322 凶獣
魔力で水を掻き集め、燃え上がる本へと浴びせる。
だけど、火の手は瞬く間に周りへと広がり、そこへ更にスコーネが放つ炎が加わって最早どうにもならない。
多分、本来であればこういった事態でも本は燃えずに済んでいた筈だけど、今や護りの魔法は失われている。
炎に包まれながらも燃え尽きずに残っている本は、最近納められた、まだ魔法の効果が残っている物だけだろう。
「アンタ、自分のした事分かってるの!?」
「無論じゃ。何をそんなに憤る?メルダエグニティスが目覚めればこの聖域は崩落する運命。であれば、こんな物を残したとて無意味であろう」
渦巻く炎の中心で睨み合う私とスコーネ。
外が騒がしくなってきているから、建物自体も燃え始めたのだろうけど、それを気にしている余裕は無い。
(マズイわね、、、こいつ、底が見えない)
そもそも、最初に見せたあの巨大な姿の時ですらまだまだ力を隠していたのだ。
それが人の姿になった所で、別に弱くなった訳でも手を抜いている訳でも無い。
事実、こうして向かい合っているだけなのに、炎の熱による物とはまた違う汗が背を伝う。
「安心せい、其方を殺しはせぬ、それでは意味が無いからのう。じゃが、多少は理解させねばならぬのもまた事実。己が本分を思い出させてやろうぞ」
その言葉と共に背中の翼が大きく開かれる。
そして、その翼膜から大量の魔力が溢れ出し、無数の炎の槍が姿を現す。
「ちょっ、反則っ!」
「手足ぐらいは捥いでも構わぬでな、死に物狂いで躱してみせよ」
瞬間、認識すら出来ない速度で炎の槍が私の真横を通り過ぎる。
その熱を肌で感じながら、身体強化を掛けて扉へと駆け出す。
「む、それはならぬ」
声が聞こえるのと同時に扉の前に無数の槍が突き刺さり、音が聞こえる程の勢いで燃え上がる、、、まるで炎の壁、なんて呑気に考える余裕は無い。
咄嗟に床を蹴り、扉の前から飛び退いた直後にその床が爆ぜる。
突き刺さった炎の槍はまるで溶ける様にその火を辺り一面に広げ、建物を覆っていく。
(もう本どころか建物すらどうしようもない。せめて周りに燃え移らないようにだけはしたい、けどっ!)
策を考える暇も無い。
スコーネの翼から放たれる大量の炎は違わずに私を狙ってくる、、、しかも、嬲るかのように敢えて全て同時では無く、数本づつで。
お陰でまだ回避は出来ているけど、そのせいで火の手はあっという間に建物の屋根にまで届いてしまった。
いつもなら、相手の魔法など私の障壁の前には効果を成さないのだけど、スコーネの放つそれは明らかに違う。
魔法ではあるけど、断絶山脈で見せた魔法と同じで私の、いや、この時代に於いては知り得ない未知の力だ。
加えて、彼女自身が幻獣などという未知の存在であるなら、神に創造されたその力は私でも及ばないだろう。
今この身に宿す九つの聖痕、それで果たして何処まで彼女に迫れるだろうか。
床が焼け落ち、本棚が崩れ落ち、本が火の粉となって舞い落ちる。
「流石は依代よ、ここまで粘るとはの」
スコーネの言葉も耳に届かない。
彼女の攻撃は少しづつ激しくなり、炎の槍がいよいよ私を掠め始めたのだ。
すぐ近くを通るだけで猛烈な熱が襲い掛かるのに、それが体に触れればどうなるか。
「ったく、つくづく反則だらけね、アンタ」
「この程度、まだまだ小手調べどころでは無いぞ。準備運動にも足らん、ただの遊びよ」
中々に言ってくれる、けど、それが本当の事だと嫌でも理解出来る。
建物やら本やらはあっという間に焼き尽くした炎の槍、それが私に当たると物理的な傷となる、、、つまり、魔法という無形の物を、私に触れた瞬間にだけ有形の刃へと変化させているのだ。
しかも、飛んでくる槍全てにそれを行っているようで、気が付けば手足に多くの傷が付けられていた。
こんな芸当、頭が幾つあったって出来やしないのに、それをスコーネはさも当然の様にやって見せている。
これで力の差を感じない訳が無いのだけど、残念ながら彼女はこれでいてまだ全然本気では無い。
「ふむ、やはり聖痕を持つと尋常では止められぬか」
傷を回復させ、スコーネを睨む私を見て彼女が呟く。
その無防備な体目掛けて雷を無数に放つけど、それすら意に介す事無く受け止められてしまう。
いや、魔法自体は間違いなく当たってはいる。
だけど、聖痕を使って魔力を注ぎ込んだ魔法ですら彼女には傷一つ与えられない。
「悪くは無い。だが、我には如何なる攻撃は通じぬぞ。ましてや其方の力の根源はメルダエグニティスに依る物。であれば、同じ力から産み出された我には尚の事通用せぬ」
「、、、つまり、私ではアンタに勝てないって事?」
「付け足すならば、そも我は古より生きし幻獣。例えどの様な理由があろうと、人が届く道理など有りはせん」
スコーネの背後の壁が崩れ落ち、炎の向こうに空が見える、、、それと。
「なら、私以外の相手をしてなさい!」
私の声と同時に、スコーネの背に幾つもの氷の礫が突き刺さり、広げられていた翼膜が切り裂かれる。
「なにっ!?我に傷を与えるだと!」
驚きに目を見開いて後ろに振り返るスコーネ。
その視線の先に、風を纏い宙に浮かび上がったプリエールが居た。




