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第3話 通貨の単位と工房の掃除

 工房の中は薄暗く、外見と同じく薄汚れていた。


「こちらへどうぞ」


 隅にあるテープルに、そこらにあった樽を椅子代わりにして俺とライカは腰を下ろした。そこで改めて自己紹介をする。


「俺は善田修、こっち風に言えばシュウ・ゼンダ、かな。地球という星の日本という国からで稼ぎに来ました。21歳です」


「私はライカ・マイヤーといいます。一応、この『マイヤー修理工房』のオーナーです。ええと、17歳、です」


 改めてライカを見ると、顔は可愛いのに、髪は少しぱさつき、肌のつやもなく、顔色が優れない。

 要は疲れた感じを受けた。


「そうするとシュウさんは年上なんですね。でしたら、敬語はやめてください」


「え、でも……」


「やめてください」


「……わかった。これでいいかい?」


 まあ、こっちの方が楽だからいいんだけどさ。


「はい、以降それでお願いします」


 そこで俺もライカに頼むことにする。


「じゃあ、ライカも俺に対して敬語はやめてくれよ」


 だが、ライカの答えは思いも掛けぬものだった。


「できません」


「なんで!?」


「これが地ですから」


 と言って聞き入れてくれなかったのだ。

 うーむ、意外と頑固な一面もあるようだ。


 まずは気になっていたことを尋ねることにする。


「まだまだ俺はこの世界のことを知らないから、教えてくれ。……最初に生活の基本として、お金の単位についてかな」


 まず必須事項として、お金のことを知らないと始まらない。


「わかりました。お金の単位はマルスです。で、これが1マルスになります」


 ライカは財布から硬貨を取り出し、テーブルの上に置く。1マルスは10円玉くらいの銅貨だった。


「これが100枚で銀貨になります。……銀貨が100枚で金貨になりますが、手持ちが……」


「ああ、それはいいや。で、1マルスの価値はどのくらいかな? あ、説明しづらかったら、身近なものの値段を教えてくれればいいよ」


 するとライカは少し考えて、


「そうですね、このくらいのパンが1個5マルスです。それから、3000マルスから5000マルスあれば、1人が1ヵ月食べていけます」


 と答えた。うーん、そうすると、ざっくり言って1マルス≒10円と考えればいいかな。

「だいたいわかった。ありがとう」


 それから工房の中をじっくり見せてもらった。

 ライカには、見慣れない工具や転がっているジャンクの説明をしてもらう。

 魔法がある、と女神様が言っていただけあって、俺の知らないものが5割、といったところだった。これは、覚えるのに少し時間が掛かりそうだ。


 そしていよいよ、店……修理工房について聞いてみることにする。


「ええと、前にもちょっと言いましたけど、亡くなった祖父が始めた店でして、後を継いだ父が修理職人をしてました。母は事務関係をしていたんですが、2人とも2年前に病気で……」


「ああ、なるほどな」


 俺の家とちょっと事情が似ていた。ただライカは1人っ子で、俺には妹と弟がいる点が違う。

 職人を雇おうにも、『修理職人』という者は稀少なのだそうだ。というのも、昨今は『使い捨て』の風潮がはやり、修理して使うという人が減る一方なのだという。

 『いいものを長く使う』のが好きな俺としては、残念な風潮だな。


「私は裁縫くらいならできますけど……まぁそれでもそれなりなんですが……。で、それ以外の修理は無理です。このままだと、この店も閉めなきゃならなくて……」


 がっくりと項垂れるライカを見ていると、その姿が妹と重なって見えた。あいつも、家の懐事情を考慮して大学進学は無理かな、と肩を落としていたっけ。

 だが俺は妹に、『俺がなんとかするから、諦めるな』と言ったのだった。


「俺がなんとかするから、諦めるな」


 そして俺はもう一度、この言葉を口にした。


「これは?」


「魔導炉です。魔力を流して使います」


「これはなんだい?」


「魔導プレス機ですね」


「これは? ……」


 俺としては、異世界の工房ということで見るもの聞くもの皆珍しかった。

 だが、ライカの方は、時が経つごとに元気がなくなっていった。


「おいおい、どうした? 元気出せよ。俺がなんとかするって言っただろう? だいたい、そのつもりで神殿に行って女神様に頼んだんだろうに」


「……そうですけど、何ができるんですか?」


「え……」


「だって、さっき工房の中を見て回った時だって、知らないものだらけだったじゃないですか。魔法も使えないようですし……」


 少し強めの言葉だったが、そう言わざるを得なかったライカの目は少し潤んでいた。

 ああ、そうか。俺が即戦力になれそうもないので気落ちしていたのか。


「確かに今の俺は、この世界の道具も機械も知らない。わからない。でもな、なんとかしてみせるさ」


 修理というのは理屈じゃない。初めて目にしたものを修理したことだって幾度もあるのだ。

 そもそも、新規製作するのでなければ、深い知識は必要じゃない。そりゃ、あるに越したことはないが、基礎……動作原理がわかっていれば、大抵のことはなんとかなるものだ。

 まあ電子機器は、基板ごと交換するのが今の主流だが。

 ライカは職人じゃないので、そういったことがわからないようだ。これはまず、その勘違いを正さないといけないかもな。


「……」


「悩むよりまずは始めてみよう!」


 俺は殊更明るく言って、ライカの肩を叩いた。


「……何をすればいいんですか?」


 覇気のなくなった声だ。まだ俺が使えないと思っているな。

 確かに、今すぐにできることは少ないかもしれないが、できることからやっていけば、きっと道は拓けるはず。立ち止まっていたら何も始まらないのだから。債鬼がいないだけでも気が楽だ。


「まずは、工房のリフォームだ」


 見た目が悪いと印象が悪く、常連さんはともかくとして一見さんはやってこない。おまけに『修理工房』なのに自分の店が傷んでいるってどうよ。

 まあ、日本でも『紺屋の白袴』っていうけどさ。あれは忙しくて自分の分にまで手が回らないっていう意味だった……と思う。


「はい……」


 のろのろと立ち上がったライカを急かして、まずは散らかった工房内を片付けていく。


「これは?」


「あ、素材棚に置いてください」


「これは?」


「こっちに置いてください」


「これは工具……でいいのかな?」


「そ、そうです。工具置き場はこっちです」


「これは?」


「使えそうにありませんね……捨てましょうか」


 などとやり取りをしながら片付けをしていると、ライカも少しずつ元気が出てきたようだ。

 『思考が負のループに陥った時は身体を動かす』。21年の人生で俺が覚えたことだ。


 そして、4時間ほどでかなり工房内は片付いた。

 床の上に散らばっていたゴミ、埃は綺麗になくなり、わけのわからない部品や破片やらはとりあえず『ジャンク入れ』に入れておいた。

 これも俺が覚えた片付けのコツだ。分類しながら片付けている時に、どこに入れればいいものか判然としないものが必ず出てくる。そういう時にどうしようかと悩んでいるとどんどん時間が過ぎていくので、『ジャンク入れ』を作ってそこに放り込んでおくのだ。あとで時間ができた時に、その中から有益な物を取り出せばいい。

 いつまでもそのままになっていたなら?

 ……その時はそれは不要なものだと判断して捨てればいいのだ。


「わあ、綺麗になりましたね」


 とりあえず片付いた工房を見回したライカが驚いたような声をあげた。


「だろう? お客さんに与える印象が違うと思うよ」


「そうなんですね……で、ここはなんですか?」


 ライカは隅っこに作った、テーブルが1台、椅子が4脚置かれているだけの場所を指差した。


「相談コーナーだ。ここが店なんだから、こういう場所は必要だと思うぞ」


 お客さんの話をゆっくり聞くことができる場所、それが相談コーナーだが、それ以外にも一時的に待っていてもらったり、連れがいた場合はその人を案内したりと、多目的に使えるスペースだ。

 それを説明すると、


「はあ……確かにいいかもしれませんね」


 と、ライカは感心したような声を出した。


「ある意味店の顔になる場所だから、いずれはいいテーブルと椅子にしたいな。それにインテリアを置くとかな」


 それは経営に余裕ができてきてからでいいだろう。

 と、その時、ライカのお腹がくう、と鳴った。

 釣られて俺の腹の虫もぐう、と鳴く。


「そういえばもう夕方か……」


 夢中で掃除と片付けをしていたが、昼を食べていないんだった。そう気が付くと、無性に腹が減ってくる。


「今日はここまでとして、少し早いですが夕食にしましょう、シュウさん」


 ライカはそう言って工房の隣に作られた厨房へと俺を誘った。


「おおー」


 こちらは毎日使っているだけあってきちんと整頓され、片付いていた。してみると、工房が散らかっていたのはどう片付けていいかわからなかっただけで、ライカがズボラなわけじゃないようだ。


「あ……食材がない……硬くなったパンと昨日のスープの残りしかない……」


 忙しさに紛れて……というより、昼間いろいろありすぎて食材を買う暇がなかったのだろう。


「シュウさん、ごめんなさい。急いで食材買ってきますから……」


 と言ってライカは、俺の返事も聞かずに駆け出して行ってしまった。行動力はあるようだ。

 俺は、厨房にあったスツールに座って待つことにした。

 厨房とはいっても、食堂を兼ねており、6人掛けくらいのテーブルと椅子が揃っている。


「ライカは、昔はここで祖父母や両親と一緒に食事をしていたんだろうな」


 そう思うと、ライカの寂しさが感じられるような気がした。

 ここは工房と違って手入れされていることがわかる。それでも、なんとなくくたびれた感じを受けるのは、調理道具類が古いからだろうと思った。


 そして戻ってきたライカは両手にパンを抱えていた。


「あとは、残り物で悪いんですけど、作り置きのスープを温めれば終わりですから、もうちょっとだけ待っていてください」


 一人暮らしなので、3日分くらいを作り置きしているそうだ。確かに1食ごとに作っていたら効率が悪いから、それはわかる。

 だが、今は春……らしいからまだいいとして、夏になったら日持ちしないのではないかと、少し気になった。冷蔵庫みたいなものはあるのかな? まあ、それは後だ。


「はい、おまたせしました」


 少しだけ元気になったらしいライカが、スープを持ってやって来た。


「お口に合うかわかりませんが……」


 などと言っているが、そもそも俺はこっちの世界では根無し草、頼れる者なんていやしない。

 ライカの所から追い出されたらたちまち路頭に迷うのだ。


「いや、ありがたくいただきます」


 俺はそう言って、ライカがしているようにパンをちぎってスープに浸して食べてみる。


「……どうですか?」


 まずくはない。まずくはないのだが、何か物足りない。

 スープは野菜が主体で、よく煮込まれていてはいるものの具になっている野菜の味は感じられたし、薄い塩味も野菜のうま味を引き立ててはいる。

 パンもふっくらしており、イーストらしき香りもする。

 だが、何かひと味足りないのだ。それが何かわからないので俺は、


「うん、これなら俺の所のとそう変わらないよ」


 と言うことにした。

 これなら『まずい』と言うのとはニュアンスが違うからセーフだろう。


「そうですか、美味しくないですか……何が違うんでしょう?」


 だがライカは、俺の表情を見て悟ったようだった。

 さて、なんて説明しよう。

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