12、姉たちの交渉/レオの心配
サーシアがニンゲンの王子──レオによって城に連れ戻されるまでの一部始終を岩陰から見ていたサーシアの姉たちは、そこからまっすぐ魔女の元へ向かった。
「確かあなた、サーシアが愛するニンゲンの心を射止めたら、声をサーシアに返すしサーシアは海の泡にならなくて済むって言ってたわよね!?」
「なのにどういうこと!? 好きな相手の子どもを妊娠したみたいなのに、サーシアに声が戻ってないじゃない!」
あばら家の中に入ってすぐ、突き飛ばすような勢いで詰め寄ってきたサーシアの姉たちに、魔女はサーシアの声で感心しきりに言った。
「ほー、あの小娘、愛する男の子どもを身ごもったのかい。やるねぇ、小娘のくせに」
「どういうことなのか説明して!」
「あたしゃあの子に、愛しい男の心を射止めたら声を返してやると言ったんだ。声が返ってないってことは、男はまだあの子を好いてないってことになるねぇ。好き合った者同士でなくったって、やることをやってりゃ子どもくらいできるさね」
「す、好きでもないのにサーシアを……!?」
「あんのど腐れ王子―!!」
いきりたつ姉たちに、魔女は肩を揺らして笑いながら告げた。
「あの男はもう王子ではないよ。あんたたちの大事な妹と結婚して、王位に就いたんだ。あの国のしきたりでね、王位を継ぐ者は結婚してなくちゃならなくて、あの男はずっとその相手を探していたんだ。そこにあの子が現れて、王位を継ぐべき日まで時間もないし、身寄りのないあの子を手元で保護するためもあって、あの子にプロポーズして、それをあの子が受けたんだよ」
姉たちは怒りのぶつけどころをなくして黙り込んだ。
王位を継ぐためにサーシアを利用しただけというのなら怒り心頭なのだが、陸に身寄りがあるわけのないサーシアを保護するためもあって結婚したというのなら怒る一方ではいられない。そしてサーシアが承諾しての結婚であるならば、姉とはいえ夫婦間のことに口出しする筋合いはないのだ。
静まり返ってしまったところで、リリアがサーシアの姉たちの横から魔女に懇願した。
「そんなことはどうでもいいんです! サーシア様をもとに戻す方法はあるんですか? 何だって差し上げますから、どうかその方法を売ってください!」
「口は災いのもとだよ、リリア。あたしがあんたの命を欲しがったらどうするつもりだい?」
セラがリリアをかばって背中に隠す。
「リリアの言葉は撤回します。命までは差し上げられませんが、その他のものでしたら交渉次第でそれなりに価値のあるものをご用意しますので、どうかサーシア様を助ける方法を教えてください」
「その前に、ちょいと聞きたいことがあるんだけどね」
しわくちゃの老婆がサーシアの声でサーシアが使ったことのない言葉遣いをするのでひどい違和感がある。
「何だ?」
サーシアの兄が眉をしかめながら先を促すと、魔女はにやりと挑発的に笑った。
「あんたたちは、あの子に戻ってきて欲しいのかい? それともあの子にしあわせになって欲しいのかい?」
「そんなの、両方ともに決まってるじゃない! ニンゲンなんかに恋をしたのがそもそもまちがいだったのよ! サーシアがあんなふうに悲しそうに笑うなんて……よっぽどつらいことがあったんだわ。あのニンゲンの側にいたって、サーシアはしあわせになれない。海に戻ってきたほうがよっぽどかしあわせなのよ」
そう言って唇を噛みしめるサーシアの姉に魔女は言った。
「そうとも限らないさ。海に戻るってことは、あんたたちに二度と会えなくなることも承知の上で会いに行った男をあきらめなくちゃならなくなる。そこまで恋焦がれた相手をあきらめるのは、海の泡になるよりつらいことだと思うんだけどねぇ……。あ、先に言っとくが、記憶を消すなんていう薬はないからね。それであんたたちは、あの子が毎日悲嘆に暮れる姿を見ることになっても海に戻したいのか、それともあの男があの子を好きになる可能性にかけて今のまま見守るか。二つに一つ、どっちを選ぶんだい?」
悩み黙り込んでしまった中から、リリアがぽつんと言った。
「わたしは、サーシア様がしあわせであってくださるのなら、悲しいけれど二度と会えなくなっても構いません。でも、さきほど見たようなお顔をされているサーシア様が、この先しあわせになれるとはとても思えないんです……」
それ以上言葉を続けられず、リリアは両手を胸元で握り合わせうつむいてしまう。セラは悲しげに顔をしかめて、そんなリリアの肩を抱いた。
リリアの言葉を聞いて、先程海に戻って来たほうがしあわせになれると言った姉が気まずそうに口を開く。
「わたしだって……自分の気持ちより、サーシアの気持ちを大事にしたいわ。でも、たとえサーシアが不幸になったとしても、あの子が海の泡になってしまうのは絶対嫌。そもそも、選択肢はわたしたちじゃなくサーシアにあるのよ。まだまだ心配なところはあるけれど、あの子だって十六歳の誕生日を迎えた大人ですもの」
「よくわかってるじゃないか。そうさ、選択肢はあんたたちのものではなく、あの子のもんさ」
思い詰めながら答えた姉は、おもむろにこぶしを振り上げた。
「真剣に考えて答えてみれば──このババア、な、殴る……!」
「わー! レーメル、落ち着け! 魔女の機嫌を損ねてサーシアを助けてもらえなくなったらどうする!」
暴れようとするレーメルを、他の者たちで取り押さえる。その騒ぎを見て、魔女はサーシアの声で「ひぇ、ひぇ、ひぇ」と笑った。
「いいねぇ、麗しききょうだい愛だ。その心に免じて骨折ってやろうじゃないか」
「本当ですか!?」
リリアはすぐさま振り向いて嬉しそうに声を上げる。
「ああすまない、あんたはあの子の姉じゃなかったね。あんたの場合は何て言ったらいいんだろうね?」
「そんなことはどうでもいいんです! どうやったらサーシア様を救えるんですか!?」
すがりつく勢いで尋ねるリリアに、魔女はしわくちゃの顔でにたにたと笑った。
「慌てなさんな。しばらくの間、待ってておやり。あの子の恋が叶うかどうかは、これからが本番さ。これから、あの子には最大の試練が訪れる。その試練に勝つことができなかった時は、あたしがじきじきにあの子を迎えに行ってやろう。そして人魚に戻してあんたたちに返してあげるよ」
「最大の試練……?」
言葉の不穏さを感じ取りおそるおそる尋ねた姉に、魔女はまた「ひぇ、ひぇ、ひぇ」と笑ったきり答えることはなかった。
──・──・──
「ああよかった。これで何も思い残すことはないわ」
母であり王太后でもあるクローディアは、シーナの懐妊を知ってからというもの、レオに会うたびにさまざまな言葉に変えて喜びを口にする。
この日も政務のことで相談があって母の私室を訪問したのに、まず最初にそんな話から始まったのでレオは苦笑した。
「今から父上のもとへ行くつもりでいてもらっては困ります、母上」
「そうね。孫の顔を見て、孫の成長を見て、孫が王位を継ぐところまで見てから、天国のあの人に報告に行かなくちゃね」
差し向いのソファに座りうきうきと話すクローディアに、レオは少々疲れを覚えてしまい小さくため息をつく。
レオの浮かない表情に気付いて、クローディアは心配そうにレオの顔をのぞき込んだ。
「どうしたの? 待望の赤ちゃんができたのに、何だか嬉しそうじゃないわねぇ……シーナの様子は確かに心配だけれども」
そうなのだ。子どもは嬉しいけれど、レオはシーナのことが心配だった。
懐妊がわかった夜以来、シーナはふさぎこんでしまった。つわりがおさまって食欲は戻ってきたようだけど、いつも見せてくれていた花のような笑顔は絶えてしまった。妊娠すると女性は情緒不安定になることもあると言われたけれど、心配なものは心配だ。
レオが側に寄ると悲しげに伏せられる目。
「本当は、僕との子どもは欲しくなかった?」
覚悟を決めて問いかけてみても、恐れていた答えは返ってこなく、シーナはただ首を横に振るばかり。
「僕と一緒の寝台で休むのがつらかったら、僕は別の部屋に行くよ?」
これにも首を横に振る。
何故急に、こんなに悲しい顔をするようになったのかさっぱりわからない。
こういうとき、シーナの気持ちを聞けないのはもどかしい。彼女の憂いを全て取りはらってあげたいのに。
「前から尋ねよう尋ねようと思っていたのだけど」
クローディアの声に、レオは物思いからはっと我に返った。目を向ければ、クローディアはいぶかしげに眉をひそめ、尋ねてくる。
「あなたは、本当はシーナのことを愛していないのではないの?」
直球すぎる問いかけに、一瞬硬直し息が止まる。が、すぐに体から力を抜いて息を吐いた。さすがは母親と言うべきか、見ていないようでちゃんと見ていたということだ。
「……わたしは、公の場で何かへまをやらかしましたか? シーナに冷たい態度を取っていたとか」
「そんなことはないわ。誰の目から見てもしあわせそうな、理想の夫婦を演じていました。ですが、近しい者の目から見れば“演じていた”のだと何となくわかるのです。
あなたのエスコートは完璧でした。シーナをいたわる気持ちにも嘘偽りはなかったでしょう。けれど、あなたの言動にシーナを愛するばかりに感情が先走るといった情熱を、一度も見たことがないように思うのです」
そういうことか。
レオは自分の考えの甘さをつくづく恥入った。完璧なエスコートといたわりの気持ちがありさえすれば、シーナに愛情を持っているように人の目に映ると思っていたのだけど、本当に愛するが故にしでかしてしまう“へま”というものがなければ、見る人によっては“演じている”と思われてしまうということだ。
「わたしは“演じていた”つもりはありませんよ。すべてしたくてしていたことです」
そう。彼女を抱くのも、その合間に愛の言葉をささやくのも。
言葉に気持ちがこもらなくても、自分を愛してくれる彼女に言ってやりたかった。
「彼女を愛していないことは認めましょう。……実はダリスにすでに言われていたことなのです。 “愛すると誓ったからといって愛せるようになるほど、人の心は単純ではない”と。ダリスの言う通り、人を愛する心というものは自分自身のものであってもままならないものです。ですが、彼女と結婚すると決めて結婚した以上、彼女を愛してしあわせにしてやりたいと思っています」
きっぱり言い切ると、クローディアはあきらめのようなため息をついた。
「結婚をして子どももできたのですから、そうやすやすと離婚してもらっては困りますが、あなたたち自身のしあわせについてよく意思の疎通を図りなさい。シーナがしゃべることができず筆談もいまだできない状況だから大変だとは思いますが」
それもダリスに言われたな……。
思い出し、レオは内心自嘲的になる。
「はい、わかりました。心がけます」
模範的な返答に不安になったのだろう。クローディアはいっそう眉をひそめて言う。
「レオ、重ねて言わせてもらうけど、どちらか一方が相手のことを好きなだけでは、夫婦関係はいつか破綻してしまうものなのだと覚えておいて」
レオは胸の内に苦いものを感じながら、観念して言った。
「……母上も気付いてらっしゃいましたか」
「当り前よ。シーナの一挙手一投足があなたを好きだって言っていたもの。あんなにかわいい子にあそこまで愛されているのに、どうしてあなたの心が動かないのか不思議でならなかったわ」
シーナもレオのことを愛していないということになればお互い様ということになるが、シーナがレオを愛してしかもそれを周囲の人々に知られてしまっているというのはいたたまれない。
「あなたがなかなか結婚相手を決めなかったから、もしかするとあなたは女性が駄目なのかもって心配していたけど、よかったわ、子どもができて」
「……それで、こちらにお伺いしたのは、相談があったからなのですが」
下手につっこみを入れて話をふくらませるのはやめ、レオはクローディアに切り出した。
相談を終えたレオは、執務室に戻りながら考えた。
シーナに自分の本当の気持ちを話したほうがいいのかもしれない。
今はまだ愛せずにいるけれど、次第に君に惹かれつつあるのだと。
シーナにもレオが愛していないことはバレてしまっているだろう。だからそのことを隠す必要がなくなった。レオの心の変化はシーナにとって嬉しい知らせとなるだろうに何故ためらっているかというと、レオは自分の気持ちが後ろめたかったからだった。
もともと、あの人魚に似ているから愛せるようになるのではないかと思って、シーナとの結婚を決めた。だが、本当にそうなってくると、その気持ちに責め苛まれるようになった。
シーナを身代わりにしたということに、罪悪感でいっぱいになって。
意思の疎通ができなくても、明るくて周囲のみんなに好かれていたシーナ。
レオの関心を引こうと、無邪気にすりよってきたシーナ。
花のような笑顔を見ると、レオまでもしあわせな気分になって。
そのしあわせを壊したのはレオ自身だ。彼女の気持ちに気付いていながら、それに応えてやれなかった。
花のようだった笑顔はしおれ、無理に笑う様子が痛々しくて、ダリスにもそのことでなじられた。
何とかしてやらなければならないのはわかっている。だがどうしたらいいのかわからない。
身代わりではなく、シーナ自身を愛してやれればよかった……。
後悔の念とともに、人魚への想いがシーナへ気持ちを向けることを阻む呪縛になりつつあるのを、レオは感じていた。




