第31話 迎えた結末
俺は目を覚ました。眠っていたのだろうか?
くそ、頭ががんがんする……。
「……ここはどこだ?」
靄が掛かったような頭で俺は考えた。
「確か、お客さんの荷物を下ろそうとしたら……」
ああ、そうだ。荷物室には何も入っていなくて、その直後意識が途切れたんだった。
眠っていたんじゃなくて、気を失っていたんだ!
何があったのか思い出していると、頭の靄も少しずつ晴れてくるようだった。
そして自分の状態を確認する。
怪我はしていない。殴られたわけではないようだ。
椅子に座った状態で、腕は……後ろ手に縛られている。
足も、椅子の脚に縛り付けられていた。
目隠し、猿ぐつわはされていない。
ここまで確認したところで、背後のドアが開いて、男が1人入ってきた。
「おや、気が付きましたか。そろそろだと思っていましたよ」
覆面をしていて人相はわからないが、こいつが俺をさらった一味の1人なのは間違いないだろう。
「シュウ君、でいいんですよね?」
「……ああ」
ここで黙秘しても時間の無駄だろうと考えた俺は、とりあえず情報を集めるため、素直に答えることにした。
「縛ったりして申し訳ない。あと少しだけ我慢してください」
慇懃無礼という奴か。
口調は丁寧だが、どうにも虫酸が走る。
「……で?」
「要求はたった一つ。我々に協力してほしいのです。そうすれば、あのお嬢さんも無事で済みますよ」
「何!?」
やっぱり、ライカも一緒にさらわれていたのか。この部屋にいないから、もしや……と期待したが駄目だったようだ。
「……断ったら?」
一応聞いてみる。
「あのお嬢さんが、生きているのが嫌になるような目に遭うだけですね」
畜生、事実上選択肢がないじゃないか。
どうする? 俺は必死に考えた。
「……少し、考えさせてくれ」
とりあえず、時間稼ぎからだ。
「いいでしょう。30分あげます」
そう言って覆面男は部屋を出て行った。さて……どうする?
俺は必死に考える。また女神様、助けてくれないだろうか……などと都合のいいことを考えそうになったが、そうそう助けてくれるはずもなし。自分でなんとかしないと。
まずはここがどこなのか、だ。
……うーん、尿意から判断して、さらわれてからそう時間が経っていないのだろうと推測する。
漏らしていないはずだし。
とすると、町の中か。もし外だとしてもそう離れた場所ではないだろう。時刻も、まだ夜にはなっていないはずだ。
そして、俺を縛っている縄は……うん、スキルで切ることができそうだ。
あとは、ライカがどこにいるのか、一緒に逃げられるか……だ。
不確定要素が多すぎるが、どのみちこのままでは身の破滅だから、逃げる前提で考えよう。
そして、これは『誘拐』『監禁』。立派な犯罪である。うまく利用できれば奴らを排除できるかもしれない。
俺は脱出計画をああでもないこうでもないと練りながら、覆面男が戻ってくるのを待った。
そして、30分が経ったのだろう、背後のドアが開いてさっきの覆面男が戻ってきた。
「決心は付きましたか?」
「ああ。こうなったら仕方がない。言うことを聞くよ」
男はにやりと笑った。
「それは重畳。君にとっても、あのお嬢さんにとっても。では、この魔法契約書にサインして、血を垂らしてもらいましょうか」
魔法契約書か。メランさんが見破ったような偽物じゃないんだろうな。これにサインし、血を垂らしたら最後、俺の自由はなくなるのだろう。つまり、身売りの証文だ。
「待て。サインはする。だがその前に、ライカが無事だということを見せてくれ」
男は少し考え、いいでしょう、と言って一旦部屋を出て行き、すぐに戻ってきた。
「ライカ!」
「んー!」
猿ぐつわをされ、後ろ手に縛られていたが、どうやら無事のようだった。
「どうですかな? 無事な姿を見て安心しましたかね? 納得したならサインをしてもらいましょうか」
「わかった」
「んー! んーっ!!」
ライカが必死に何かを訴えようとしている。おそらくサインするな、と言っているんだろう。
もし俺がサインしなかったら、ライカの身が危なくなるというのに。
俺は大丈夫だよ、とライカに微笑んで見せた。伝わっただろうか……。
「手を解いてもらわないとサインできないんだが」
「わかっていますよ。手だけは解いてあげましょう。ですが、足はサインが終わってからです」
それでいい。両手が自由になりさえすれば。
緊張する。……シーガーさんと一緒にアーマーサーペントと戦った時以上だ。
「さあ、書いてください」
男は小さなテーブルを俺の前に置いた。その上には契約書が載っている。
まず、その契約書の文面を確認する。
甲と乙が取り交わす契約で、乙は俺、甲は……『レーム商会』だ!
これは証拠になる!
「さあ、サインを」
男は俺にペンを差し出した。すかさず俺は、その右手を取って握手をする。
「な、何を?」
面食らった男の手を、テーブルの上に押しつけた。そこは、握手したのと反対側の手で『9回』撫でてある。
左右の手で撫でる回数が違う場合は平均値になることは実験済みで、(1+9)÷2=5となるから、5回撫でた効果が現れる。十分な接着力だろう。
「!?」
当然、男の手はテーブルに張り付くわけだ。
「よし!」
俺はスキルで足を縛っている縄を切る。その間、男はテーブルから手を剥がそうとじたばたしていた。
「よくもライカをこんな目に遭わせてくれたな!」
俺は手早くテーブルを6回撫で、慌てる男の覆面を剥ぎ取りその頬を1回撫でつけるや、すぐさまテーブルに押しつけて接着してやった。
動いている相手だとどうしてもやりづらいので、やはり合算での接着にならざるを得ない。
本当はもっと撫でてやりたかったが、咄嗟にあれこれできるほど自分が器用だとは思っていないからな。
「なっ、なんだ、これは!」
右手と頬がテーブルにくっついてはまともに動けるわけもない。無理に剥がそうとしたら皮膚がめくれるだろうからな。
俺はライカの手を縛っている縄を切った。
そして猿ぐつわを取ると、涙目のライカが抱きついてきた。
「シュウさん……!」
ライカの身体はとても柔らかく、いい匂いがした。
俺も抱き締め返してやりたいが、頭の片隅で理性が早く脱出しろと叫んでいる。
どうにか理性の声に耳を傾けた俺は、ライカの身体をそっと引き離し、
「逃げよう!」
と言ってその部屋を飛び出した。もちろん、証拠になる契約書はポケットに突っ込んである。
「くそ……! 逃がすものか!」
テーブルに頬と右手をくっつけたまま、男が飛びかかってきた。
だがテーブルをくっつけたままなので動きは鈍く、足を引っかけて転ばせてやった。
「さあ、行こう!」
ついでにドアを閉める際にドアと框を5回ずつ撫でておいたので、そう簡単に開けることはできないだろう。
ドアの外は、壊れた樽が隅に転がっている、かび臭い空間だった。
出入り口らしいものはなく、上り階段があるだけ。
「あれを上るしかないな」
俺はライカの手を引いて階段を駆け上がる。そこにもドアがあった。
少し躊躇ったあと、そのドアを開ける。
そこは酒場のようで、覆面男の仲間と思われる男が2人いた。
「お? なんだ、お前?」
「女も一緒か? まさか、逃げて来やがったのか?」
まずい。ばれてしまったようだ。
「逃がすか! とっ捕まえてやる!」
「くっ!」
男の突進をギリギリでかわした俺は、振り返りざま回し蹴りを繰り出した。
「おわあっ!」
男はたたらを踏み、そのままテーブルをなぎ倒してすっ転んだ。この分ならしばらくは立ち上がれないだろう。
「きゃあっ! 放して!」
しまった! もう1人がライカを捕まえてしまったようだ。
「こいつ! ライカを放せ!!」
「ふん、この女の首の骨を折られたくなかったらおとなしくしろ」
「ぐっ……」
ライカの細い首に、ごつい男の腕が回されている。ここまで来たのに、残念だ。
俺はちらと横を見た。
そこには大きな窓があり、外が見えている。薄暗くなってはいるが、ここは町中のようだ。
「外に出られればなんとかなったのに……」
ライカの命には替えられない。諦めるしかないのか……。
と、その時。
どっごおん。
……という描写がふさわしい轟音と共に、壁が粉砕された。
「シュウ様! ライカ様! ご無事ですか!!」
この声は……トスカさん!?
魔人ってすごい。壁を粉砕するなんて、どんだけ力余っているんすか……。
「ま、魔人……? 馬鹿な! 魔人が、ヒューマンを助けに来る、だと!?」
俺も驚いたが、ライカを捕まえている男も驚いている。今だ!
「ライカを放せえっ!」
ライカの首に回された腕に、スキルレベル1を使う。1秒足らずでは貫通穴は空かない。だが。
「痛ってえええ!」
それが深さ数ミリでも、腕に穴を空けられたら痛いだろうよ。
痛さに耐えかねてゆるんだ男の腕から、俺はライカを引き離した。
「シュウさん!」
再びライカが縋り付いてくる。
抱き締め返す前に、男に前蹴りを……と思ったら。
痛がる男が目の前から消えた。
いや、吹き飛んだんだ。
トスカさんが拳を突き出したポーズで目の前にいるから、そう察した。
「ライカ! シュウ君!」
ウィリデさんの声も聞こえる。ああ、助かったんだ……。
安心したら、急に膝の力が抜けてしまった。
* * *
俺たちがさらわれたことにウィリデさんが気が付いたのは、馬車が何も下ろさずに走り出した時だったそうだ。
すぐにあとを追いかけたのだが、横から別の馬車が出てきて道を塞いだり、道に横いっぱいに広がって歩く集団がいたりして見失ってしまったという。
「だが、2人を見つけられたのは、トスカさんのおかげだ」
と言う。
馬車を見失ったウィリデさんが一旦マイヤー工房に戻ると、ちょうどトスカさんとターニャちゃんが来たところ。
俺たちの姿が見えないのでどうしたのかと尋ねたトスカさんとターニャちゃんに、ウィリデさんは俺たちがさらわれたことを話したそうだ。
『それは一大事ですね!』
『トスカ、おにいちゃんとおねえちゃんをたすけてあげて!』
ということになり、トスカさんは『人捜し』という魔法道具を使い、俺たちを捜してくれたのだという。
「本来はお嬢様が迷子になったときに使う予定だったのですが、意外なところで役立ちました」
以前ターニャちゃんが迷子になって以来、持ち歩くようにしているのだそうだ。
これは大きな方位磁石のような外観をしており、対象の『匂い』を覚えさせると、その方向を指してくれるという。
その性能は高く、工房に残った俺たちの『匂い』で十分に追跡できるほど。
俺たちが捕まっていたのは、町の北西部にある酒場だった。地下室は元は酒蔵だったようだ。
ここはレーム商会が買収した店で、取り壊して店舗を建てる予定だったらしい。
酒場に2人、そして地下に1人、誘拐犯を逮捕。
特に地下の男はレーム商会と間接的にだが繋がっており、排除する材料になるという。
「あ、そうだ。これ、証拠になりませんか?」
俺は、契約を強要された未記入の魔法契約書をポケットから取り出した。
「おお! これは! …………ふむ、正規の書式に則った違法契約書だな。レーム商会の名前も入っているし、向こうの魔力スタンプも押されている。十分な証拠になるぞ」
お手柄だった、とウィリデさんに褒められ、ちょっとくすぐったかった。
そして、レーム商会が今回これほど強引な手段に出たのは、覆面の男……『レーム商会ハーオス支店副支店長』になるはずだった男の勇み足らしい。
思ったより町の対応が早く、また警戒も厳しくなったので、支店が出せなくなったら自分の地位もご破算になると焦った挙げ句の短絡的な行動だったようだ。
「阿呆が1人いたおかげで助かったよ」
千里の堤も蟻の穴から崩れる、と言うしな。
「さらに、今回の誘拐事件と、脅迫しての契約強要は十分な罪科になる。レーム商会をこの町から追い出すには十分だろう」
「それを聞いて安心しました」
「怖い思いをした甲斐があったというものです……」
「うむ、あとは評議員に任せよう」
こうして、『レーム商会事件』は終わったのであった。




