371 もう一度だけ
体の状態は思っていた以上に深刻だった。
ただ歩くだけですら人の手を借りなければ儘ならなず、当然魔法など欠片も扱えない。
それでも、私はまだここに存在している。
多くの人々が不安を抱えながら、それでも帰らぬ旅路へと歩んでいく。
巨大飛空機関船は、この中央大陸の人々を一息で乗せ切るだけの空間を有している。
そのお陰で、大きな混乱も無く避難は進んでいた。
その様子をフェオールの王城から見下ろしながら、私は空を見上げる、、、今や、この聖域の空は昼夜問わず紅く染まっている。
メルダエグニティスの力が増し、女神の加護が侵食されつつあるのだ。
やがて大地も紅く染まり、力無き者は呑まれ魔物と化してしまう死の領域と成り果てるだろう。
「邪神は来るのでしょうか?」
私を支えていたミレイユ様が不安を覗かせながら空を、そして私の顔を見つめる。
「必ず。その時が最後の機となります。この残滓の全てを賭して、貴女達の思いをあの子へと届かせましょう」
「グレイス様、、、」
私の言葉に表情を曇らせるミレイユ様の、その頬に手を伸ばし、
「ありがとうございます。貴女の優しさは私をも包んでくれました。だからこそ、それをお返ししなければなりません。私にはそれを授かる資格など無いのです」
「そのような事は、、、」
「いいえ。あの子が、リターニアが過酷な運命を歩む事になった原因は私なのです。だからこそ、この身この魂を捧げてでも救おうとした、、、それがただの贖罪でしかなくとも。結局、それすらも果たせず、あの子を更なる絶望へと堕としてしまった、、、その責を果たさねば、死んでも死に切れない、ただそれだけなのです」
これは懺悔だ、何の意味も無い吐露だ。
だけど、残しておかねばならない、、、私は紛う事無く、裏切りの聖女なのだ。
一人の少女を生贄にし、世界を救う事を選んだ私に、救済など求めるべくも無い。
それでも、もう一度だけ赦されるなら、あの子を救う、、、いいえ、救わねばならないのだ。
「グレイス様、、、」
私の覚悟に、まるで自分の事のように悲しみを抱くミレイユ様。
その彼女の左手に触れ、一粒程度の魔力を渡す。
「暖かい、、、これは?」
「些細なものですが、祈りと祝福を貴女に」
瞬きの間にそれは終わり、左手を愛おしそうに胸に抱くミレイユ様、その姿は聖女に相応しく、だからこそその責を負わせる事は出来ない。
翌日、異変は起きた。
空が鳴き、大地は震え、空気は澱み、、、
既に人々の避難は完了し、あとは飛空機関船の離陸を待つだけとなった、その時を待っていたと言わんばかりに事態は動いた。
民の避難を待っていたフェオールの国王以下、為政者の面々も飛空機関船へと乗り込み、最後に残されたのは、
「皆様、どうあれこれが最後の時です。宜しいですね?」
私の言葉にそれぞれの想いを秘めた顔をこちらに向けるのは、聖痕を持つ四人。
私に出来るのは、彼らの聖痕を通じてその心を邪神の奥底に居るリターニアへと届ける事だけ。
メルダエグニティスは確かに魂を取り戻し、今や全盛期以上の力すら得ている。
だけど、その体はどのような経緯があれどリターニアのものなのだ。
故に、あの子が一時的にでも表に浮き上がる事が出来れば、まだ手が打てる。
結果として私と、ワルオセルネイ様は完全に消え去る事にはなる、、、そこに恐れも後悔も無い。
何故なら、初めからそう決めていたから。
あの日、あの子に全てを背負わせると決断した時から、この結末は定められた。
どうかそんな日が来る事なく、穏やかに死する事が出来ればと願いはした、、、それすらも我が罪。
「私達はもう一隻の飛空機関船に乗ります。邪神は必ず現れるでしょうから、我らは囮となり、避難船の血路を切り開く。同時に、私の力で皆様の聖痕の力を邪神へとぶつけ、リターニアを呼び起こす、、、あとは、あの子次第です」
誰もが言葉無く、だけど力強く頷いてみせる。
彼らは既に覚悟を決めている、ならば、、、
「偉大なるミデン!邪神の配下の襲撃です!」
マンベルの遣いが駆け込んできて、室内の緊張が一気に高まる。
「では皆様、参りましょう!」
レオーネ殿下が皆を鼓舞するように右手を掲げる、その手から聖痕の光が溢れ、この場に居る者達に勇気を与える。
用意されていた馬車に乗り、急いで飛空機関船へと向かう。
既に避難船は全ての動力に火が入り、轟音と烈風を巻き起こしながらゆっくりと地面から離れ始めていた。
そこから少し離れた場所には、救世同盟の戦闘用飛空機関船が十隻控えており、既に半分が空へと飛び立ち飛来していたスコーネを迎撃していた。
まだ地上にあった一隻に私達も乗り込み、それが済むと同時に動力炉が唸りを上げ始める。
「さようなら、、、我が愛しき故郷」
窓からフェオールの街を見下ろしていたミレイユ様がそう呟き、それを振り切るように飛空機関船は一気に速度を上げていく。
「配下との戦闘は他の船に任せます。我らが向かうはただ一つ、邪神の下のみです!」
私の声に船員達が声を上げ、飛空機関船は他の船から離れていく、、、そして。




