56 ステラちゃんたちに俺と鬼シリアの過去を話すにゃ
「ああ、……わたくしのかわいいキシリアが……」
美少女の口から飛び出る暴言の数々に、伯爵夫人が顔を両手でおおって泣き崩れた。メイドに付き添われて部屋を出ていく。うん、見た目だけ娘で中身が蛮人なんて、母親の精神衛生上よくないと思う。
『何と言っていいかわからんけど、ごめんにゃ。鬼島さんの蛮行は俺が詫びるにゃ。きっと、もとに戻るまであと一歩だから……』
「キシマ……ってだれ? イナバちゃん、なにか知っているの?」
『教えてイナバ。キシマって、もしかしてわたくしの中にいる誰かのことなの?』
ステラちゃんとキシリアに聞かれ、どこまで話していいものか、鬼シリアを見上げる。鬼シリア本人は椅子でふんぞり返って押し黙っている。
俺に全部言わせる気かこのオッサン。
ステラちゃんもキシリアも、巻き込まれた人間だ。知る権利はある。俺は腹をくくって、自分がこの世界に生まれてからのことを話す。
『にゃ……信じてもらえるかわからないけど。俺、ネコになる前は、普通の人間だったにゃ。日本という国で会社勤めをしていた。そこで生死の境を彷徨って、この国のネコとして生まれてきたにゃ』
あまりに突拍子もないことだからか、ステラちゃんはぽかんとしている。
『そしてキシリアの中にいるのは、俺の上司だった男、鬼島さんなのにゃ。享年五十六。たぶんもともとこっちに生まれたときには、今キシリアの入っているネコだったにゃ』
「おいイナバ享年と言うな。お前と違って俺は死んでない」
ここまでずっと黙っていたくせに、オッサンが悪態をついてきた。だって大型トラックでドンて、ほぼ間違いなくお陀仏じゃんよ。万一生きてても、植物状態か車椅子生活。
「……………え、と、つまりイナバちゃんもキシマさん? も日本という国の人だったの?」
『うにゃ。人だった頃の俺は二十五才で、ステラちゃんと同い年の妹がいたのにゃ』
「イナバちゃんは生まれて間もない子ネコなのにとっても物知りだから、ずっと不思議だったの。私よりずっと年上の人なら、今度からイナバさん、って呼ぶべきなのかしら」
『え、気にするの、そこなの? んー、イナバちゃんのまんまでいいのにゃ。今の俺は生後二ヶ月目の子ネコにゃ』
もしかしてステラちゃん、かなりの天然さんかにゃ。俺が人間だったことをすんなり受け入れた。
問題はキシリアのほうである。
ブルブル震えて泣きわめく。
『そんにゃ。イナバの話が本当なら、今わたくしの中にいるのは五十六才の男性ということ!?』
『……嫌だろうけど、そうにゃ』
『それなりにお年を重ねた人間なのに、この、このわたくしの体の有様はなんにゃの!? 自堕落で部屋を散らかしっぱなし。美しくありませんわ!』
『それはたぶん、鬼島さんがもともとあっちでもそういう生活してたからじゃにゃいかにゃ』
汚部屋に何日も着たまんまのバスローブ、年頃のお嬢様なのに髪も肌もお手入れなし。キシリアの悲しみと悔しさは計り知れない。
俺の記憶が確かなら、鬼島なんかでも一応結婚はしていたはずだ。
女房を家政婦代わりにしていたんだろうなぁ。散らかしといても嫁がそれを片付ける、離婚秒読み夫婦。嫁さんかわいそう。
俺なら仲良く一緒に家事やって円満に過ごすのに。……なんて、カノジョすら作る暇がなかった俺が言っても負け惜しみにしかならん。
「ふん。さっきから聞いていれば、三十年も生きていないガキが俺に何を言う。お前らの倍以上生きているんだ。敬意を払え」
『敬意を払えと言うなら、相応の人間になってから言ってくださいませ! お風呂に入らず身だしなみも整えられないなんて。惰性で生きて年を取ったことを、偉いと勘違いしているだけ。貴方なんて、子ども以下ですわ!』
キシリアがキレた。
ネコ相手に鬼シリアもブチ切れる。壁を殴って怒鳴り散らす。
「はっ。口だけは達者じゃないか、十数年しか生きてない小娘が。お前こそ、自分で働いたことがないからそういう口をきけるんだ。この年になるまでどうやって生きてきた? 着るもの住む場所食うもの、全部親の金だろうが」
『そういうものは大人になって働いて返していくのです。それとも貴方のいた国では年端も行かない子どももすべからく働いて自分の家や服を買っていたとでも?』
あ、この論争、他人が口を挟んじゃいけないやつ。ガンガン怒鳴り合う二人(正確には一人と一匹)からそっと距離を取り、ステラちゃんのカバンに飛び乗る。
『収まるまでほうっておくにゃ。下手に動くと飛び火しそう』
「と、止めなくていいの?」
『怒りに火がついた鬼島さんは一時間は怒鳴りっぱなしだから、鎮火するまで待つにゃ』
鬼シリアとキシリアの喧嘩が一区切りついたのは、予想を大きく裏切って二時間後だった。





