43 卵の孵化
その後。クローディアは三日に一度だけ大神殿へ行き、儀式場でお祈りをするというお勤めを始めた。
聖女が卵を授かり、結婚するのは初めてのこと。様々な弊害や批判なども覚悟していたが、竜神様がお認めになったことならと、国民はすんなり受け入れてくれた。
神殿でもクローディアの負担にならないようにと、子育てに余裕が生まれるまでは、祈り以外のお勤めを求めないことが決定している。
オリヴァーの卵休暇に続き、クローディアの働き方改革。この国では急速に、卵を持つ親に優しい環境が整いつつあるのだった。
皆の配慮のおかげで二人の卵も順調に育ち、模様もあと一つで完成というところまでやってきた。
今も二人でベッドに寝ころび、卵を温め合っている。
クローディアは卵の模様を手でなぞりながら、ゲームでの卵の模様を思い出していた。
(あと一つハートの模様が浮き出たら完成だわ)
「今夜辺り、孵化が始まりそうな気がしますわ」
「楽しみですね。城内でも、孵化式の準備が整ったそうですよ」
この国の王族には、孵化を皆で見守る『孵化式』なる儀式が存在する。
クローディア達の卵も模様が完成次第、孵化式を始めることになる。
「ディア。これまで俺と一緒に卵を温めてくれて、ありがとうございます」
彼はクローディアの唇に軽くキスを落としてから、柔らかく微笑む。
「俺がどのような姿でも、変わらずに受け入れてくれるディアが大好きです。もしこの卵から竜が生まれても、ディアが母親なら安心です。きっと俺と同じように愛してくれるでしょうから」
生まれた子が竜に変化できるかどうかは、孵化の時点ではっきりとわかる。竜に変化できる子は竜の姿で生まれ、そうではない子は竜人の姿で生まれる。
「オリヴァー様と私の子ですもの。どのような姿でもきっと可愛いし、愛おしいと思いますわ」
クローディアもキスのお返しをしてから「私も大好きです」と伝える。
「卵にも二人でキスをしませんか? よろこんで孵化が始まるかもしれませんわ」
「そうですね。俺達の愛情をたっぷりと卵に注ぎましょう」
二人で同時に卵に口づけた。そしてそのまま、模様に空白がある場所を、二人でじっと見つめる。
すると、ふわっとハートの模様が浮き出てきた。
「模様が」
オリヴァーがそう呟くと同時に、卵は淡くピンクの光を灯し始めた。
「オリヴァー様、孵化が始まりますわ!」
「すぐに準備しましょう!」
そこからは、一分一秒を争う忙しさとなった。
呼ばれた侍女達が慌てて各方面へと連絡を入れている間に、クローディア達は孵化式の会場となる大広間へと急ぎ移動する。
ぐずぐずしていると、移動途中に卵が割れて孵化してしまうなんてことも、過去にはあったそうだ。
会場へと入ると、オリヴァーは卵を乗せる孵化台に丁寧に卵を寝かせる。
「ディアこれで良いですか?」
「ええ。ヒビが入る前で良かったですわ」
あとはじっと見守るだけだ。卵の状態を確認しながら二人で安心していると、後ろからイアンが声をかけてくる。
「お二人とも、冷えますからガウンをどうぞ。殿下は仮面も」
にこりと微笑まれて、クローディアとオリヴァーは同時に頬を赤く染める。二人は今、寝間着姿だ。随分と快速にたどり着いたと思えば、着替えるのを忘れていたのだ。
「ありがとうございますイアン。危うくディアの寝間着姿を大勢に見られるところでした」
できればイアンの記憶からも消してください、とオリヴァーは真顔で冗談を言う余裕を見せている。彼に後れを取ってはいけないと、クローディアはガウンを着こんでから深呼吸をした。
卵に少しヒビが入った頃になって、王族や貴族達が会場へと集まり始める。
国王は「私達の時より多いな」と呟いた。どうやら黒竜に変化できるオリヴァーの子なので、期待値が高いようだ。
皆に見守られながら、会場の中央でクローディア達が卵の様子を観察していると、なぜか会場の外が騒がしくなる。
「どうしたのかしら?」
「見てくるよ」
イアンが出入り口へ向かおうとした時、騎士の制止を振りきり会場へと入ってきた人物がいた。
「待ちなさいよ! 私抜きで孵化させるつもり!?」
(モンターユ令嬢……!)
彼女は確か、王命により領地へと送り帰されたはず。その彼女がなぜ、孵化式にいるのか。
「この卵は、俺とディアのものです」
オリヴァーは、クローディアと卵を庇うように前へと進み出る。穏やかな彼らしからぬ、重い声色だ。
けれど彼の雰囲気に動じることなく、ベアトリスはずかずかとオリヴァーの前までやってくる。
「孵化するまではわからないじゃない! 私だってその卵を温めたんだから……」
婚約破棄に対して怒っているのかと思えば、ベアトリスの表情は思いのほか寂し気で。
オリヴァーの後ろにある卵を見ようとしている姿が、どうにも儚げで切なく感じる。
(孵化を見るために、わざわざ辺境領地から……?)
オリヴァーの留守中は遊び歩いていたと聞いているが、オリヴァーと交互に卵を温めていた頃は、文句を言いつつも真面目に卵を温めていたのだという。
(彼女は彼女なりに、卵を可愛がっていたのかもしれないわ)
それを急に婚約破棄されて、卵に別れを告げぬまま領地へ帰された。悔いが残っているのかもしれない。
「モンターユ令嬢も、こちらへどうぞ。一緒に孵化を見守りましょう」
「ディア……。良いのですか?」
心配するような声のオリヴァーに、クローディアは微笑みながらうなずく。
「令嬢もそのほうが悔いが残らないと思いますわ」
「おとなしくしていてくださいね」
オリヴァーが釘を刺すと、ベアトリスは「もちろんですわ!」と笑みを浮かべながら卵へと駆け寄った。
そんな騒動の最中。卵はマイペースに、ヒビを入れて生まれ出る準備を整えていた。
コツ。コツ。と卵の内側から小さく音が聞こえてくる。一生懸命に卵を割ろうと頑張っているかと思うと、それだけで愛おしさが溢れてくる。
(わあ……!)
殻が割れ。顔を出したのは、小さな黒竜だ。
黒竜は羽を使ってさらに殻を割り広げると、ぽてっと床に顔を付けながら羽や手足を駆使して卵から這い出てきた。
「くあぁ。くあぁ」
母親でも探すように小さな鳴き声を上げながら、黒竜は辺りを見回す。
そして、クローディアを見つけると、弱弱しい羽と手足を一生懸命に動かしながら、クローディアの方へと向かってきた。
クローディアは感動のあまり、涙をこらえながら口元を押さえる。
「オリヴァー様……」
「ディアが母親です。俺達の子を抱き上げてください」
「はい……」
初めて抱き上げた我が子は、壊れてしまいそうなほど柔らかくて、卵の頃よりもずっと温かい。
この温もりを求めて、今まで卵を温めてきたような。そんな気持ちが溢れてくる。
「オリヴァー様。私を選んでくださり、ありがとうございます」
「お礼を言うのは俺のほうです。俺を忘れずにいてくれて、ありがとうございます。儀式で俺を心配してくれて、ありがとうございます」
感謝し合っている二人を見て、会場全体も感動している。
そんな中で一人だけ顔を歪めて、崩れるように床へと座り込む者がいた。
「やっと……。やっと、元の世界に帰れると思ったのにぃ~!」
(えっ……!)
クローディアは驚いて、隣で泣き叫んでいるヒロインへと目を向ける。
彼女はスマホが恋しいだの、ネットがなければ死ぬだとか、この場の雰囲気を無視して言いたい放題にわめき散らしている。
(ヒロインにも、前世の記憶があったのね……)
彼女の様子からして、乙女ゲームをクリアすれば元の世界へと戻れると思っているようだ。
けれど、この世界は『竜たま』を参考に作られただけで、ゲームの中ではない。役は与えられたが、クローディアとベアトリスはこの世界の住人として新たな命を得た。彼女の想像は残念ながら的外れだ。
「モンターユ令嬢。お話しが……」
クローディアはそのことを伝えようとしたが、ベアトリスはその声を無視して立ち上がり、イアンの元へと歩き出す。
「こうなったら、やっぱりイアンを攻略してやるわ!」
その発言に反応したイアンは、非常に迷惑そうな顔でため息をついた。
相変わらず、聞く耳を持ってくれない人だ。転生者同士で仲良くなれるかもしれないと少し期待をしたが、クローディアはその期待を即座に打ち消した。
「くあぁ?」
母親の様子を不思議に思ったのか、小さな黒竜は首を傾げる。
(生まれてすぐに、母親を心配してくれるなんて、お利口な子だわ)
早くも我が子の才能に目を付けたクローディアは、にこりと微笑みながら最初の教育を施す。
「あちらを見てはいけませんよ」
ベアトリスとイアンの言い合いが聞こえてきて、非常に気になるだろうに。生まれた瞬間から良い子の素質があるらしい小さな黒竜は、「くあ!」と良い返事をしながらクローディアに甘え出した。
その一ヶ月後。クローディアとオリヴァーの結婚式がおこなわれた。





