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第26話 賢者様

 ある日、珍しい来客があった。


「久しぶりじゃな、シュウ君」


 湖で知り合った老人、シーガーさんだ。


「君が来なくなったので少し寂しかったよ」


「すみません。釣り道具がなくなってしまったので……」


「ははは、冗談じゃ、冗談。君にも仕事があろう。……それでじゃな、今日は修理を依頼しに来たのじゃ」


「ありがとうございます。それではこちらへどうぞ」


 シーガーさんは俺が修理職人だと知って、仕事を持ってきてくれたようだ。

 ありがたやありがたや。



 シーガーさんを相談コーナーに案内した俺は、テーブルを挟んで向かい合わせに座った。


「まずは、これを見てもらおうか」


 シーガーさんは手にしていた袋から、木製の箱を取り出した。そして、その中から出てきたものは、小型で肉厚の、丼と形容するのが相応しい形の茶碗だった。それが4つに割れている。


「茶碗、ですか?」


「おお、さすがじゃな。そのとおり。これは、遙か東の国で作られたという『茶碗』じゃ。それが、ついこの前、割れてしまってのう……」


 色は黒に見えるほど、濃い藍色をしている。肉厚といったが、そのとおり、5ミリはありそうだ。


「単純にくっつけるだけなら、どこでもやってもらえる。じゃが、それでは寂しいのじゃよ」


 そこでシーガーさんは声を落とし、囁くように言った。


「『異界人』の君なら、何かいい修理法を知っているのではないかと思ってのう」


 確かに、こういった茶碗の修理方法を、俺は1つ知っている。

 それは『金継ぎ』という技法だ。

 昨年くらいにTVでやっていたし、都内の某有名DIYデパートには専用のキットも置いてある。


「『金継ぎ』という技法なら知っています」


「ほう、『金継ぎ』じゃと? それはどういうものかね?」


 俺はシーガーさんに『金継ぎ』の説明をした。

 本来は『うるし』という、樹液から取った塗料兼接着剤を使うこと。

 継いだ部分は金箔や金粉を使って傷を隠すと共に補強し、さらには美的価値も高めること。


「ほう……! 面白い。さすがじゃな、シュウ君」


 シーガーさんはおぼろげながらその効果を想像したようだ。


「茶碗の色は濃紺。金とはよく合いそうな色じゃ。それで頼む。……それで、金箔の当てはあるのかね?」


「知り合いのドワーフの職人がいますので相談してみようかと」


 当てと聞かれたら心当たりは1人しかいない。ドドロフのおっちゃんだ。

 シーガーさんもその名前は知っていたらしく、満足そうに頷いた。


「ふむ、それならばまずは安心かのう。では、いつ来ればいいかな?」


「金箔の用意ができたなら修理自体は半日なんですけどね」


「わかった。ならば、明日……はどう考えても無理じゃろうから、まずは明後日の午後3時頃に一度顔を出すことにしよう」


 西の湖に行くことを思えば楽なもんじゃ、と言ってシーガーさんは立ち上がった。


「あ、お待ちください。預かり証を書きます」


 出ていこうとするシーガーさんを呼び止め、俺は急いで預かり証を書いて手渡すと、


「それではよろしく頼む」


 そうシーガーさんは手を一振りし、店を出て行ったのだった。



 その背中を見送りながらライカがぽつりと言った。


「シーガーさんって、もしかしたら『賢者様』かもしれません……」


 一般的に言う、賢い人のこと……じゃないよな。偉い学者や思想家をそう呼ぶこともあるのは知っているが、それでもなさそうだ。


「『賢者様』っていうのは、『勇者様』と同様に、国家が与える称号なんです」


 国際的な資格みたいなものなのかな?


「なんでシーガーさんが、その『賢者様』だと思ったんだ?」


「ええと、シュウさんが湖で大怪我した時、騎士団に命令してましたし、以前パレードでちらっと見たことあるお顔とよく似ていた……気がするので」


 なるほど。一応根拠はあるわけか。……でもなあ。


「シーガーさんが自分で『賢者』って名乗らないってことは、隠しておきたい、ってことだろうと思うんだよな」


 賢者だということで扱いが変わるのが嫌なんじゃないかなあ……気さくな人だったから。


「そうなんでしょうか……だって、シーガーさん……様が『賢者様』だとすると、今は隠居していらっしゃるようですが、元は国王陛下の家庭教師をしていた方なんですよ」


 なるほど、王様が一目置く人、というか、頭が上がらない人なのか。


「それでですよ? もしもシーガーさんが『賢者様』だったら……そんな方とお友達みたいな口の利き方して、いいんでしょうか……」


「多分だけど、どっちにしてもシーガーさんはそういうの嫌いだと思うぞ?」


 短い間だったけど、湖で話をしていた限りではそう感じた。


「そうでしょうか……それじゃあ、今度いらした時、シュウさんが作ったカヒー……じゃない、コーヒーをお出ししてもいいでしょうか?」


「うん、それはいいかもしれない」


 ターニャちゃんたちを除き、一般のお客様にお茶を出すことはあまりしていなかった。

 金銭的に余裕が出てきたからには、今後は飲み物を出すようにしよう、と俺とライカの意見は一致したのであった。



*   *   *



 まずは、金箔の確保のため、ドドロフさんに相談するところからだ。


きん? 金なら少しはあるさ。だが、金箔だあ? また、難しい注文を持って来やがるボウズだぜ」


 口調とは裏腹に、難しそうな注文だがこなしてみせるという熱気がドドロフさんから伝わってくるようだった。


「とりあえず、明日の夕方に来い」


「わかりました。お願いします!」


 こうして俺は、ドドロフさんに金箔製造の依頼をしたのだった。



 そして他の修理依頼をこなし、翌日の夕方、言われたとおりドドロフさんのところへ。

 金を薄くしてはくれていた。だが、まだまだ厚すぎた。感覚ではコンマ1ミリ、つまり100ミクロンくらいだろうか。

 金箔って……何ミクロンだったっけか?

 少なくとも1ミクロンより薄かった気がする。


「そうか、これでもまだ厚いのか……」


「すみません、無理言って。……確か、息だけで飛んでしまうほど薄かったような気がします」


 俺はドドロフさんに謝ると共に、思い出した情報を伝えた。


「何い!? そんなに薄いのか! ……くそう、他人にできて俺にできないことがあるか! ……おいボウズ、明後日まで待て。やってやろうじゃねえか!」


 どうやらドドロフさんの職人魂に火を付けてしまったらしい。


「どうか、よろしくお願いします」


 と声を掛け、俺はマイヤー工房へ戻ったのであった。



*   *   *



 翌日午後3時、シーガーさんは約束どおり工房にやって来た。


「どうじゃな?」


 ここは正直に『金箔待ちです』と言っておく。


「その金箔も、うまくいけば明日の夕方に目処めどが付くかもしれません」


「ふむ、そうか。まあ急がずともよいから、納得のいく仕事をしておくれ」


「ありがとうございます、頑張ります」


 ほっとしたのでライカとの打ち合わせどおり、


「ところでシーガーさん、変わった飲み物があるんですが、お試しになりますか?」


 と尋ねてみた。


「ほう、変わった飲み物、か。……それは、この香りの正体かね?」


 コーヒーの香りはかなり強い。鼻のいい人ならすぐにそれと気付くだろう。


「はい、そうです。俺の世界にもあった飲み物で、カヒーの種を使っています」


「ほう、カヒーを、な。興味深い。いただこう」


 シーガーさんはカヒーの実のことは知っているようだ。


 俺が合図をすると、ライカがコーヒーをお盆に載せてやってきた。


「ど、どうぞ」


 コーヒーを置く手が震えている。緊張しすぎだろう……。


「ほう、これがカヒーの種から作った飲み物かね?」


「はい。『コーヒー』というんです。好みによって砂糖やミルクを入れて飲みます」


 俺の分もあるので、砂糖だけをスプーン1杯入れてかき混ぜ、飲んで見せた。


「ふむ」


 シーガーさんも同じように砂糖をスプーン1杯だけ入れて試してみるようだ。ゆっくりと香りを確かめるようにしてカップを口元へ運び、一口。


「うむ……確かに苦い。だが、それだけではなく、得も言われぬ香りが鼻に抜けるな。病み付きになりそうな香りだ」


 俺はさらにミルクを入れてみるように勧め、自分でもそうやって飲んでみせた。


「ふむ……こうすると苦みがまろやかになるな。儂はこっちの方が好みじゃ」


「元になるコーヒーの濃さも変えられますが、このくらいがお好みでしょうか?」


「そうじゃな。薄ければ香りが減るじゃろうし、濃ければ苦みが増えるじゃろうから、このくらいがいいかのう」


「わかりました」


 シーガーさんはミルクコーヒーを気に入り、おかわりまでした。


「この歳になって、新たな発見があるとはな。これじゃから『異界人』との交流はやめられないのじゃよ。では、また明日」


 と言って午後4時頃に帰っていったのだった。



*   *   *



 翌日。ライカはシーガーさんの接待で、まだ悩んでいた。


「シュウさん、今日もシーガーさんはお見えになるでしょうね……」


「昨日『また明日』と言っていたから来るだろうな」


「でしたら、何かお口汚しも用意しておいた方がいいのではないでしょうか」


 お口汚し、か。こっちの世界でもそう言うんだな……。


「毎日同じものっていうのは芸がないからな……」


「あ、シーガーさんにもプリンを作って差し上げたらどうでしょうか?」


 ターニャちゃんがプリンを食べる姿は微笑ましいが、シーガーさんがプリンをぱくつく姿……うん、絵にならない。

 しかし、それはそれ、これはこれ、だ。

 今のところ、自信を持って出せる甘味は白あんとプリン。白あんはそのまま食べてもらうわけにもいかないのでここはプリンにしておこう。

 プリンは、もう何度も作っているので手慣れたものだ。

 ここ3日ほど間が空いているが、今日あたりターニャちゃんも来そうなので多めに作っておくことにした。



 そして午後2時半頃、ターニャちゃんとトスカさんがやってきた。


「おにーちゃん、ぷりんたべたい!」


 予想どおり、ターニャちゃんは俺の顔を見るなり、プリンの催促だ。


「はいはい、わかってるよ」


 と答えた俺は、プリンを取りに厨房へ向かおうとした。そこに、


「来たぞい」


 と言ってシーガーさんもやって来た。

 勝手知ったる我がマイヤー工房の相談コーナーへすたすたと歩いてきて……。


「おや、今日は先客がいたのかね」


 ターニャちゃんとトスカさんを見て、少し驚いた顔をした。


「あなたは……賢じ」


「儂はただのじいじゃよ、ここでは」


「は、はい」


 トスカさんが何か言いかけたが、それを遮るようにシーガーさんに言われ、口を噤んでいた。

 でも今、『賢者』って言いかけたよな。

 大家たいけに仕えているはずのトスカさんが賢者だと言うんだから、こりゃ間違いなくシーガーさんは『賢者様』だな……。



「よっこらしょと。お嬢ちゃん、失礼するぞい」


「うん! こんにちは、おじいちゃん! あたし、ターニャ!」


「おうおう、こんにちは、ターニャちゃん。礼儀正しいのう。儂はシーガーじゃ」


 そんなやり取りをしている2人……いや、トスカさんもいるから3人の前に、俺はプリンを置いた。


「ほう、これは?」


 と、見たことのない菓子をいぶかしむシーガーさんだったが、


「わーい! ぷりん、ぷりん! あまくておいしいんだよ!」


 とはしゃぐターニャちゃんを見て、それが何か察してくれたようだ。


「はい、カラメルソース」


 まずターニャちゃんの、次いでトスカさんのプリンにカラメルソースを掛けた。そしてシーガーさんには、


「ええと、好き嫌いがあるかもしれません。ほろ苦いけど甘いソースなんですが」


 と断りを入れておく。


「うむ、それなら掛けてもらおう」


 シーガーさんは好き嫌いはほとんどないと言うので、少し多めにカラメルソースを掛けてあげた。

 それを一口食べると、


「おお、これは美味い!」


 と、気に入ってくれたようだ。


「あまいよね、おじいちゃん!」


「うむうむ、美味しいのう」


 孫と祖父みたいだな、見ているだけで和む……。



 プリンを食べ終えたターニャちゃんがシーガーさんに問いかける。


「おじいちゃん、おにいちゃんになにかなおしてもらってるの?」


「うん? うむ。割れた茶碗を直してもらおうとな」


「そうなんだ! あのね、おにいちゃんは『うできき』だから、きっとなおしてくれるよ!」


「ほうほう、それは楽しみじゃな」


 ターニャちゃん……。

 くっ、信頼が重いぜ。でも、その信頼に応えるのが修理屋だ!

 ドドロフのおっちゃん、頼むぜ……。 

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