20:竜達の王
突然巻き起こった突風に、腕で顔を覆いながら、目を閉じる。
砂埃が舞い上がる中、恐る恐る目を開ければ──あれほど恐ろしいと感じた赤竜が、岩山に埋もれるようにして吹き飛んでいた。
「な……」
突然のことに、唖然としてしまう。
そんな私の頭上──影差す上空から、低い唸り声が聞こえてきた。
『──何か言い残すことがあれば、聞いてやろう』
怒りを押し殺したような思念が伝わってくる。
すっかり聞き慣れた人型から発せられる声とはどこか違う──一番最初にダンジョンを突き破って現れた、あの死黒竜の声だ。
「……ヴィルベル?」
上空を見上げ、恐る恐る声を掛ける。
天を遮る巨大な死黒竜。
いつものどこか憎めないノンデリドラゴンとは、まるで別人のようだった。
『あが……が……』
岩山にめり込んだ赤竜が、言葉にならない呻き声を上げる。
大きいと思った赤竜と青竜だけれど、いざ死黒竜が現れたら──その大きさは、大人と子供ほどの差があった。
ヴィルベルが竜族を統べる存在、彼等の“王”と呼ばれているのがよく分かる。
エリアそのものを揺るがすほどの足音を響かせて、死黒竜が赤竜に近付いていく。
……赤竜は、もうヴィルベルに任せておいて大丈夫だろう。
「──ガルム!!」
私は、赤竜によって大岩に叩き付けられたガルムの元に駆け寄った。
「ごめんね、私のせいで……」
いつもふわふわの白い毛並みは、泥と土埃に塗れ、薄汚れている。
それだけではない、彼の胸元には赤竜の爪で出来たのだろう、X字型の大きな傷が刻まれていた。
「ガルム……」
じわりと、涙が滲んでくる。
ダンジョンの中だから大丈夫だろうなんて思わずに、最初からヴィルベルに声を掛けて、一緒に来てもらうべきだった。
そうすれば、ガルムがこんな傷を負わずに済んだのに……。
「ガゥ……」
私の声に気付いてか、ガルムがもぞりと身を捩る。
「ダメよ、無理に動いちゃ」
制止の声も聞かずに、ガルムは膝を突いた私の元に、鼻先をすり寄せてきた。
いつもの犬サイズとは違う、巨大な狼。
それでもやっぱりガルムは甘えん坊で、私の膝にすりすりと鼻先を擦りつけている。
「ごめんね……あと、ありがとう」
感謝を告げて、そっと砂に汚れた毛並みを撫でると、小石を巻き上げる勢いで巨大な尻尾がぶんぶんと揺れ動いた。
ああ、可愛い。
大きくなっても、ガルムはガルムなんだなぁ。
ふと見れば、巨大な死黒竜の足に敷かれるようにして、赤竜が倒れ伏していた。
どうやら、全て片付いたみたい。
大きな態度を取るだけのことはあって、ヴィルベルはやっぱり強いんだ。
それに比べて、私はなんで、何も出来ないんだろう──。
「どうもすみませんでしたー!!」
「は、はぁ……」
数分後。
赤髪ショタが地面に顔を擦りつけんばかりにして、深々と頭を下げていた。
その隣では長髪青髪の落ち着いた雰囲気の青年が、やれやれと肩を竦めている。
赤髪ショタは全身ボロボロで、目に涙を溜めている。
……やめてよ、なんかこっちが悪いことをしたみたいな気分になっちゃう。
どうやら、彼が赤竜の変化した姿みたいだ。
ってことは、隣が青竜なんだろう。
彼等の目の前では、むすっとした顔のヴィルベルが腕を組んで、赤竜を睨み付けていた。
「えぇと、もういいから……」
こんな光景を見てしまっては、そう言う他にない。
ガルムが怪我をさせられて、怒ってはいる。
いるけれど……人型になった赤竜を見たら、まだほんの子供じゃない。
中学生くらいにしか見えないわ。
勿論本体は竜だから、人間の年齢がそのまま適応されるとは思わないけれど、毒気を抜かれてしまったのは事実だ。
「ほ、本当にいいのか?」
赤髪ショタ──赤竜が、驚いたように目を見張る。
目には目を、歯には歯を……の実力主義で生きてきた彼等竜族にとって、私のような甘い考えは、到底理解出来ないのかもしれない。
でもね、こっちは戦争のない平和な国で暮らしてきた人種なの。
下手に事を荒立てるより、何もなく終わってくれた方が、ずっと良い。
「許せって言われても困るけど……これ以上暴れないと約束してくれるんなら、このままここで暮らしていて構わないわ」
死の大地を模した、広大なフロア。
外敵が滅多に侵入しないこのダンジョンは、彼等にとっては過ごしやすい環境なのだろう。
私にとっても、万が一ここまでダンジョンを突破してきた冒険者が居た場合に、彼等は強力なストッパーと成り得る。
そう、決して許した訳ではない。
彼等にここでの生活を許すことは、ダンジョンにとっても利のある、いわばWin-Winの関係なのだ。
「スズカは甘い」
そんな私と赤竜とのやりとりに、呆れたようなヴィルベルが口を挟んでくる。
……言われると思ったよ。
「甘くて結構です、これから冒険者が来るとなったら、彼等の存在はダンジョンの護りを固める上でも大きいんだもの」
「従わぬ手下など、敵よりも厄介だぞ。なんだ、ししんちゅうのむしだったか……?」
「惜しい、“獅子身中の虫”ね」
ヴィルベルの日本語学習も、大分身についてきているみたい。
やりとりが分からず、赤竜と青竜がきょとんと首を傾げている。
「あの、王……王は、なぜその人間をそこまで重んじるのですか?」
言葉の意味は分からずとも、私とヴィルベルが対等に話をしていると知った赤竜が、不思議そうに声を上げる。
「王は勿論のこと、そんな人間の雌如き、オレにだって簡単に殺せます。そうすれば、このダンジョンを乗っ取ることだって……」
そこまで言いかけて、赤竜はようやくヴィルベルの表情に気付いたようだ。
ヒィッと小さな悲鳴を上げ、慌てて口を噤む──だが、もう遅い。
「もう一度、痛い目に遭いたいらしいな」
「ち、違います!!」
慌ててぶんぶんと首を振るが、もう遅い。
ヴィルベルの整った眉間に、深い皺が寄っている。
「きっと、王には深いお考えがあるのだろう。そうですよね、王」
青竜が、赤竜を庇う為に声を荒らげた。
その言葉に、ヴィルベルが数度瞳を瞬かせる。
「考え……?」
あ。これ、何も考えていないやつだ。
まぁ、なんだかんだヴィルベルはすき焼き目当てに居着いてしまったから……深い考えも何も、食欲に負けた以外に理由なんてない。
そう思っていたのに──、
「考えがどうとかの話ではない。スズカは、替えの効かない人間だ」
ヴィルベルの言葉に、赤竜よりも私が驚いてしまった。
え、そんな風に思ってくれていたの……?
美味しいご飯を用意してくれる人、珍しい物を手に入れられる奴くらいに思われているのだとばかり……
「彼女に万が一のことがあってみろ、肉片一つ残らないと思え」
「は──」
再び頭を下げる赤竜だが、その顔は血の気を失っていた。
ただの脅しではない、ヴィルベルの全身から発せられるオーラが、そのことを物語っている。
「王に、ここまで言わせるとは……」
青竜が、声を震わせて呟く。
やめてください、私自身はそんなたいした人間じゃないんです。
ただ、魔力量に物を言わせて、ダンジョンの機能を便利に使っているってだけなんです。
私が今まで安全に生きてこれたのは、全てダンジョンの機能と皆のおかげ……それを改めて思い知らされた。
地下99階に戻れば、管理モニターを凝視していたらしいレムスが、心配そうに声を掛けてきた。
「マスター、よくぞご無事で」
「あ、うん……ごめん、心配かけちゃったね」
謝罪の言葉に反応したのは、レムスではなくヴィルベルだった。
「まったくだ、たまたま俺がモニターを見ていたから良かったものの……ったく、肝が冷えたぞ」
「だから、ごめんって」
ヴィルベルの怒りは、もっともだ。
彼の到着が少しでも遅れていたら……私は赤竜に簡単にひねり潰されていただろう。
「ただ、ご近所さんにお裾分けとご挨拶をするくらいのつもりだったのにな……」
「あいつらに、そんな気遣いは不要だ」
ふんと、ヴィルベルが鼻を鳴らす。
こうして見ていると、ただの傍若無人なイケメンなのに……やっぱり、竜達の王なんだ。
「ヴィルベルは、凄いね……」
「あ?」
思わず出た呟きに、ヴィルベルが怪訝そうに眉を上げる。
「私は、何も出来なくて……」
「何も出来ないだと?」
ヴィルベルがずずいと歩み寄ってきて、私の顔を覗き込む。
ちょっと、近い。
顔近すぎるって。
「お前は、自分がダンジョンマスターであることを忘れたのか?」
「へ?」
ヴィルベルの指摘に、思わず間の抜けた声が出た。
ダンジョンマスターであること……?
「危険な場所に行くなら行くで、モンスターをクリエイトして、護衛として連れて行けば良いだろうに」
「……あーーーーーー!!」
……なんということでしょう。
こんな簡単なことに、言われるまで気付かなかったなんて……私ったら、なんてお馬鹿なの。
「そっか。ダンジョン内なら、いくらでもモンスターを連れ歩けるんだ……」
「ダンジョン内に限らず、魔力を消費すれば、ダンジョンの外に連れていくことも出来ますよ」
「え、そうなの?」
無知な私に、レムスが教えてくれた。
「ええ、もしダンジョンの外に出る時には、人間の冒険者──テイマーを装えば、違和感なく振る舞うことが出来るでしょうね」
ダンジョンの外に出る……?
ここに来てから、考えたこともなかった。
でも、そうか。
モンスターを使役するテイマーを装えば、護衛を連れてダンジョンの外を歩けるんだ……。
「それはそれで、心配だが……」
ヴィルベルが苦い表情でこめかみを抑えている。
今日みたいなことがあったばかりだから、心配になるのは当然かもしれない。
「もしダンジョンの外に出る時には、必ず俺に声をかけろ」
「う、うん。もし出ることがあれば、だけど……」
この世界に来て、すぐ役立たずと判断されて、魔の森に捨てられた。
ガルムと出会い、このダンジョンを手に入れて以来、ずっとここに引き籠もっていたけれど──そんな私が、いつかダンジョンの外に出る日が来るのだろうか。
先のことは、まだ分からない。
私の心には、大きな不安と、ほんの僅かな憧憬が広がっていた。









