知らぬが仏?
「やっぱり新聞に出てた人だったっぽいね、あの爺さん」
タブレットで経済新聞の記事を読んでいた私は朝食に現れた碧へ声をかけた。
そこにはそこそこニッチなマーケットで世界トップのシェアを有する日本の企業のトップが復帰したと書いてあった。
取締役である孫と常務である息子が会社の将来に関して対立し、どちらも意識不明で会社の過半数の株を所有している創業者の判断能力を喪失したと申し立てて成人後見人になろうと訴えを起こして泥沼な争いになっていたところ、奇跡的に卒中で倒れた創業者が何の後遺症も無く復帰したの事だった。
「どうやらあの爺さんはまだ過半数の株を握っていたらしいけど、危うくボケているって認定されて財産に関する意思決定権を奪われるところだったみたい」
私が見せたタブレットの記事に目を通した碧が眉を顰めた。
「どっかの小さな町工場ならまだしも、私でも名前を知っているような有名な会社なのに一人の老人が倒れたら何も重要な意思決定が出来なくなるなんて、大問題じゃん。
毒を盛られた爺さんも可哀想だけど、根本的な話としてもっと早くに身を引くべきだったんじゃないの?」
「まあねぇ。
老人じゃなくても、若い人だって交通事故で意識不明になるとか、旅行に行って誘拐されるとかありえるんだから、一人で過半数の株を握るんだったらもしもの時の対応策はちゃんと講じておくべきだよね」
「まああの爺さんもこれでそこら辺が実感できただろうから、今後はちゃんと対策を講じるでしょうね。
ちなみに、あれってやっぱり孫が毒を盛ってたの?」
碧がタブレットを返しながら聞いてきた。
「さあ?
どっちも欲に塗れて薄汚い魂だったから毒を盛ってもおかしくないと思うけど、『折角俺が毒を盛ったのにこれじゃあダメだろう!!』ってような事を感情を込めて考えてなかったから、あの距離じゃあ詳細は読めなかった」
触っているならまだしも、大きな部屋の向こう程度の距離だったら相手が余程感情を込めて考えを投射していない限り思考をキャッチできない。
あの時の息子と孫はどっちも興奮して考えを投射しまくっていたけど、どれだけ金になるかとか、将来のステップアップになるかとか、誰それに勝つとか言った事を考えていたのでどちらが毒を盛ったのかは分からなかった。
まあ、あの二人以外の誰かがやった可能性だってあるしね。
「そっか。
ちなみにあの通り魔計画犯はどうなったのかな?」
碧がパンを取り出しながら聞いてきた。
「さあ?
クルミは斑鳩颯人の方に戻しちゃったし、警察がほぼ無関係な我々に教えてくれるとも思えないから、通り魔殺人のニュースが流れない限り上手くいっていると考えればいいんじゃないの?」
クルミを暫く付けておこうかとも思ったが、どうせ最低でも数年間は私の術が機能して人を殺そうとしたら意識不明になるのは分かっているのだ。
10年後とかにモニターするならまだしも、現時点で使い魔のリソースを割く意味は無いので考えない事にした。
斎藤武よりは斑鳩颯人の方が私に対する実在的な危険は大きいのだ。
なので優先順位的に、クルミをあちらへ戻すべきだろうと判断した。
ある意味、野次馬的な話としては爺さんがあの後どう言う行動を取るかの方が面白そうだったけど、完全に興味本位な好奇心なので流石にクルミを貼り付けてプライバシーを侵害するのはどうかとも思ったので、あちらも遠慮した。
見ていると色々と手伝いたくなるかも知れないし。
下手に権力や金のある人間の周りで役に立つところを見せるのは危険だからねぇ。
善意の行為で相手が感謝していたとしても、一度知られた情報って言うのはどこをどう流れるか分からない。
しかも死にそうな老人を脳細胞へのダメージすら治せるレベルで治療できちゃう碧と、心を読んで行動を規制すら出来ちゃう私と言う組み合わせは、便利すぎて『国のため』とか『一度だけだから』とかの言い訳でずるずると色々な事件に引き摺り込まれかねない。
下手に知ってお節介を焼きたくなるリスクを犯すよりは、素知らぬふりをして新聞で適当に表沙汰になった情報を集める程度の方が良いだろう。
恩返し代わりとして、爺さんが死ぬ時にちょっと遺産でプレゼントを残してくれても良いけど。
でもまあ、若い愛人だと思われたりしたら面倒だから、要らないか。




