27 町のお祭り7
「いつも俺の手を引いて、微笑みかけてくれるディアが好きでした」
彼はクローディアと手を組み合わせながら、幸せそうに微笑む。祭り会場の灯りのせいか、彼の顔は熱っているように見える。
「私も、優しい声で接してくれるオリヴァー様が大好きでしたわ」
初めの頃のオリヴァーは、言葉数も少なく大人しい子だった。けれど、クローディアを拒むことは一度もなく、少なくかけられる言葉はいつも優しかった。
会う回数が増えるごとに、彼は口数が増え、笑うようになり。受け入れられているような気がして、会うのが楽しみで仕方なかった。
「この気持ちは今でも変わりません。ずっとディアに会いたかったです」
オリヴァーが急に抱きしめてくるものだから、クローディアは息が止まってしまうのではないかと思うほど驚いた。
お互いに薄着のせいか、この前彼に肩を抱かれた時よりも、彼の身体が熱く感じられる。
密着しているところからは、彼の心臓の鼓動がダイレクトに伝わってくる。自分の鼓動も同じように彼に伝わっているかと思うと、心を読まれているようで恥ずかしい。
「大好きですディア。今までもこれからも、俺にはディアだけです」
「オリヴァー様……」
クローディアにとっても、大好きなのはオリヴァーだけ。
幼い頃の淡い思い出では終われない。彼と再会して、自分の気持ちを再確認した。
「ディア。これからはずっと俺の傍にいてください」
夢でも見ているかのような言葉が、彼の口から紡がれる。けれど、これは夢ではないと、彼の熱や鼓動が証明してくれている。
(このままうなずけば、オリヴァー様の傍にずっといられるの?)
クローディアが幼い頃に諦めた夢が、手が届きそうなところまできている。
私もずっと、オリヴァー様と一緒にいたいです。
自分の気持ちを吐き出しそうになった、その瞬間。
彼の肩越しに、あるものが目に映った。
それは、若いカップルが幸せそうに、卵を抱き合っている姿。
クローディアは急に、現実へ引き戻されたような気分になる。
(私がオリヴァー様を受け入れたら、あの時の卵はどうなるの……?)
今はヒロインが温めているであろう卵は、果たして父親の愛情を受けて孵化することができるのだろうか。
いや。そもそもヒロインとの間に卵を授かっている彼が、クローディアを愛するはずがない。
(きっとオリヴァー様は、私が追放されたことに責任を感じておられるのだわ……)
昼間に彼は、そのような発言をしている。オリヴァーは責任を感じて、クローディアを傍に置こうとしているのかもしれない。
けれどそんなことをしてしまえば、卵に影響が出てしまう可能性が高い。
聖女として幾多の卵を見てきたクローディアとしては、竜神様から授けられた卵を差し置いて、自分の幸せを優先することなどできない。
「ディアに大切な話が――」
彼がそう言いかけた瞬間。
逃げるように彼から離れたクローディアは、ベンチから立ち上がった。
「今日は、素敵な思い出をありがとうございました」
「ディア……?」
「オリヴァー様のおかげで、ずっと心残りだった気持ちを整理できましたわ」
クローディアの意図がわからず困惑している様子の彼に、努めて明るく微笑んだ。
それから、ポケットに入っていた懐中時計を取り出す。
これを再び彼から渡された時は凄く嬉しかったが、やはりクローディアには過分な贈り物だった。
目に焼き付けるように黒竜の細工をなでてから、再びオリヴァーを見つめる。
「ですから……、明日からはまた、『お客さま』と『ウェイトレス』として接してください」
「どういう意味ですかディア……」
不安そうに立ち上がる彼の胸に、クローディアは懐中時計を押し付ける。それから周りに聞こえぬよう、小さく囁いた。
「……さようなら。オリヴァー殿下」
そのまま走って立ち去ろうとしたクローディアだが、オリヴァーに腕をがっちりと掴まれてしまった。
振りほどこうとしたが、彼の力が強すぎてびくともしない。
「やはり……俺は嫌われているのですか?」
(やはり……?)
下を向いて呟いた彼の声は、聞いたことがないほど暗く感じられる。
彼は何かを勘違いしているようだが、それを考える必要はクローディアにはなかった。
彼にこれ以上迷惑をかけないためには、嫌っていると思われたほうが良い。
そう思ったが、クローディアの口からはどうしても「嫌い」だとは言えなかった。
「……申し訳ございません。先ほどお約束した夜空のお散歩は、守れそうにありません」
代わりに、二人きりでは会わないことを告げる。
彼はショックを受けたように、クローディアの腕を掴んでいた手の力を緩めた。
彼を傷つけてしまった。
今日はこんなつもりで、誘ったはずではなかった。
彼との思い出がほしくて。思い出さえあれば、今後の人生を悔いなく歩めると思っていた。
けれど、距離が近づきすぎたために、優しい彼に余計な決断をさせてしまった。
彼を傷つけてまでクローディアが得たのは、結局後悔だけ。
本当に彼の幸せを願うなら、思い出作りなどするべきではなかった。
「本当にごめんなさい……」
震える声でそう謝った彼女は、逃げるようにしてその場を立ち去った。
お祭りも終了し、深夜の広場はシンっと静まりかえっていた。酔いつぶれて寝ている数名を除けば、広場にいるのはベンチに座っているオリヴァーひとりだけ。
そこへ、酒瓶を二本持って店から出てきたイアンが彼の元へとやってきた。
「……殿下。よろしければ、一本いかがですか?」
「いただきます」
渡された酒瓶を、オリヴァーは一気に飲み干した。
「はは……。この国で一番強い酒をラッパ飲みできるのは、殿下だけですよ……」
「黒竜はアルコールの分解能力が高いんです」
オリヴァーは空き瓶を静かにベンチに置く。心は穏やかではないだろうに。育ちの良い彼は、物に当たってストレスを発散する方法を知らないようだ。
「祭りの途中で、ディアが走り去るのを見ましたが……」
「ご心配なく。無事に別荘へ入るまでは見届けました」
オリヴァーはあまり感情を表に出すタイプではない。彼は何度か夜の店へも来ているので、イアンは多少なりとも彼の性格を知っている。
彼の気持ちを聞くには、ひたすら質問するしかない。
「上手くいかなかったご様子ですね……」
「また懐中時計を返却されました。俺はディアに嫌われているんです」
「この際、ディアに事情を話してみてはいかがですか?」
「イアンは好きでもない女性から、『私たちの卵よ』と言われて嬉しいですか? 卵を温める気になれますか?」
「すみません……。殿下のおっしゃる通りです」
オリヴァーの状況は、複雑だ。卵の相手がベアトリスでないことは確認しているが、彼女はまだそれを認めていない。
それを覆すには、正当な卵の相手を連れて行く必要がある。
けれどオリヴァー自身、相手がクローディアだということは推測の域。二人で卵を温め合わなければ証拠を掴めない。
「ではどうなさるおつもりですか?」
「俺は、ディアも、卵も、諦めるつもりはありません。ディアに俺を好きになってもらうまで、何度でもやり直すだけです」





