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第21話 白あんと迷子

 暑かった夏が終わる頃。

 俺の肋骨骨折もほぼ完治し、力のいる仕事もできるようになってきた。

 やれやれである。

 今日は、ふらりと市場へとやって来た。

 アントン……はいない。今度来るのは1月か2月後くらいだろう。

 でも、アントン以外にも知り合いはできている。


「ようあんちゃん、穫れたての豆が入ってるよ」


 南の方から来ているというおっちゃんだ。名前は……なんだっけ?


「豆か……」


 大豆、つまり枝豆はないかと探したがないようだった。が、気になる豆が並んでいるのに気が付いた。


「これってインゲン豆かい?」


「ああ、そう呼ぶ人もいるな。俺ん所ではアジ豆って言ってるけどな」


 やっぱりインゲン豆か。それも白インゲンだ。

 1キロで銀貨1枚、つまり100マルス。1000円なら買いだろう。


「まいどありー」


 ここのところマイヤー工房も仕事が増えたし、先日のアーマーサーペント退治で少しだが報奨金も貰えたので懐はそこそこ温かい。


「豆が手に入った……よし、次は砂糖だ」


 キロ300マルス(約3000円)する白砂糖も買う。これで材料は揃った。

 前回、ゼリーを作ろうとしてシリコーンゴムにしてしまったのは苦い思い出だ。

 だから、今度は決して失敗しない、そう意気込む。

 そしてその晩、俺はライカに断ってボウルを借り、250グラムの白インゲンを水に浸しておいてから、床に入ったのだった。



*   *   *



「よしよし、大丈夫そうだな」


 一晩水に浸しておいた白インゲンは、十分に水を吸って膨らんでいた。

 残った水は捨てて、豆をじっくりと煮る。


「あ、お豆ですね。甘く煮付けるんですか?」


 それを見ていたライカが推測を口にするが、俺は首を横に振った。


「甘くするのは当たっているけど煮豆じゃないんだ」


「へえ? じゃあなんですか?」


「それはできてからのお楽しみ」


 と答えるとライカは頬を膨らませ、


「もう。……変なものだけは作らないでくださいね?」


 と言った。前回のゼリー改めシリコーンゴムのことを当てこすっているのは明らかだ。

 それを言われると非常に弱い。


「今回は大丈夫。……だと思う」


 と、自信満々……よりはちょっと弱気に胸を叩いた。



 軟らかく煮た白インゲンを一旦ザルにあける。裏ごし器がないのでザルを使って裏ごしをするしかなく、少し手間が掛かった。

 裏ごしとは、要するに軟らかく煮た食材を目の細かい網でして筋っぽい部分を除くことだ。なんで『裏』ごしなのかは……知らない

 液体ではないので、濾す時にはヘラやすりこぎのようなもので網に押しつけることになる。



 そうやって裏ごしした白インゲンをもう一度鍋にあけ、砂糖とひとつまみの塩を入れて弱火でゆっくりと練り上げるのだ。

 この時、塩の量は砂糖の120分の1がいい……と、俺は家庭科の先生に習った。根拠は知らない。でも、『ひとつまみ』と言われるよりも定量的なのでずっとそれを守っていたりする。

 今回、豆が250グラムなので砂糖はその半分、125グラム入れた。故に塩は1グラムちょっととなる。

 マイヤー工房の厨房には棒秤ぼうばかりと呼ばれる、棒の片側に計るものを載せる皿、もう片側には移動できる重り(分銅)が付いているものがあり、おおよその重さを量れる。

 しかし、さすがに1グラム単位は無理だったので、不本意だが今回は『ひとつまみ』で塩を加えた。



「結構力がいるな」


 肋骨を骨折していたせいで力仕事から遠ざかっていたため、少し腕の筋肉が落ちているのを感じた。

 これではいかん……。


「シュウさん、これってなんですか?」


 俺が作っているものがなんなのか、見る者が見ればわかるのだが、ライカには珍しかったようだ。


「白あんだよ」


 俺は答えを口にした。

 普通のあんこはアズキで作るが、白あんは白インゲンで作る。さらに言うと緑色をしたうぐいすあんは青エンドウ豆で作る。


「あんこって知らないか?」


「聞いたことありませんね……」


 この世界で見かけたのは西洋風の文化なのでもしやと思ったが、あんこ全般を知らないという。


「じゃあ、もうすぐできるから、食べてごらん」


 味見してみると、ちょうどいい甘さである。火を止め、冷ますことにした。

 同時に、ライカにも味見してもらう。

 おそるおそる白あんを口に入れたライカは……。


「……甘いです! 美味しいです!!」


 と、ぱあっと顔を輝かせた。

 妹の奴も白あんが好きだったが、ライカもか。

 いやまあ、ライカの場合は甘いもの全般が好きなのかもしれないが。


「シュウさん、これすっごく美味しいですよ!」


 大はしゃぎである。


「はは、それはよかった。これをコッペパンに入れれば白あんパンになるし……」


 まんじゅうにも合う、と言おうと思ったがまんじゅうもこっちに来て以来、見かけたことがないのに気が付いた。


「まあ、このまま食べても美味いし」


「ほんとですね」


 ライカも気に入ったようだった。



*   *   *



 翌日、売り切れないうちに白インゲンだけでも仕入れておこうと市場へ行き、3キロほど購入。

 砂糖はいつでも買えるのでまた今度にする。

 

 3キロの豆を抱えての帰り道。

 キュウリ畑に差し掛かると、どこからか子供の泣き声が聞こえてきた。

 立ち止まって辺りを見回してみるが、どこにも姿は見えない。

 どうやら、キュウリ畑の中から聞こえてくるようだ。

 道路にも畑にも保護者らしき人の姿は見えない。となると、迷子かもしれないな。

 キュウリ畑の高さは1メートルちょっと。子供の背丈よりは少し高い。なので『声はすれども姿は見えず』状態で、畑の中に入っていかないと捜しようがない。


「おーい」


 声を掛けながら、泣き声を頼りに畑の中をあちらこちらと捜し歩いた。畑の持ち主さん、踏み荒らしてごめんなさい。

 そしてキュウリ畑の端の方まで行き……あ、いた。

 黒いワンピースを着た女の子が泣いていた。

 幼稚園児か、せいぜい小学校低学年くらいの、黒髪の女の子だ。


「迷子かい?」


「……」


「親御さんは?」


「……」


「誰かと一緒に来たのかい?」


「……」


「名前は?」


「……」


 何を聞いてもべそべそと泣きじゃくるばかり。犬のおまわりさんじゃあるまいし、参ったな……。

 とりあえず、近くに保護者はいないようだし、このまま放置するわけにもいかない。

 幸い、マイヤー工房は近いから、そこまで連れて行くことに決めた。

 顔の広いライカなら、この子も知っているか、さもなければ迷子を保護する役の人とか、とにかくなんとかしてくれるだろう。


「……おいで」


 と言うと、初めてその子は顔を上げた。

 ……紅い、瞳?

 黒い髪だったので、俺と同じように黒い目かと思っていたら、ルビーのように紅い瞳をしていた。


「美味しいもの食べさせてあげるから」


 と、まるで誘拐犯のようなセリフを言いながら、俺はその子を促してマイヤー工房まで連れて行ったのだった。



「シュウさん、お帰りなさい。……あら、その子は?」


「帰る途中、キュウリ畑のあたりで泣いていたんだ。どうも迷子らしい」


「そうなんですか。……お嬢ちゃん、お名前は?」


「…………ターニャ」


 あ、俺が聞いても何も言わなかったのに、ライカが聞いたら素直に答えた。

 これが人徳の差か。ちくせう。


「そう、ターニャちゃん、お腹空いてない?」


「……すいた」


「そう、それじゃこっちへいらっしゃい」


 ライカは厨房へとターニャを連れていく。俺も付いていった。


「はい、どうぞ。……シュウさんも、どうぞ」


 お、これは……。


「あまーい! おいしーい!」


 白あんパンだ。ライカが作ったのか。器用だな……。

 甘い白あんパンを食べたターニャは、すっかり上機嫌になった。


「おねえちゃん、ありがと」


「どういたしまして」


「…………おにいちゃんも、ありがと」


「うん、どういたしまして」


 やっと口を利いてくれた……なんか嬉しい。


「ねえターニャちゃん、おうちの人は一緒じゃなかったの?」


「……いっしょだった」


「その人はどうしたのかしら?」


「……つまんなかったから、ちょうちょおいかけてたらいなくなった」


「つまり、その人が何か用事を済ませている間、退屈なんで蝶を追いかけていってはぐれた、というわけか」


「シュウさん、今のでどうしてわかるんですか!?」


 どうしてと言われても……まあ、弟の奴が小さい時、あんなしゃべり方だったから、かな。


「その人のお名前、わかる?」


「……トスカ」


「俺、ちょっとその辺を見回ってくる」


 その『トスカ』って人もきっとターニャちゃんを捜しているだろうからな。



 ターニャちゃんはライカに任せ、俺は表へ飛び出した。向かったのはさっきのキュウリ畑だ。

 すると、キュウリ畑付近をうろうろしている背の高い女性を見つけた。


「あの、トスカさん、でしょうか?」


「え、あ、はい。そうですけど」


 ビンゴだった。


「ターニャちゃんは俺が……」


 そこまで言いかけた、その一瞬の後、トスカさんが目の前にいて、俺は襟元を締め上げられていた。


「お 嬢 様 を 返 し な さ い」


「ぐ、あ……で、ですから、タ、ターニャちゃんが迷子だったから……ほ、保護しているんです。あ、あなたのことを捜しに来たんですよ……!」


 やっとの思いでそう告げると、トスカさんの手が少し緩んだ。


「本当ですね?」


「ほ……本当です」


 なんとかそう答えると、ようやく手を離してくれた。

 ああ苦しかった……。


「……そうでしたか……大変、大変失礼しました。お許しください」


 トスカさんは先程とは打って変わって、礼儀正しい態度になった。

 なんだったんだ、あの殺気は……。


「では、お嬢様の所へ案内してください」


「あ、はい」


 やっぱりちょっと怖い。俺は先に立ってトスカさんをマイヤー工房まで案内していった。



「トスカ!」


 店の前でライカと一緒に待っていたターニャちゃんは、トスカさんを見ると全速力で駆け寄った。

 やっぱり不安だったんだな。


「お嬢様!」


 トスカさんは飛びついてきたターニャちゃんをそっと優しく受け止めた。

 しかしお嬢様、か……。


「シュウ様、ライカ様、お嬢様を保護してくださり、ありがとうございました。このお礼は後日、必ず致します。特にシュウ様、先程は大変失礼をいたしました。お詫び申し上げます」


 トスカさんは丁寧なお辞儀をしてそう言った。


「おねえちゃん、おにいちゃん、ばいばい」


 ターニャちゃんはトスカさんに手を引かれ、振り返り振り返り歩いく。

 俺とライカは、2人が見えなくなるまでその姿を見送った。

 その後、『先程』何があったのかライカに説明する羽目になったのは言うまでもない。



 白あんが効いたのか、それとも迷子を助けたのが効いたのか、KPは170になっていた。

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