どうしてわかったんですか?」
「ふふ、巫女の神通力です……というのは冗談で、さっきライカも参拝に来ていたんですよ。1人で」
ああ、なるほど。入れ違いだったわけか。
「なんとなく沈んで見えたので、彼女にも声を掛けたんです」
そうしたら、俺と喧嘩した、と答えたそうで。
「駄目ですよ、可愛い彼女さん泣かせちゃ?」
「うっ」
それを言われると弱いなあ……。
「仲よくしてくださいね? 女神様も、きっとそれをお望みです」
「……わかりましたよ」
俺は苦笑しながらローゼさんに返事をした。
* * *
「……はあ、帰りづらいなあ」
神殿を出たあとも、そこらじゅうをぶらぶらして時間を潰している俺。
昼飯の時間はとっくに過ぎて、それどころか午後3時も回っている。
もしかすると今日は、ターニャちゃんとトスカさんが来ていて、俺がいないことにがっかりしているかもしれないと思うと、少しだけ胸が痛んだ。
自分自身、こんな情けない性格だったかと思いながらも、足はマイヤー工房に向かなかった。
ああ、情けない。いったい俺は何をやっているんだ。
「……ドドロフさんの所へ行かなきゃ」
夕方に来てくれと言われていたことを思い出した俺は、のろのろとした足取りでドドロフさんの工房を目指した。
「おう、やっと来たな。できているぞ」
「……ありがとうございます」
「何だ、元気ねえな。具合でも悪ぃのか? まあ、いいや。ほれ、これでいいだろう? 押し出す穴の直径を変えられるようにしたんだ。先っぽのこれを交換すればいい」
押し出し器は先端を交換式にし、5ミリ、6ミリ、8ミリ用の押し出し口を作ってくれたという。
「いつもながら見事ですね。ありがとうございます」
そういって礼金を払おうとして、ほとんどお金を持ってきていないことに気が付いた。
それを正直に言うと、
「なんだあ、ボウズにしちゃ珍しいな? ほんとに具合は大丈夫か? ……代金は後からでいいから、今日はそれ持って帰れ」
と言ってくれた。
「ありがとうございます。帰ったらすぐ代金持ってきますよ」
「おう、無理するなよ? 明日でもいいからな!」
そう言って工房奥に戻っていくドドロフさんの背中を見ていたら、もやもやした気持ちがなんとなくすっきりしたようだった。
よし、職人は信用第一だ。俺は『ゴムの押し出し器』を抱え、マイヤー工房に急いだ。
工房入り口でほんの少し足取りが鈍ったが、俺は構わずドアを開け、中へ入った。
「!」
そこには、俺を見てびっくりしているライカがいた。
「ただいま。遅くなってごめん」
違う。遅くなったことを謝るんじゃなく、まず言うべきことがあるだろう、俺。
「……き」
昨日はごめん、と言おうとしたら、
「シュウさん、ごめんなさい!」
と、ライカの方から謝られてしまった。
「俺の方こそ、悪かったよ」
先を越されたが、なんとか謝ることができた。
その後の俺たちは無言で見つめ合っていたが、ふと手にしていたゴムの押し出し器に気が付く。
「……それから、ドドロフさんにこいつの代金を払わないといけないんだ」
と言うと、ライカはくすりと笑って、奥からお金を出してきて俺の手に握らせてくれたのだった。
「お店は信用第一ですからね。急いで払ってきてください」
「おう!」
一言答えた俺は、代金を握りしめ、夕闇の中へと飛び出した。
小走りにドドロフさんの工房へ向かう俺の足と心は軽かった。




