40話 魔王と抜け殻の器
リデルの目の前に現れた男はハロルドと名乗った。リデルは驚きもせずに不敵な笑みを浮かべたまま、何かに思い至ったかのように口を開く。
「ハロルド……。そうか、お前はあの器の持ち主か。だが、もうヒトではないのだな。まあ、そうでなければカストールの結界を潜り抜け、幾多の兵で囲まれた余の眼前には来られまいて」
「結界など所詮魔力で作られた網だもの。それ以上の魔力で抑え込んでしまえる様な子供だましの結界しか作れない部下しかいないのでは魔王と言ってもたかが知れているんじゃないかな?ハハッ、それにまさかあの程度の兵共に私が手こずるとでも思っていたのか?」
「ククッ、それくらいできねば面白くない。しかし、生憎だが余は脱け殻などに用はない」
「……脱け殻?ひどいなぁ。以前は随分私にご執心の様子だったじゃないか。ああ、なるほど。貴様の目当ては私ではなく「私の身体」の方だったな。でも残念だね、すでに塵のひと欠片も残ってないさ」
わざとおどけたように振る舞うハロルド。しかしその翠玉の瞳は決して笑っていなかった。
「そうだ。お前は生前、古今並び立つ者がいない程の魔力の持ち主であった。人間の限界を超えた実に貴重な存在よ。返す返すも惜しいことをした。王族のアーサーより余程上質な「器」だった。余が呪いによりさらなる魔力の向上をさせて、「器」の土台を完成させるはずだった……」
リデルの纏う闇が一層濃くなる。主人を守るかのようにうごめく闇は蛇のようにハロルドを狙っていた。
ハロルドもまた身体から魔力が滲みでる。その魔力は近づく者をいとも容易く切り裂くと言わんばかりの強烈な意思を持っている。
二人の間に張り詰めた緊張が走る。
そこへ、ハロルドの視界を遮るようにカストールが立ち塞がる。
「ここはこのカストールめにお任せを。リデル様が相手をするまでもございません!」
「カストール、いらぬ。余がこの抜け殻に屈すると思うか?」
「い、いえ!しかし……傷一つでも御身に何かあっては……!」
リデルが「くどい」と発し、カストールを制する。その顔には笑みが浮かんでいた。
「軍を差配せよ。無能な将軍どもを叱咤し、立て直せ。どうやら敵が勢力を盛り返した原因はミナトとかいう小僧にあるようだ。見つけ出し、排除しろ」
「ミナト……以前ローザリア城に侵入してきたネズミですな?今は西セイルスの英雄と持ち上げられているとか」
「そうよ。マージナイツも奴にしてやられた。ならばお前がいかねばなるまい。余の事は心配いらぬ。余が心配ならば速やかに排除してこい」
「承りました。では……」
短くそう告げると、カストールは姿を消した。
「どうだ。あの小僧の事が気になるか?」
「いや。ミナトはもう私が心配しなければならないような存在じゃない。それより貴様は貴様自身の心配をしたほうがいいぞ」
「クククッ面白いのう。だが、その狂気こそ、余が欲するものよ。余とお前は波長が合う。お前が魔族でないのが不思議なくらいだ。お前も余と同じ、欲しいものを手に入れるためには手段を選ばず。そして、手に入れたものを奪おうとする輩には躊躇なくその命を刈りとる。それが例えどんな身分であろうと、どんな立場の者であろうと、そうであろう?」
ハロルドの心を見透かすようにリデルが囁く。
「ふん。だから何だというのだ。別に私は世界の覇権など望んじゃいないからね。同じ性格だろうと求めるものが違うのさ。魔王リデル。魔王というからには貴様は魔族の王なのに、魔族にとって人族は蔑み見下す存在。それが肉体を失い、よりによって卑下していたはずの人間に憑依するとはねぇ?望みの為には何でもするんだね。魔王のプライドってのは案外低いんだ」
だが、リデルはハロルドの挑発には乗らなかった。
「ふっ、その通りだ。これは我の生き様の中でも最大の汚点となろう。しかしそれも一時の事よ。たが残念だ。確かにお前の言う通りこの身体は鍛えられているものの所詮は人族の器。常識を逸脱するようなものではない。王という権力がなければ見向きもせぬさ。しかし、ヒトを支配するにこの身体はなかなかに役立っておる」
「貴様が望んだ「器」は完全に滅したからな。私の死後に貴様が狙うことぐらいお見通しだったよ」
「お前には契約により望む力を与えてやったはずだ。その恩恵によりお前は人族ならざる魔力を得、魔物の大量発生を鎮められた。その代償は死後にその身体を捧げるのみというお前にとってなんの不利もない契約。それを破り身体を消し去るとはな。人間の言う「卑怯者」というやつではないのか?」
「卑怯?ははは、あれは呪いだろう?それによって体内魔力は大幅に引き上げられた。魔法の威力は増し、スキルの振れ幅も大きくなる。それにより肉体は活性化し老化を極端に遅らせられる。……しかし、それは自分の生命を削り、寿命を燃やすのと引き換えに膨大な魔力を得る呪いだ。要は命を強制的に前借りさせ肉体を強化させたに過ぎない。だからこの呪いを受けた者は死期が大幅に早まる。しかも、契約者には解呪する術がない。こんなものは呪いでなくてなんだというんだ?契約内容を故意に伝えていないんだ。それを履行しなくちゃいけない義務はない」
「しかし、それによりお前は目的を果たせた。違うか?お前にあの時契約する以外の選択はなかったのだ」
「その通りだ。それについては何の後悔もないし、納得している。それにあの時の私にはそれが必要だった。あれ程の体内魔力を得るにはそれ相応の代償を支払うのは当然だからな。ただ、お前はその時に言わなかった事がある。私の家族……子孫にまで呪いが継承されるという事。この呪いは私が背負うべき咎だ。それをお前は意図的に隠した。その制裁を受けさせる為に私はここに来た」
「ほぅ、たったそれだけの事でか?死してなお、一矢報いるために余の前に立ったというのか。己の身より子孫がそれほど大事なのか?」
「ああ大事だ。天下国家など私にはなんの興味もない。王などそれこそ誰がやっても構わないと思っている。ただ、それはあくまで私の家族に害が及ばなければ、だ。……私は我が子にとんでもない枷を継がせてしまった。親としてこれほど辛く、申し訳ないと思った事はない。貴様は私の大切な子供達の命まで奪おうとした。私にとって絶対に許す事の出来ない所業だ。その報い、その身に刻め!」
ハロルドの周りに魔力が集まり強風が吹き始める。その風がいくつもの巨大な硬質の半月の刃へと変質した。
「クククッ。家族?血縁がそれほど尊い?愚かだ、実に愚かだ。力のあるものがこの世界を統べるのが本来あるべき世界よ。ヒトという数だけ無尽蔵に増えた劣等種は余に従うしか生き残る術はないのだ!おお、実体を持たぬ空蝉が余に挑むというか。面白い!その牙、存分に向けてみよ!ハッハッハッ!」
両者の身体から更に魔力が溢れ出る。湧き上がる凄まじいオーラが周囲の空間を震わせた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一方、戦場では西セイルス軍と王軍右翼が激しくぶつかり合っていた。
特に南のバーグマン軍の攻勢は苛烈で今までひたすらに耐えてきた鬱憤をはらすかのように反撃に転ずると、引き絞られた矢のごとく、前面の王軍に斬り込む。耳目衆の流した流言を受け動揺していた王軍はそれまでの攻撃が一転、戦線支えるのが精一杯という状況に陥っていた。
西セイルス軍の主力であるアダムス軍からもはっきりと見える。しかし、主力であるエドワード率いるアダムス軍は今だ、動きをみせていなかった。
もちろん、アダムス軍からバーグマン軍の動きは伝わっており、当主のルカからも出撃の要請が入っていた。だがここに来て出撃か、防衛かを巡ってのアダムス家諸将の意見が対立していた。
「エドワード様!敵は旧ナジカ国蜂起の報に動揺しています。ここは我が軍もバーグマン軍とともに攻勢に出て王軍を撃破すべきです!」
ある将が出撃を主張すれば、
「確かに敵は動揺しているように見える。しかし、それが本当に確かな情報なのか?もし敵の流した偽報であったならどうする?もし、敵の策略であれば我々はまんまとその罠に嵌ってしまう事になる。ここは暫し情勢を見極めるべきだ!斥候の確かな報が届いてからでもけっして遅くはない!」
と、自重派の将も慎重論を譲らない。
「それこそ、勝利を遠ざける愚策。バーグマン軍は既に動いているのだ!貴殿は友軍を見殺しにするつもりか!?」
「そもそもバーグマン軍は我らと謀る事なく、勝手に出撃したのだぞ!そして「アダムス軍もこの機を逃すことなく出撃を!」と言ってきたのだ。主力は我がアダムス軍だ。なぜ友軍であるバーグマン軍に主導権を握られなければならぬ!西セイルスについた北ナジカ軍とていつまた王家に寝返るか分かったものではない。これが敵の罠であればいよいよ我らに勝利の目はなくなるのだぞ!」
喧々囂々の応酬が続くが、両者一歩も譲らずなかなか結論はでない。その間、当主であるエドワードは家臣達の言葉に頷きつつ、一切言葉を発する事なく瞑目していた。
エドワードが決断せねば軍は動かず、将校らもエドワードの動向を伺いながら論争に拍車がかかっていく。
「それほどまでに戦が恐いか!?ならば尻尾を巻いてワイダに帰るがよかろう!」
「聞き捨てならんぞ!戦術の何たるかも知らずだだ突撃するだけの猪武者こそ、軍の規律を乱す厄介者であろうが!エドワード様が出撃の命令を出すまで待つこともできぬのか!この猪め!」
「なんだと!?もう一度言ってみろ!」
「おう、何度でも言ってやるわ!」
互いに感情が昂り、ついに互いに剣の柄に手をかけた時だった。ふと何かの気配に気づいたエドワードがを見開き一角を見据える。
「む?お前は……?」
エドワードの声に気づいた諸将が議論を止め一斉にその視線を追う。そこには黒装束に身を包んだ影が畏まっていた。
「刺客か!?エドワード様を御守りせよ!」
素早く家臣達がエドワードを囲みながら抜剣する。
「……いや待て!おおっ、お前は確かミナトの配下の……たしかコタロウだったな?」
「はっ。コタロウに御座います。久方ぶりに御座います。エドワード様」
「安心せよ!この者はわが友ミナト配下のシャドウ、つまり味方だ。一同、剣を収め各々席に着け」
エドワードを護るように集まった諸将が納剣し、それぞれの席へと戻る。しかし、例え主の言葉にも決して警戒はゆるめない。怪しい動きがあれば即座に動けるよう、突然現れたシャドウに鋭い視線を向ける。
「コタロウ、お前の主人ミナトは実に良い働きをしてくれたな!あのマージナイツをリンとたった二人だけで撃退するとは、古今聞いたこともない大戦果だ!友として私も実に鼻が高いぞ!」
「ありがたき。我が主人も喜びましょう」
そう言って鷹揚ない声で頭を垂れるコタロウ。
「うむ。してコタロウ、私に何か用か?お前がここに来るとはよほどの事があったのだろう?」
「はっ。実はエドワード様宛にアダムス辺境伯よりの言伝てを預かっております」
「なに?今、アダムス辺境伯からと言ったか!?」
「御意。まず一つ、アダムス辺境伯は生きておられます」
「なんだと!?父上はアーサー王に殺されたのではなかったのか!?」
全く予期せぬコタロウの発言にエドワード以下、全員が色めき立つ。対して、感情を込める事なく淡々と状況を説明するコタロウ。
「はっ。瀕死の重傷でしたが、密かに助け出され、手当てを受けておりました」
「なぜお前がそれを知り得た?」
「某は主命にて王都の情勢を探っており、辺境伯とも連絡をとっておりました。アダムス辺境伯が凶刃に倒れたあの変事の後、某は辺境伯の身柄を捜索しておりました。その際、ある隠れ家で密かに匿われているのを我が配下が突き止めたのです」
「なるほどな。父は心ある者に助けられたか。それで今はどこにおられる!?」
「現在、辺境伯は王都におります。回復薬を使用し、現在では日常生活を送れるくらいには持ち直しております。ご安心を」
「そうであったか!コタロウ、報告感謝する。では、私も早くこの戦を終わらせ、王都の父上を救い出さねば!」
力強くこぶしを握り締め、エドワードの心は逸った。
「しかしながらエドワード様、実はその王都で現在、クーデターが起こっております」
「クーデターだと!?」
瞬間、息子としての勘がエドワードの胸中をかすめた。
「……まさか、それは父上が起こしたのか!?」
それには周りで見守る諸将もざわついた。コタロウはその問いに対してあっさりとエドワードに告げた。
「まさしく。アダムス辺境伯が冒険者ギルドと手を組み、王城の地下牢に囚われていたセリシア派のマージナイツを解放し、王城を占拠したのです。実は以前よりアダムス辺境伯の指示で冒険者ギルドのグランドマスターとは気脈を通じておりまして、ギルドは西セイルスにつくとの確約を得ておりました」
「なんと……父上がギルドと結託して王城を占拠したなどとは!……しかし、そのような話、私は露ほども知らなかったぞ!?せめて息子である私くらいには報せてもいいのではないか?いつも私は蚊帳の外ではないか!」
何やら考え込むエドワードに護衛のメイソンは声をかけた。
「恐れながらエドワード様。御父上は計画の種は方々に蒔いておきますが、それをするかどうかはその場で急に御決断なさいます。ですから王城占拠のクーデターも今、必要であると思い立ったのだと思います。決してエドワード様を軽んじていたわけではございますまい。むしろ、エドワード様を信頼していらっしゃるからこそ、西セイルスの全権をあっさりとエドワード様にお渡ししたのです」
ワイダで長く父の護衛を務めていたメイソンは引き続き息子のエドワードの護衛も務めることとなっていた。父の西セイルスの盟主としてはいささか破天荒な性格をよく知るメイソンの言葉に、エドワードは苦笑いとともに安堵した。
「しかし……むむう、やはりアダムス伯を継いだとはいえ、私は父上には敵わぬなぁ……。私は死地を切り抜けた後、王都を占拠しようとする酔狂な真似はできぬわ」
「誰も彼の方のようにはなれませぬ。しかしながら、エドワード様も唯一無二のお方であると、私達ワイダの、そして西セイルスの民は思っております」
跪くメイソンに対し、エドワードは、
「では、そなたたちの信頼を裏切るわけにはいかないな」
と、頷いた。
「これが、最後の報告であります。既に敵陣の中に伝令に扮した我が配下を潜り込ませ、情報をばら撒いております。敵は混乱し士気も落ちておりましょう。エドワード様」
そして、コタロウの報告を聞き終わり、エドワードはすっくと立ち上がると諸将を見据えた。
「バーグマン家初代ハロルド殿と父チェスターは深い友誼を結んだ無二の友。そして、現領主ルカ殿は若いが非常に聡明な男。そしてその彼が時勢を誤り、勢いのみで出撃するような愚かな領主ではない。ルカ殿は勝利を確信したからこそ動いた。私にとって彼は弟のようなもの。であるなら兄が弟を見捨てて傍観している訳にはいくまい!そうであろう皆の者!」
「ははっ!!」
「これは決して私情からではない!父もまた遠く王都で戦っている。この戦いを勝利に終わらせ、一刻も早く西セイルスの賢公を救いにいこうではないか!」
「おおー!!」
諸将が一斉に立ち上がると各隊へと散っていく。がらんとした本陣でエドワードはコタロウに視線を向ける。
「お前の報せは我が軍を奮いたたせ決断させてくれた。感謝するぞコタロウ」
「はっ。それともう一つ、実はハロルド様も我が主と共にこの戦場に来ております」
「なんと、ハロルド殿がここに来ているのか!それは心強いことだ!だが、尚の事、無様な姿を見せる訳にはいかないではないか。後で父との酒の肴にされたのではたまらんからな」
「御意。では某はこれで」
コタロウが去ったあと。エドワードが愛剣を腰から引き抜き、じっと見つめる。それは飾り気のない一振りの剣。しかし、それはアダムス辺境伯から受け継いだアダムス家に伝わる宝剣。そして、アダムス家当主のみが佩く事を許された家宝。
「当主とは迷ってはならぬ。その時はこの剣を持ち、そのを断ち切れ、か……。ふふっ」
つい先ほどまで、エドワードは迷っていた。
そんな姿を見せまいとエドワードは必死に重圧に耐えていた。継いでみて初めてわかる西セイルスを率いるアダムス家当主という重責がエドワードの双肩にのしかかっていた。
あの飄々とした態度の裏で父は西セイルスの為、人知れず悩み、心を砕いていたに違いない。そんな事も理解できず父に反発していた自分の浅はかさが今なら解る。だが、今ならわかる。賭けるのだ。自分の能力、命、すべてを賭して。民を、国を守るだけなのだ。
「やはり父上の言っていた事は正しかった。私はまだまだ嘴の黄色い雛鳥よ。しかし、それを言い訳に逃げるわけにはいかぬ!」
『まずは家臣の意見を全て吐き出させ、本音がでるまで戦わせる。そして場が煮詰まったと判断したら、力強く自らの意見を述べる。当主として何より大切なのは自分を信じる事だ』
時にその言動に憤り、時にその行動に呆れ、そして、誰より尊敬する父の言葉を噛み締め、愛馬に跨ったエドワード。馬上から全軍に響かんばかりの大声を張り上げる。
「バーグマン軍を絶対に見殺しにはしまいぞ!勇敢なるアダムス軍の兵どもよ!このエドワードに続け!出撃だ!!」
「オオーッ!!」
アダムス軍もまた大きな渦となり、王軍に突撃していった。




