13 婚約者ニース視点②
ニースが幽閉されている場所は、地下牢とはいえ、王城内にあるものだ。
それほど劣悪な環境ではなかった。
ランプがあるので周囲も見渡せるし、寒さも感じない。石畳の床は少し冷たいが、実家に頼めば敷物やクッションを差し入れてもらうことも可能になっていた。
だがニースは誰とも連絡を取ろうともせずに床に座り込んだまま、どうしてこうなってしまったのか、繰り返し考えていた。
(マリアン……。エミリア……)
脳裏に浮かぶのは、ふたりの女性のことだ。
美しい婚約者マリアンと、約束された未来。
さらに、自分を心から愛してくれるかわいらしい恋人のエミリアもいた。
ニースは、もちろんマリアンとそのまま結婚するつもりだった。
エミリアには悲しい想いをさせてしまうが、その分大切にするつもりだったし、金銭的にも不自由はさせないと誓っていた。エミリアも、自分の立場を思いやってくれて、傍に居られるのなら形には拘らないと言ってくれたのに。
(それなのに、なぜだ。どうしてこんなことに……)
最初の躓きは、やはり王城内でエミリアと抱き合ってしまったことかもしれない。
そして、その場所に不幸にもマリアンが居合わせてしまった。
あの置き手紙を読むまでは、幼馴染のような存在であるマリアンが、自分を愛していたなんて思わなかった。
美しい女性に心を寄せられて、嬉しくないはずがない。
だが自分を愛しているのならば、姿を消したりせずに、ただエミリアの存在を許してくれるだけでよかったのだ。
エミリアは控えめで優しい女性だ。
マリアンの地位を脅かしたりしないし、ニースと一緒に住みたいという願望も持っていない。
ただ、月に数日、彼女の元に通うことを許してくれるだけでよかったのだ。
(そうだ。エミリアは優しい。きっと私の立場が悪くなることを危惧して、あんな態度を取ってしまったのだろう)
そう、彼女はマリアンに申し訳ないから身を引くと言っていた。きっとニースを守るために、そんなことを口にしたのだろう。
愛しているなんて、言っていない。勘違いだと言われて逆上してしまったが、そう思えば彼女のあのときの態度を理解することができる。
それなのに騙していたのかと怒鳴ってしまった。さらに振り上げた手が、偶然彼女に当たってしまったのだ。
「エミリアに、謝らなくては。すべて私のためだったのに」
立ち上がってそう言うと、地下牢の入り口から嘲笑うような声がした。
「……愚かな男だ。まだ利用されていたことに気が付かないとは」
「誰だ! この私を愚か者呼ばわりするとは!」
警備兵が自分のことを嘲笑っていると思ったニースは、声を張り上げてそう言った。
けれど姿を現したのは、サザリア公爵家の嫡男であるリオだった。
彼の銀髪が地下牢の明かりに照らされて、月の光のように輝いていた。
「……っ」
その姿を見て、ニースは青ざめる。
ニースは取り調べのために、王城にある部屋に連行された。
地下牢から出ることはできたが、もちろん罪人扱いで、部屋の入り口には帯剣した騎士がふたりいた。
少し恋人と口喧嘩をしたくらいで、大袈裟なことだと思う。
だが、たしかに王城内で騒動を起こしてしまったのは、失敗だったと反省していた。
こうなってしまったからには、なるべくおとなしく取り調べを受けるしかない。そうすれば、すぐに釈放されるだろう。
そもそもあの程度のことで、地下牢に入れられるなどあり得ないことだ。釈放されたら抗議して、護衛騎士に謝罪してもらわなくては気がすまない。
そんなことを考えていたニースだったが、目の前にいるリオがいつまでも沈黙したままなのが、気に掛かっていた。
サザリア公爵家の嫡男である彼は、王太子であるロランドの側近であり、いずれは妹の結婚によって、王太子の義兄になるだろう。
冷酷で恐ろしい男だと言われているが、こうして黙って座っているだけなら、それほど恐怖は感じない。むしろ優男に見えるほどだ。
噂がひとり歩きしているのかもしれないな、と思った瞬間、リオがふとニースを見て、笑みを浮かべた。
背筋がぞわりとするほどの、壮絶な笑みだった。
「ああ、始まったようだ」
彼はそう言うと、周囲に待機していた騎士に指示をした。騎士は、ニースを壁の近くに座らせた。
「い、いったい何を……」
このまま殺されてしまうのではないか。
そんな恐怖を覚えて思わず声を上げると、静かにするように騎士に命じられる。
「……な」
抗議しようとしたとき、壁の向こう側から女性の声がした。
「ですから、私はずっと彼に脅されていたのです」
聞き覚えのある愛らしい声。
間違いなく、最愛のエミリアの声だった。
(エミリア? 彼女も取り調べを受けているのか?)
聞こえてきた話によると、彼女はあの夜、取り調べを受けてから一度家に帰されたものの、再び王城に呼ばれて詰問されているようだ。
「彼とは?」
年老いた男の声がした。
どうやらエミリアの取り調べをしているのは、若い男ではないようだ。そのことに安堵しながら、彼女の声に耳を傾ける。
「もちろん、ニース様よ。私はずっと彼に脅されていた。言葉だけじゃない。本当に暴力も受けていたの。あの日、彼に殴られたところを、多くの人が見ていたでしょう?」
(エミリア? 何を……)
これが彼女の言葉だなんて、信じられない。
思わず立ち上がると、騎士に押さえつけられた。壁に顔が当たり、声がますますよく聞こえてきた。
「愛してなどいないわ。そう言うように強要されていたの。ただ、怖かったから言う通りにしていただけ。マリアン様にも、本当に申し訳ないことをしてしまったと思っているの」
なぜだ。
身体が震える。
ニースを庇ってそう言っているのだと思っていた。
そう信じていた。
けれど彼女の発言は、どう考えても保身のためだ。自分を守るために、ニースにすべてを押しつけようとしている。
大声で嘘だと叫びたいのに、あまりの憤りに、声も出せない。
ふと、背後で嘲笑う声がした。
「どうやら彼女の方が、一枚上手だったようだな」
リオが、ニースを見て笑っていた。
「……くそっ」
逆上したニースは、自分を押さえつけていた騎士の剣を素早く引き抜くと、それを思いきり振りかざした。
「私を馬鹿にするな!」
王城で剣を振り回してしまえば、もう謹慎だけではすまない。
反逆罪で極刑になる可能性もあった。
だが、そのときのニースはそんなことまで考えられなかった。




