番外編 母と母
孵化と結婚式の間の話です。
「母上とお茶会を?」
卵が孵化して十日ほどが過ぎたある日。クローディアにそう告げられ、オリヴァーは眉をひそめた。
「はい。陛下はこの子の様子を見に来てくださいますが、王妃様は室内でお会いするのは怖いそうなのです。ですから、お庭でお茶会ならと思いまして」
母と小さな黒竜が会いやすいようにと気を遣い、彼女はお茶会をセッティングしてくれたようだ。
しかし、幼い頃を思い出したオリヴァーは、さらに顔を曇らせる。
幼い頃のオリヴァーにとって母とは、遠い存在だった。基本的に育児は乳母や侍女まかせ。たまに顔を合わせれば扇子で顔を隠すような人だった。
その理由が恐怖から来るものだと知った時は、とても悲しかった。
それでなくとも乳母や侍女達からも怯えられていたオリヴァーにとって、遠くとも母は特別な人。黒竜の姿も理解してくれているとばかり思っていた。
五歳の時を境に、母もオリヴァーを受け入れるようにはなったが、幼い頃にできた心の傷は癒えることなく残っている。
「母は幼体の竜が苦手なんです。……ディアをがっかりさせたくありません」
「心配しないでくださいませオリヴァー様。こう見えて私は、筆頭聖女でしたのよ。卵関連のトラブルには慣れております。きっとこの子と仲良くなっていただきますわ」
こういう時のクローディアは、本当にオリヴァーにとっての救いだ。
初めてクローディアと出会った後、両親は彼女の行動を見て学んだかのように、積極的にオリヴァーに関わるようになった。
彼女の子育てを見れば、母も考えを変えるかもしれない。
「俺も、この子には辛い思いをさせたくありません。ディアには助けられてばかりです……」
こんな優しい彼女には、辛い思いはさせたくない。
先日。結婚の承諾をもらいに、オリヴァーはエメリ伯爵家を訪れた。首都のタウンハウスはすでに売り払っている彼女の両親は、領地の古びた屋敷に住んでいる。
これまでの経緯をオリヴァーが話すと、彼女の両親は目の色を変えてこう述べた。
「王太子妃を輩出する報償金はいただけるのですか!」と。
これまでのクローディアと両親の関係を調べたオリヴァーは、薄々気がついていた。この両親は、彼女を金づるとしか思っていない。
クローディアは、借金返済で忙しい両親に迷惑をかけたくないと言うだけで、「会いたい」とは一度も言わない。
孵化式にも来なかった両親には、思うところがあるのだろう。
「これは報償金でも結納金でもなく、手切れ金です。金輪際、ディアや子供に近づかないでください」
二つ返事でお金を受け取る彼女の両親を苛立たしく思いながら、オリヴァーは聖竜城へと戻ってきた。
この出来事をクローディアに伝えるつもりはない。これからの彼女には、良い出来事だけが待っていなければならない。
それを影から支えるのがオリヴァーの役目だ。
お茶会当日。薔薇が咲き乱れる庭園にてクローディアは、侍女達と一緒に入念にテーブルのセッティングをおこなっていた。
近くでは小さな黒竜が、薔薇を相手にドラゴンブレスを仕掛けている。
けれど今の火力は、マッチの炎よりも弱々しい。水分を含んだ花びらを焦がすには、まだまだ威力が足りないようだ。しばらくは放っておいても問題ない。
約束の時間となり、オリヴァーの母である王妃は侍女や護衛を伴って庭園へとやってきた。
「王妃様。本日はお越しくださり感謝申し上げますわ」
「私もクローディアと話したいと思っていたのだけれど、オリヴァーがあなたを離そうとしないでしょう? 今日は誘ってくれて嬉しいわ」
今まで会わなかったことに対しての言い訳から入った王妃には、理由があった。
本当は今日のお茶会も体調不良を言い訳に中止するつもりだったが、息子がそれを許してくれなかったのだ。
クローディアを悲しませるようなことをしたら、竜の姿で母を咥えて飛行すると脅され。遅い反抗期が来たのかとビクビクしながらここへ来た。
クローディアは気がついていないようだが、今も王妃の身体にはビシビシとオリヴァーの殺気が突き刺さっている。
嫁いびりをするつもりなどないのに、困った息子だ。
王妃がため息を付きかけた時、クローディアの後ろから黒い物体が羽を広げて向かって来るのが見えた。
「ひぃぃっ」
思わず扇子で顔を隠したが、黒い物体が王妃を攻撃することはなかった。
そっと扇子を除けて見てみると、小さな黒竜を抱えたクローディアが、黒竜を肩に乗せているところだった。
「急に飛び出したらお祖母様が驚いてしまうわ。さぁ、ご挨拶しましょう」
「くあくあ」
「あ……あら……。小さな黒竜はおりこうさんね……」
「くあ!」
すぐに遊びに戻った小さな黒竜にホッとしながら、王妃はクローディアとのお茶会を始めた。
「……決して黒竜が嫌いという訳ではないの。オリヴァーを愛しているし、初孫も可愛がりたいと思っているのよ。ただ私は、動物全般が苦手で……」
竜に変化できる子を動物として扱うのは失礼だが、王妃にとって幼体の竜は知能に欠けた狂暴な動物にしか見えない。何をされるかわからないと思うだけで、恐怖に駆られてしまう。
「今は、竜に変化できる子が少ないですから。竜に変化できる子を持つ親御さんは、一度は神殿へ相談にいらっしゃいますわ」
クローディアは聖女をしていた時に、親から受けた悩みを王妃に話して聞かせた。
ドラゴンブレスを止めさせるにはどうしたらよいか、飛んでいなくなるので探すのが大変だ、噛み癖をなんとかしたい。
王妃はそんな悩みすら、乳母任せにしていた。王妃が想像していた育児とは竜人を育てることで、動物の世話ではないと思っていたから。
けれどクローディアは、竜も竜人も変わらないと話す。悩む事柄に違いはあるが、どの親も精一杯に悩んで、苦労して、我が子とわかり合って行く。
ただ今は、竜を育てる親が少ないので、お手本にする者や、苦労を分かち合える者を見つけにくい。それで一人で悩んでしまうのだと。
「クローディアには、いつも気づかされるわ……。初めてあなた達が出会った時もそう。私と夫は、あなたのように竜のオリヴァーを可愛がるべきだったと後悔したのよ」
国王は国王で、竜に変化できる息子に対して劣等感を抱いていた。知らず知らずのうちにオリヴァーに冷たく接していたことに、あの時気づいた。
クローディアになでられて、安心した様子で竜の姿を解いた息子を見るのは初めてだったから。
クローディアは少し驚きながら、王妃の話を聞いた。
幼い頃にオリヴァーが、母親に嫌われていると悲しんでいる姿は見たことがあるが、自分の行動によって国王夫妻の気持ちを変えていたとは思いもしなかった。
なんだか嬉しくてにこりと微笑んでいると、遊んでいた我が子が戻ってきた。
小さな黒竜は、クローディアの髪を咥えて引っ張りだす。クローディアのふわふわの毛がお気に入りのようで、孵化した日から毎日のように髪で遊んでいる。
「ママの髪の毛は楽しい?」
「くあくあ」
小さな黒竜は満足そうに返事をする。我が子が楽しそうにしている姿は、親としても見ていて気持ちが良いものだ。
けれど最近、ひっぱる力が強くなってきて、髪が抜けることもしばしば。他の者にも被害が及ぶ前に、そろそろ教育が必要だ。
「ふふ。ママもあの騎士様みたいに、強そうな頭になるかしら」
クローディアは、王妃の護衛騎士に目を向ける。彼はスキンヘッドで見るからに強そうだ。
「くっ……くああっ」
小さな黒竜は、スキンヘッドのクローディアを想像したのか、震えながら彼女の肩でうずくまる。
「あら。髪がないママは嫌?」
「くぅくぅ……」
お気に入りの髪がなくなるのは、小さな黒竜にとっては耐えられないようだ。悲しそうに首を縦に振る。
「それなら、髪が抜けないように遊びましょうね」
理解したように小さな黒竜は、優しく咥えて遊びだす。我が子ながら、自慢したくなるほど利口で良い子だ。
「まあ……。もう言葉がわかるの?」
「竜に変化できる子は、理解力と記憶力に長けておりますわ」
知能面は、生まれた時から竜人の二歳程度はある。悪い面ばかりではない。
「それじゃぁ……、オリヴァーも……」
王妃は、思っていたよりも幼い頃の記憶がオリヴァーにはあるのではないかと、心配になる。息子にひどい記憶を植え付けてしまったかもしれない。
「くあくあ!」
小さな黒竜は、急に城を見ながら羽をパタパタさせ始める。
そちらへ視線を向けてみると、窓からオリヴァーが庭園を見ているのが見える。
二人もやっとオリヴァーの存在に気がついたようだ。
「パパがこちらを見ているわね。パパのところまで飛べるかしら?」
「くあっ」
母親のリクエストに応えて、小さな黒竜はオリヴァーがいる二階の窓へと向かって飛び始めた。
二階まで上昇するのはまだ難しいのか、何度も高度を落としながらも一生懸命に羽を動かしている。
そんな姿を見て王妃は、頑張って! という気持ちがこみ上げて来る。息子に対しては一度も感じたことのない感情。王妃は今まで、オリヴァーが頑張る姿に目を向けることなく拒絶していた。
窓を開けたオリヴァーの胸へと、小さな黒竜は飛び込んだ。よくできたとばかりに我が子をなでる息子を見て、王妃は居ても経っても居られずに立ち上がる。
「王妃様?」
「私もオリヴァーの所へ行ってくるわ。許してもらえるかわからないけれど、謝らなければならないことがあるの。……それから、私も小さな黒竜を褒めたいわ」
決意したような表情の王妃に、クローディアは優しく微笑んだ。国王夫妻は方法がわからなかっただけで、息子を愛している。それが心から嬉しい。
「はい。よろしくお願いいたしますわ」
王妃はまるで、オリヴァーを授かった頃の若い娘に戻ったかのように、ドレスの裾を両手で持ち上げ、足早にお茶会会場を後にする。
しかし途中でぴたりと止まって、クローディアに振り返った。
「クローディアももうすぐ、私達の子よ。自慢の娘になりそうだわ」
母親とはこれほど、温かい言葉をかけてくれるものだっただろうか。両親についてはやんわりとしか思い出せない。
けれどクローディアは確信する。これからクローディアにとっての両親はオリヴァーの両親であり、信頼できる家族もオリヴァー達なのだと。
補足的な番外編でした。
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