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ミラクの果てしない旅 ~千年後の後始末~  作者: 橘 珠水
第三章 グリニカ王国編
82/89

82.小舟の上で

再び、ミラク視点です。

「……やだ、やだ、どうしよう」

 大きく揺れる船から身を乗り出して海の中を覗き込んでも、海底まで見通せるほど青く澄んでいた海は、今は黒々しい色に変わっていて、何も見えない。

「どうしよう、ハディの剣を無くしちゃったら、私……」

 あれは、ハディがまだ小さかった私に託してでも守りたかった、大切な剣だった。

 サレドニアで倒した魔族ビリジアンが、死ぬ間際に言っていた。この剣を何故私が持っているのかって。彼の御方は捕まったのにって。

 やっぱり、ハディは魔族に追われていたんだ。二人で旅をしている間、ハディが夜中に私を抱えて逃げることが何度もあった。時には、私を安全な所に隠して、何か得体の知れないものと戦っている時もあった。

 闇の中に響く、気味の悪い物音と声。ハディの剣に刺され、消えていく奇妙な生き物達。

 クロスがいなくなって、ハディの剣が手元に戻ってきて、私の中で薄れてしまっていたハディと過ごした日々の記憶は、日を追うごとに甦ってきている。

 あの剣は、ハディにとってとても大切なものだった。ううん、あの剣のせいで、ハディは追われていた。私に託して、自分は追手を食い止めて死ぬつもりだった。そのくらい、大切な大切なものだったのに……!

「ミラク!」

 海に飛び込もうとした瞬間、怒ったようなフレイユの強い口調で我に返る。

「フレイユ。剣が……」

 泣きそうな声でフレイユに縋るような視線を送る。それだけで事情を察してくれたフレイユが、板に掴まったまま荒れ狂う波を掻き分けて近づいてきた。

「あの龍が鎮まったら、海の精霊に頼んで探して貰いましょう。だから、落ち着いてください」

「でも、あいつを倒すには封邪の剣が……、って、龍?」

 海竜でも魔族でも魔物でもなく、龍?

「龍って、神話にも出てくるっていう、あれ?」

「ええ。あの御方は、我々と同じ神族の龍です」

「でも今は魔族になっちゃってるんだよね?」

「いいえ、違います」

 まさか否定されるとは思っていなかった私は、封邪の剣を失くしてしまった苛立ちもあって、つい声を荒げてしまった。

「魔族になっていない神族が、なんで村を襲ったりするの!」

 元神族でも、地底に下りてガードン達のように魔族になってしまった奴なら、地上に出てきて人間を襲うことはありえる。でもそうじゃないのなら、何故村を襲ったりするのだろう。訳が分からない。

 でも、フレイユはやっぱり首を横に振った。

「あの御方は今、正気を失っているようですが、魔族ではありません」

「じゃあ、どうやって大人しくさせたらいいの?」

 魔族や魔物じゃないのなら、例え封邪の剣が手元にあったとしても、倒せるかどうか分からない。でも、魔族じゃないのなら、正気さえ取り戻してくれさえすれば大人しくなるってことだから、そもそも倒す必要はない。

 問題は、どうやったら正気に戻せるかってことだ。

「……分かりません」

 申し訳なさそうにフレイユが首を横に振った。

「そんな。じゃあ、このまま村が滅ぼされるのを黙って見ているしかないの?」

 その時、海上に浮いていた龍が、突然一声大きく吠えた。

 ビリビリと身体が痺れるような衝撃が襲ってきて、小舟にフレイユを助け上げようとしていた手を思わず放しそうになってしまう。

「……っ!」

 絶対に離すものか、と強くフレイユの手を握り締めると、勢いよく船に引き上げた。

「危なかったぁ……」

 二人して船の中に倒れ込み、ホッと安堵の溜息を吐いた時、龍が宙でぐりんと大きく巨体をうねらせ、こちらに向かって迫ってくるのが見えた。

「……ひゃあああ!」

「目を閉じてください!」

 フレイユの声に、反射的にぎゅっと目を閉じると、瞼の裏がカッと明るくなった。

 少し待って、恐る恐る目を開けてみると、龍は私達のすぐ近くの上空で止まり、目を閉じて苦し気に首を左右に振っている。

 と、ぐわっと目を見開いた龍は、そのまま私達の上空を通過し、浜辺に向かって急降下した。ズン、と地響きをたてて降り立った龍は、砂の上で巨体をくねらせる。

 グオオオオッ!

 大きく叫んだ龍の尾っぽが跳ね上がり、振り下ろされると、浜辺の近くに立っていた家がいとも簡単に砕け、潰れてしまった。そのまま、龍は一向に動きを止めようとせず、次々に尾で村を破壊し続ける。

「ねえ、フレイユ。どうすればいいの? どうすれば、あの龍を鎮められるの?」

 封邪の剣が手元にない状況。しかも魔族や魔物ではないので、例え封邪の剣があっても倒せないあの巨大な龍に勝とうだなんて、さすがの私も思えない。

 そう言えば、カディスが言っていた。三百年前の災厄の時には、魔法使いが現れて、あの龍を鎮めてくれたらしい。もしここにクロスがいたら、もしかしたらあの龍を何とかできたのかも知れないのに。

 そうだ。魔法じゃなくてもフレイユなら……。

「フレイユ。神力は? 神力でなら、あの龍を正気に戻せるんじゃないの?」

 すると、フレイユは珍しく自信なさげに視線を泳がせると、クッと下唇を噛んだ。

「もし、私の神力で正気に戻ればいいのですが、逆に怒り狂わせて反撃された場合を考えると、今この状況で神力は使えません」

 フレイユの赤い眼が、じっと私を見つめる。それはつまり、私が傍にいると巻き込んでしまうから、ということだ。

「あ、じゃあ、私は泳いで岸まで戻るから」

 早速海に飛び込もうとしたところを、呆れたような表情のフレイユに止められる。

「その必要はありません。反撃を食らって逃げ場所がないようなところで攻撃を仕掛ける訳にはいきませんから。何とかして、船を岸につけましょう。龍と対峙するのはそれからです」

 フレイユが船にあった櫂を手に取る。

 なるほど、と納得して、櫂の代わりにしようと、漂ってきた板切れに手を伸ばして掴んだ時だった。

 ガッ、とその板切れを、海中から伸びてきた手が掴んだ。

「ひえっ!?」

 咄嗟に手を引っ込めると、鋭い爪の鱗に覆われた手が板を海中へ引きずり込む。

「何? 今の」

「魔物ですね」

 フレイユが眉を顰めて海面を睨む。

「えっ。でも、海の中に魔物が出るなんて、カディス達そんなこと何にも言ってなかったよね?」

「恐らく、これまではそうだったのでしょうね。でなければ、こんな小さな船で海に出て漁などできるはずがありません」

 フレイユが言い終わるかどうかといううちに、海中から水しぶきを上げて全身黒っぽい鱗に覆われた魔物が飛び出してきた。

 素早くフレイユが神力の光の刃で撃退し、奇声を上げながら魔物は海の中に沈んでいく。けれど、小舟の周りを囲むように、海面に他の魔物の尾びれが幾つも見え隠れしている。

「囲まれた……?」

 龍を鎮めるどころの話じゃない。封邪の剣がない今、私達は自分の身を守るだけで精一杯な状態になってしまっている。

 ゴン、と船底を叩く音がした。その不気味な音は、不規則ながら連続して続く。

「まさか、船を沈めようとしているの……?」

 魔物たちが、私達の乗る船を沈めようと、船底に穴を空けようと海中から叩き続けているのだ。

 海に落ちたら、私達に勝ち目はない。海の中では何も見えないし、思うように動けないし息も出来ない。溺れた所を、あの鋭い爪と牙で呆気なく引き裂かれてしまうだろう。

 船の縁に手をかけて転覆させようとする怪物の手を攻撃する為に、背負ったままの封邪の剣の柄を手に取って何度も振り振り下ろす。けれど、何度叩き潰されても、魔物は諦めることなく何度も海中から手を伸ばしてくる。

 私達が魔物に翻弄されている間にも、岸の方からは龍が村を破壊していく音が聞こえてくる。

 状況はどんどん悪くなっていくのに、どうしていいか分からない。船をひっくり返されなくても、船底に穴が空いたらそれで終わりだ。

 焦りが苛立ちに変わっていく。

 と、その時。

 ビカッ、と一瞬世界が白く染まった。

 船べりを掴んでいた魔物が、奇声を上げながら手を放した。それだけではなく、海面からのぞく背びれが一斉に沖の方へと逃げていく。

「……助かった?」

 チカチカする目を擦りながら振り返ると、フレイユは怖いくらいに真剣な表情をして浜辺の方を見つめていた。

「フレイユ、さっきの光は?」

 フレイユの様子からして、さっきの光はフレイユが放った神力じゃない。それに、フレイユのは目眩まし的な光なのに対して、さっきの光は空気まで震えるようなものだった。

「浄化の光です。これほどの神力を使える方がいらっしゃるとは……」

 呟くようなフレイユの声を聞きながらその視線を追ってみると、龍は破壊行動を止めて動きを止めていた。こちらに背を向ける形で頭から前足の部分までを上げ、地面を見下ろしている。けれど、その巨体に隠れて、龍が何を見下ろしているのかはここからでは分からない。

 浜辺に近い家は、ことごとく破壊されて潰れていた。それだけではなく、龍の長い尾が届いたのか、奥の方にある家の屋根が潰れているのも見える。

「……酷い事になっちゃったね」

 結局、意気込んだだけで、私達は何もできなかった。

 流されてひっくり返り、船底を上にして漂っている小舟が湾内に幾つも浮かんでいる。

 巫女の館に避難した人達は助かっただろうけれど、これじゃあ村の人々はこれまで通りの生活には当分戻れそうにない。

「とにかく、陸に戻りましょう」

 落ち込む私に向かって、励ますような口調でそう言ったフレイユが、船の櫂を持ち上げる。

 いつの間にか、風が止んで、海も凪いでいた。


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