16 訪問者2
クローディアはどうしてよいかわからず、逃げるようにしてカウンターへと戻る。
そしてちらりとオリヴァーのほうを確認してみると、彼はカウンターがしっかりと見える位置に陣取り、絶やさずクローディアに向けて笑みを浮かべていた。
目が合ってしまったクローディアは、慌てて視線をそらす。
「ディア。どうかしたのか?」
急にイアンに呼びかけられて、クローディアはびくりと身体を震わせた。
「いえっ……、なんでもないわ」
(イアンは、オリヴァー様の素顔を知らないのよね……)
彼はお客が王太子だとも知らずに、呑気にグラスを磨いている。
仮面は無くとも、髪と角を見れば一目瞭然のはずだが、この国には付け角というものが存在する。ファッションとして若者がよく付けているので、オリヴァーのこともそうだと思っているようだ。
クローディアも前世の記憶さえなければ、イアンと同じように心穏やかでいられただろうに。
オリヴァーのほうも、誰も素顔を知らない前提で堂々としているのだろう。
けれど乙女ゲームの記憶があるクローディアは、しっかりと彼の素顔を知っていた。
「それならいいけど。注文を取ってきてくれな」
「えっ……。私が?」
心を落ち着かせてこの状況を整理しようと思っていたのに、クローディアはさらに追い詰められた状況となる。
いつも男性客の接客はイアンがするのに、今日に限ってどうしたというのだ。「ディアが男性客に絡まれないか心配だ」と言い出したのは彼なのに。
「そろそろ男性客にも慣れただろう? あの客は無害そうだし、少しずつやってみようか」
「そっ……そうね。いつまでも、イアンには頼れないもの……」
先ほどクローディアは、彼にそう宣言したばかり。きっと彼も、それを後押ししてくれているのだろう。
筆頭聖女だった彼女は、皆の期待を裏切れない性格に育ってしまった。ここで、「できない」とは言い出せない。
しっかりしなければと、自分に言い聞かせながらクローディアは注文を受けに向かった。
(とりあえず、私がオリヴァー様の顔を知っていると、悟られないようにしなければ)
それでもオリヴァーに近づくにつれて、クローディアの心臓は忙しなく動き出す。
前世の推しを間近で見られるという高揚感もあるが、もう話すことはないと思っていた幼馴染と話せる。その嬉しさが、徐々に心を満たしていく。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
そう尋ねながらテーブルを見てみると、彼はまだメニューすら開いていなかったようだ。
王太子である彼は、庶民の食堂事情を知らないかもしれない。手取り足取り教えるべきか悩んでいると、彼は自らテーブルの脇に立てかけられてあったメニューを手に取り開いた。
それからもう一度、クローディアに微笑みかける。
その笑顔が素敵すぎて、クローディアは見惚れてしまった。いつも柔らかい口調の彼だったが、仮面の下にはこんな笑顔を隠していたのだろうか。
「こちらのお勧めを、教えていただけますか?」
「はっ……はい。本日のお勧めは、ビーフシチューセットです。それから、キノコと鶏肉のチーズグラタンも美味しいですよ」
メニューのイラストを指しながら、本日のお勧めとともに自分が一番好きなメニューも勧めてみる。
オリヴァーはそれらをじっくりと吟味してから、チーズグラタンのほうを注文した。
問題なく注文を取り終えたクローディアは安心しつつ、イアンに伝えにカウンターへと戻る。
「オッケー。チーズグラタンな」
イアンが調理を始める姿をぼーっと眺めながら、クローディアは昔を思い出していた。
一緒に遊んでいた頃も、クローディアとオリヴァーは好きな食べ物が同じだった。
それが今でも変わらないことが、たまらなく嬉しい。
思わず「ふふ」っと笑みをこぼすと、イアンは作業していた手を止め視線を上げる。それから組んだ腕をカウンターに乗せると、覗き込むようにしてクローディアの顔を見た。
「ディア。顔が赤いけど、良いことでもあったのか?」
「えっ? 気のせいよ……」
いつの間にか顔に出ていたようだ。恥ずかしくなったクローディアは、両手で頬を押さえる。
するとテーブル席の奥から、がたりと大きな音が鳴った。
何事かと二人がそちらへ視線を向けると、何故か焦った様子のオリヴァーが椅子から立ち上がって、カウンターへと顔を向けていた。
(なっ……なに?)
両者に沈黙が流れる。
それからオリヴァーは「ごほん」と咳払いをして椅子に座り直した。
(どうしたのかしら、オリヴァー様……)
首を傾げながらイアンに視線を向けると、彼は急にテキパキと調理の手を早める。
「あー……。俺、調理に集中するから、悪いけど話しかけないでくれな」
そちらから話しかけてきたのに、意味がわからない。
今日のイアンはやはり変だ。
この様子では、調理の手伝いはさせてもらえそうにない。仕方なくクローディアは椅子から立ち上がった。
「私は外の掃除でもしているわね」
「いや! ディアは、そこから動かないでくれ。なんならあの客と、お喋りでもしたらどうだ?」
本当にどうしたのだろう、イアンは。
昨日までは、むやみに男性と話すなというスタンスだったのに。クローディアの決意を後押しするにしても、急すぎないか。
「……ここにいるわ」
オリヴァーと雑談なんて、急に言われても心の準備ができていない。ここに残るほうを、クローディアは選んでみた。
しかし、やたらとオリヴァーから視線を感じる気がして居心地が悪い。
よりによってなぜ、調理に時間がかかる料理をお勧めしてしまったのだろう。
クローディアは少し後悔しつつ、その視線を耐えしのいだ。





