14 領地での出会い3
イアンと出会えたおかげで町長との話もスムーズに進み、無事にクローディアは別荘の管理人となれた。
クリスは小さい家だと話していたが、寝室だけでも六部屋もあるほどの大きな別荘で。何不自由なく暮らしていけるだけの家財道具が、一通り揃えられていた。
ここで別荘の管理人をしながら、クローディアはイアンの食堂をお昼の時間帯だけ手伝うことに。
わざわざ仕事を増やした理由は、切実な問題が浮上したからだ。
クローディアは前世の記憶があれば一人暮らしができると考えていたが、前世のクローディアは致命的に料理ができない子だったようで。
いくら記憶を思い出そうとしても、レンジでチンした記憶しか出てこない。
途方に暮れていたところに、料理を教えてくれるとイアンが助け舟を出してくれた。
イアンは別荘まで料理を教えに行くと提案してくれたが、お昼と夜に二回営業する彼にそこまでしてもらうのは申し訳ない。お店を手伝うついでに、料理を教えてもらうことにしたのだ。
朝早くから別荘の掃除をした後に町へ出かける準備をしていると、玄関の呼び鈴がちゃりんと鳴る。「はーい」と返事をしながら玄関へ向かい扉を開けると、そこに立っていたのはイアンだ。
「おはよう、ディア。迎えに来たよ」
「イアンおはよう。毎日ごめんなさい」
イアンの食堂へ手伝いにいくために、イアンが迎えに来てくれるのが日課となっている。
そうなってしまった理由は、食堂の手伝いをした初日の帰りに、クローディアが見知らぬ青年達からお茶に誘われたからだ。
一人で歩かせるのは危険だと判断したイアンにより、過保護にも送り迎えされる事態となってしまった。
お店を手伝うはずが、逆に彼の仕事を増やしてしまっている気がして、クローディアは申し訳なく思っている。
「気にするなって言ったろう。それより、パンを焼いてきたんだ。夜にでも食べな」
「わぁ。良い香り。ありがとうイアン」
そしてイアンは、毎日のように食べ物を持ってきてくれる。
彼はクローディアの年齢を十五歳くらいに思っていたらしく、十八歳だと知って驚いたようだ。もっと食べなければ大きくなれないと、こうして差し入れをしてくれる。
今から大きくなれるのかクローディアは少し疑問に思っているが、まだまだ簡単な料理しか作れないので、彼の善意には感謝してもしきれない。
今日のパンも美味しそうだ。夕食が楽しみだと思っていると、イアンはクロワッサンを一つ手に取り、それをクローディアの口へと押し込んだ。
驚いてクローディアが瞳をぱちくりさせると、彼は笑いをこらえるように彼女を見つめる。
「今すぐ食べたいって顔してたから」
「ふふ。美味しい」
今ではすっかり打ち解け、お互いに敬語も抜けた。
イアンは約束どおり、親友のように接してくれている。慣れない土地で心細いクローディアにとっては、なにより心強い存在となった。
別荘がある林を抜けると、すぐに町へ入ることができる。この辺りは住居が多く、中央広場へ近づくにつれてお店が増えてくる。
送り迎えの際にイアンが様々な場所へ連れて行ってくれたので、クローディアもだいぶ町には詳しくなった。
イアンもこの町に住み始めて二年ほどしか経っていないらしいが、お店を経営しているせいか知り合いは多いようだ。
二人で歩いているとたびたび声を掛けられるので、クローディアも少しだけ顔見知りができた。
特に衣装店の娘は、よく声をかけてくる。クローディアの予想では、娘はイアンを気に入っているようだが、イアンのほうはよくわからない。彼は誰に対しても親切な人だから。
イアンのお店も中央広場の近くにある。そろそろお店が見えてくるところで、一瞬だけ辺りが日陰に入った。
(きっとオリヴァー様ね)
空を見上げるとクローディアが思ったとおり、黒竜が飛行している姿が目に映った。これもまた、日課のような光景となっている。
(今日のオリヴァー様も、素敵だわ)
太陽に照らされた黒竜は、とてもかっこいい。クリスの白竜は綺麗だったが、黒竜は圧倒的な存在感がある。人間の国では恐怖の象徴のように思われているが、竜人族にとって黒竜は憧れの対象だ。
最近のオリヴァーは遠出を好んでいるのか、首都から遠いこの町まで毎日のように飛んでくる。初めは大騒ぎしていた町人達も最近は慣れたようで、穏やかに彼の飛行を見守っている。
「……俺、いつか黒竜に食われるかも」
「黒竜はそんなことしないわ」
「そう思うなら、いつか俺を全力でかばってくれな」
黒竜の姿を見るたびに、イアンは妙な呟きをする。これも日課の一つと言えよう。
黒竜は、竜の頂点に君臨する存在。赤竜である彼にとっては、畏怖の対象なのだろうかとクローディアは首を傾げた。
一方オリヴァーのほうも、卵を口の中に入れてクローディアが住む町を飛行するのが日課となっていた。
飛行能力が最も高い黒竜でも、聖竜城から町までは片道三時間はかかる。それでも毎日訪れるには理由があった。クローディアの近くにいると、卵が温かみを増しているような気がするのだ。
それはわずかな違いではあるが、クリスの言葉を確信に変えるための大きな希望でもあった。
けれど、町で暮らし始めたクローディアは、常にあの男と一緒にいる。
どのような理由で行動を共にしているのかまでは上空からではわからないが、毎日のようにお互いの家を行き来しているのでそれなりに親しい間柄のようだ。
クローディアは懐中時計を捨てて、新しい人生を歩み始めている。
そう思うたびに、オリヴァーの心は締め付けられるほど苦しかった。
今すぐにでもあの男を排除したいが、今のクローディアにとってオリヴァーは、友達ですらないはず。
そんな彼女の生活を邪魔したら、ますます嫌われてしまう。
なんとか気持ちを抑えて、オリヴァーは聖竜城へと戻った。
オリヴァーには、もう一つ気づいたことがあった。
ベアトリスと卵を交互に温める過程で、彼女が温めた後は卵の温度が低くなる。
初めは気のせいかと思ったが、何度もやり取りをするうちに確信へと変わった。
少なくとも、ベアトリスはこの卵の親ではない。
そう思えるだけの自信がついたオリヴァーはこの日、一歩踏み出す決意をした。
「しばらく聖竜城を留守にします。卵も連れて行きたいのですが良いでしょうか」
卵の受け渡しをする際に、オリヴァーはベアトリスにそう提案した。
父である国王には、すでに許可を得ている。
新たな可能性について話した際、国王は「やはりな……」と後悔するように呟いた。
そしてオリヴァーに対して頭を下げたのだ。「そなたの気持ちを無視して、婚約を進めてしまい申し訳なかった」と。
「まぁ! オリヴァー殿下はそれほど、卵を愛しておられるのですね。私は構いませんわよ。卵をよろしくお願いいたしますわ」
しばらくは楽ができそうだと、ベアトリスは心の中で喜んだ。卵を温める行為は嫌ではないが退屈していたところだ。数日はゆっくり羽を伸ばせそうだ。
「お嬢様……。本当によろしかったのですか?」
オリヴァーが部屋を去った後、侍女の一人が心配してそう尋ねる。
「殿下が卵に興味を示してくれるのは、良いことじゃない」
ベアトリスの気持ちは理解できるが、侍女が言いたいのはそのような意味ではなかった。
卵と離れても、不安ではないのか?
これは卵を持つ親なら、誰でも感じる感情。それを微塵も感じていない様子のベアトリスに対して、侍女は疑念を抱き始めた。





