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婚約者を勇者に奪われた騎士、王女の呪いを解くため剣に新たな誓いを立てる~この命は君だけのために!  作者: 名録史郎


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2.

 王女と接する機会などそうそうあるはずがない――ずっとそう思っていた。


 だが、その時は唐突に訪れた。

 謁見の間に呼び出されたティレスに、王は重々しく告げる。


「ティレス。お前には、王女リディアの護衛を命ずる……ティレス、お前にはすまないことをした」


 王の言葉には、幾分かの申し訳なさが滲んでいた。ティレスは一瞬、セリーヌの笑顔と大広間の歓声を思い出した。あの夜、王が勇者アレクシウスとセリーヌの婚約を宣言した瞬間、ティレスの心は砕け散った。だが、その痛みを口にするわけにはいかなかった。


「いえ、王の所為では……」


 ティレスは低く答え、頭を下げた。剣の柄を握る手が、微かに震えた。王は目を伏せ、続けた。


「リディアと共に、魔王の遺物を調査するため地下の宝物庫へ向かってほしい。危険が伴うだろう。ティレス、娘を頼む」


 ティレスは頷き、謁見の間を後にすると、リディアが待っていた。


「騎士ティレス。よろしくお願いします」


 他の人の目があるからか、昨日のことなどおくびにも出さない

 だが、自分の心の奥では、月の庭でのリディアの告白――『本当に想っていたのは、あなたでした』――がずっと響いている。


「さあ、行きましょう」


 リディアの儚い微笑みが、胸を締め付けた。


◇ ◇ ◇


 地下へ続く石の階段は、昼間でも薄暗かった。

 リディアの足元がふと揺らぎ、ティレスは思わず彼女の手を掴んだ。


「っ……失礼しました、殿下」


 慌てて手を離そうとするが、リディアは逆に握り返した。


「ありがとう。……あなたがいてくれると、不思議と心強いのです」


 その言葉に胸が熱くなる。昨夜、月明かりの庭での彼女の姿と重なる。

 振り払えぬ余韻が、喉を詰まらせる。


「殿下……昨日のことは――」


「ええ。……昨日はすみませんでした。あなたは、大切な婚約者を失ったばかりだというのに……」


 リディアはそう囁くと、ほんの一瞬だけ視線を落とし、そして微笑んだ。

 その笑顔は儚く、それでいて覚悟を秘めていた。


「けれど、後悔はしていません……でも、今は王女としての務めを果たさなければ」


 その言葉に、ティレスの胸はさらに締め付けられた。


 やがて地下の宝物庫へ辿り着くと、扉の前で衛兵が倒れていた。

 駆け寄ると、男の顔は死人のように青白い。扉の隙間からは、どこか生臭い気配が漏れ出していた。


 扉を押し開けると、そこには勇者が戦利品として持ち帰った遺物の数々が並んでいる。

 その中に――ひときわ不気味な光を放つ黒水晶のオーブがあった。


 次の瞬間、脈打つように闇が弾けた。

 低い唸りのような振動とともに、瘴気が生き物の息のように広がり出す。


「いけない!」


 リディアが魔力で押さえ込もうと両手を伸ばす。

 指先が触れた瞬間、黒い稲光が迸り、彼女の白い肌を焼くように走った。


「っ……!」


 リディアの体はたちまち青ざめ、頬は削げ落ち、群青の瞳から光が消えていく。


「殿下!」


 ティレスは崩れ落ちる体を抱き上げた。

 その体温は驚くほど冷たく、まるで命が手の中からすり抜けていくようだった。


「ああ、しっかりしてください! 目を……目を開けてくれ!」


 しかし、彼の懸命な叫びに応えるものは、沈黙だけだった。


◇ ◇ ◇ 


 ティレスの腕に抱かれたリディアは、まるで氷雪のように冷たかった。


 そこへ王と勇者アレクシウス、そして重臣たちが駆け込んでくる。


「リディア!」

 王は蒼白な顔で娘に駆け寄り、震える手でその頬を撫でた。


「なんということだ……」


 宮廷魔術師がオーブを凝視し、声を震わせた。

「解析が終わりました。これは……ただの呪物ではありません。魔王が命を絶つ際、自らの魂の欠片を封じ込めた触媒……魔力の高い者を依代に、復活を果たすための器です!」


 言葉に場の空気が凍りついた。


 その瞬間、外から轟音が響き渡る。


「報告! 城門が襲撃を受けています! 魔王の残党と思われる一団が――!」


 血の気が引く参列者たち。勇者アレクシウスが剣を抜き放ち、鋭く命じる。


「俺が出る! 奴らを叩き潰さねば、城も民も危うい!」


 王は必死に娘の体を抱き締め、顔を歪める。


「だが、リディアは……このままでは……」


 沈黙を破ったのは、宮廷魔術師だった。


「一つだけ方法がございます。女神の遺跡に眠る《浄化の石》。それだけが、魔王の呪詛を祓う力を持つ。しかし――」


「しかし?」ティレスが食い気味に問う。


「遺跡は試練の地。入る者の心の弱さを暴き、幻影が挑戦者を呑み込む。……多くの者が帰らぬ場所です」


 重苦しい沈黙が流れる中、ティレスはリディアの青白い顔を見つめた。

 その指先にかすかな温もりを探すが、冷たいまま。


 昨夜の彼女の言葉――「本当に想っていたのは、あなたでした」――が胸に焼き付いて離れない。


 唇を噛み、ティレスは立ち上がった。


「俺が行く」


 王と勇者の視線が彼に注がれる。


「護衛騎士の務めは、殿下を守ること。その命を救えずして、剣を掲げる意味はありません。俺が、必ず《浄化の石》を持ち帰る」


 決意を込めた声が大聖堂を震わせた。

 勇者は一瞬、険しい眼差しを向け、やがて頷いた。


「……いいだろう。俺は外を守る。お前は、王女を救ってこい」


 ティレスは深く頭を垂れ、リディアをそっと寝台に横たえた。


「殿下、どうか……待っていてください」


 そう囁き、彼は剣を強く握りしめた。



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