第14話 柱時計(前)
6月となり、季節は初夏を迎えた。
マイヤー工房も依頼が増え、大分経営が楽になってきた。
いいことだ。
今日もまた、俺はライカにレクチャーを受けている。
この世界のことを知らなくては行動に支障が出るから、こうした機会はありがたい。
「1日は24時間ですね。で、1時間は60分。1分は60秒になっています。まあ、普通の生活で秒なんて単位まで管理することはないですね」
ふんふん、そのあたりも地球と同じか。
『女神様』が言っていたように、この世界は『お隣同士』だからかな。
「1年は360日で、12ヵ月ですね。1ヵ月は30日ですよ」
あ、そのあたりはきっちりしているんだ。大の月小の月や閏月、閏年なんてないようだ。その辺はわかりやすくできているらしい。
「時間を計るのはどうしているんだ?」
「時計のことですね。一般に使われてるのは日時計です。大きな道路の交差点には大抵あるし、家の壁に取り付ける人もいます」
そういえば、工業ギルドの壁にも日時計が付いていたな。
ちなみに、地球の北半球で日時計を使うと、時刻を示す『影』は右回り、いわゆる『時計回り』に動く。
これが、ほぼすべての時計の針が右回りになっている理由だという。
「夜とか、曇っている日とか、『時』より短い単位を計る時なんかはどうするんだ?」
日時計は太陽が出ていないと役に立たないし、おまけに分単位を計るのには適していない。
「ええとですね、『水時計』っていうのがあります。ほら、中央通りにある広場にもありましたでしょう?」
「ああ、あれか」
この前2人でデート……こほん、町を案内してもらった時に見た。
地球で言うところの、砂時計の砂が水になったものだ。
女神像が持った、透明なひょうたん型の巨大な水晶容器の中に色の付いた水が入っていて、6時間で上の水が下へ落ちる。
するとひょうたんはぐるっとひっくり返って上下が入れ替わり、いっぱいになった側が上へも持ち上がることで、また水が下へ落ち始める。
容器には目盛りが付いていて、15分単位で読み取れるのだ。
「あれってどうして上下が入れ替わるのか、よくわかっていないんだっけ?」
重い方が上へいくというわけのわからない動作をしているので、絶対に人為的な何かがあるはずなのだ。
「そうですね。あれは古代遺物ですから……」
「その『古代遺物』で思考停止するのはやめた方がいいと思うがな……」
――そうなのだ。
この世界の人間の多くは、『古代遺物だから』で済ませてしまい、どうしてそういう働きをするのか、という追求が弱い。
俺としてはそれが、この世界の発展を妨げている原因の1つだと思っている。
そのあたりにも、KPを貯める鍵があるような気がしているのだが……。
「まあ、時間に関してはこんなところですね。さ、仕事を始めましょう」
「そうだな」
ここのところ店の評判がよくなって、仕事も入ってくるようになった。もう少しで店の借金も全部返済できそうだとライカも喜んでいる。
「シュウさんのおかげです」
と言ってくれるし、経済状態が上向いたので食事も少しずつよくなっているから、俺のやっていることは間違っていないはずなのだが……いかんせんKPがあまり増えていないのだ。
今のKPは80。
元々が10だったから、70ポイント増えたわけだが、袋の容量的にはまだまだ少ない。
具体的にいうと、元の容量はティッシュの箱1つ分くらいで、今は4つ分くらいといったところ。
つまり、『袋』に入れられるものといっても大したことがないのだ。
何がKPを増やすことに繋がるのか、まだまだ謎は尽きない。
――と、近所の女将さんたちから託された包丁を研ぎながら俺は考えていた。
* * *
依頼された包丁研ぎがあらかた終わったので、包丁の水気を拭き、乾いた布でくるんでいく。こうしないと炭素鋼の刃物はすぐ錆びてしまうのだ。
工具なら椿油などの防錆油を塗るのだが、食品を切るための包丁にそれはできない。
「ごめんください」
そんな時、来客があった。
横目で見ると、1メートルほどの細長い包みを従者2人に抱えさせた、品のいい紳士だ。
「いらっしゃいませ!」
奥からライカが出てきて対応を始めた。
「マイヤー修理店とはここでよろしいでしょうか?」
「はい。修理依頼でしょうか?」
「そうです」
「では、こちらへどうぞ」
ライカは紳士を相談コーナーへと案内した。従者2人も包みを抱えてそれに続く。
――飲み物を出した方がいいかな?
包丁の処理を終えた俺は、今日の気温から冷たい飲み物がよかろうと判断し、冷茶を出すことにした。
一応、従者2人の分も入れて4つのコップに冷茶を入れて持っていく。
季節は初夏。今日は日差しが強いから、日向は少々暑かっただろう。
「いらっしゃいませ」
まずお客である紳士に、次いで店主であるライカに、そして紳士の後ろに立っている従者2人へと冷茶を差し出した。
「これはこれは、ありがとうございます」
紳士は短く礼を言い、ライカは俺に無言のまま目で礼を言った。そして従者たちも恐縮しながらも冷茶を受け取り、一気に飲み干した。
俺はそのまま下がろうとしたが、ライカからお声が掛かった。
「シュウさんも一緒にお話を聞いてください。……お客様、この者は当店の職人ですので同席させたいのですが」
「もちろん構いませんよ。いや、むしろ職人の方にこそ聞いていただきたい」
ということで、俺はライカの隣に腰を下ろした。
テーブルの上には、布で巻かれた細長い包みが載っている。
「まずは、これを見てください」
紳士は、布をゆっくりとほどき、中身を露わにした。
「これは……時計?」
「柱時計……ですね」
ライカと俺はほぼ同時に声をあげた。
紳士は満足そうに頷く。
「左様でございます。これは先日当家が手に入れた、時計らしき古代遺物なのです。ですが壊れているようで動きません。直せるものでしたら直していただきたいと思い、最近評判の貴店に伺ったというわけです」
「そういうことでしたか」
「どうです、直せますでしょうかな?」
少しだけ挑戦的な目つきをする紳士。
俺は、正直なところを口にする。
「それは、調べてみないことには確実なことは言えませんね。今の段階で、できるできないをお答えするのはかえって無責任というものでしょう」
「なるほど、道理ですね。では、明日には返事をいただけますでしょうか?」
俺は頷く。
「それでしたら大丈夫だと思います」
紳士は一つ頷くと席を立った。
「では、明日までお預け致しましょう。明日の今頃、また伺います。その時にご返事を聞かせていただきましょう」
「わかりました。お預かり証をお渡し致しますので、少々お待ちください」
この言葉に、紳士は感心したようだった。
「預かり証? ……ふむ、なるほど。トラブルを少なくするには有効ですね。確かにこの店は誠実なようです」
「ええと……日付、っと……品物は柱時計、ですね」
預かり証を書いていたライカは、肝心な質問を行った。
「ええと、お客様のお名前はいかが致しましょう?」
「ふむ、そうですな……では、『セバスシャン』と」
「セバスシャン様ですね。……はい、これがお預かり証です」
その名前を聞いて『惜しい!』と思った俺は悪くないと思う。
「確かに。……では、検討をお願いしましたぞ」
ここで俺は、ちょっとだけ言ってみたいセリフを口にした。
「セバスシャン様、直せるようなら直してしまって構いませんよね?」
言ってから後悔した。あんまり格好付かなかったな。
「ええ、修理できるものでしたら、始めてもらって構いません。修理代には糸目を付けませんので」
「承りました」
俺とライカは紳士と従者2人を店の外まで見送った。
3人は大通りまで歩いて行き、そこに待たせていた馬車に乗り込む。
馬車が走り出した時、一瞬だけ、側面に刻まれていた家紋が見えたのだが、
「……あれって……公爵家の家紋?」
と、ライカが驚いたように言う。
「あー、偉い人の執事じゃないかと思っていたけど、公爵様だったか……」
公爵というのは、ヒューマン代表の町会議員だとライカが言う。
要はこの町における人類代表だ。
「ど、どうしましょう、シュウさん? な、直せなかったら町を追い出されるかも……」
俺はライカの頭をぽんぽん、と叩いた。
「落ち着け。柱時計なら直しようはある」
腕時計や懐中時計といった、精密な時計ならともかく、柱時計なら使われている歯車も大きいので、根気よくヤスリで歯車を削りだすのも不可能ではない。
もっとも、多数の部品がなくなったり壊れたりしていては無理だが、外見上は保存状態がよさそうなので、なんとかなるのではないかと思っている。
「とにかく見てみよう」
「……頼りにしてます」
俺とライカは店に戻り、相談コーナーから工房へと柱時計を移動させた。
重さは20キロくらいか。大きさの割に重くはない。
そしてその過程で、俺は大きな発見をした。
「……振り子がない」
「えっ?」
「いや、柱時計なのに振り子がないんだよ。これじゃあ動くわけがない」
そう、この柱時計には振り子が付いていなかったのだ。
筐体には明らかに振り子が下がるスペースがあるし、覗き込むと内部の機械にも、振り子を下げるためのフックがあった。
「文字盤を外してみよう。手伝ってくれ」
「はい」
まず、脇にあったロックを解除して、柱時計の正面扉を開く。ガラス張りなので取り扱いには要注意だ。
「わかりやすく、針は12時に合わせてから外そう」
俺は指で長針と短針を動かし、12時に合わせると、中央のナットを緩めていった。
このあたりは俺の世界の柱時計と同じだな。
「すごい……シュウさんってこんな古代遺物の構造もわかるんですね」
「ああ。俺の世界にも似たようなものがあって、何度か修理しているからな」
「そうなんですか。……凄い世界ですね。一度見てみたいなあ」
そんな会話を交わしながら、俺は針を取り外し、なくさないよう、布を敷いたお盆にそっと載せる。
「文字盤を取り付けているのは……ネジじゃなさそうだな」
俺が扱った柱時計の文字盤は皆、木ネジで取り付けられていたものだが、これは違うようだ。
「ああ、横からピンで留めてあるんだな」
正面から余計なものが見えないよう工夫されているらしい。
左右から2本ずつ、4本のピンを抜くと文字盤が外れ、機械が丸見えになった。
「わあ……こうなっているんですね。なんだか神秘的」
確かに、機械式時計の歯車……輪列は芸術的だと思う。
「歯車は壊れていないな」
ただ、機械油が古くなって固着している箇所があるだけだ。
「こいつも外そう」
俺は、木ネジで背板に留まっている機械を慎重に取り外した。ここの木ネジはマイナス頭である。
お隣の世界の文化だから似通ってくるんだろう。なんにせよ、重大な故障がなさそうで、ほっとした。
さあて、振り子以外に故障がないといいのだが……。




