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ミラクの果てしない旅 ~千年後の後始末~  作者: 橘 珠水
第三章 グリニカ王国編
81/89

81.巫女の館にて

マーナ視点です。

 巫女の館は、逃げ込んだ人々でごった返していた。

 立派な門は開け放たれ、建物までの間に広がる庭に、酷く疲れた顔をして座り込んでいるお年寄りや、恐怖に慄いて泣き喚く子供達の姿がある。

「皆さん、順番に屋内に入ってください。門も、全員が避難し終わったら閉めますからね」

 ナーシャが大声を張り上げて、避難してきた村人達を誘導している。

「ミラク達、大丈夫かしら……」

 まだ開いたままの門から外を見つめながら呟くと、オークルがふてくされたように、さぁな、と呟いた。その声で、一気に不安が高まってくる。

 ミラクが持っている剣は、封邪の剣といって、魔族や魔物を消滅させてしまうものらしい。持っていれば例え瘴気の中でもミラクを守ってくれるし、魔族や魔物の身体の一部を少しでも刺せば倒せてしまう凄い代物らしい。

 だから心配ない、と思っていたからこそ、自分だけオークルを連れて避難してきたのだ。それなのに。

「そんなふうに言われたら、不安になってきちゃったじゃない」

「ってぇな。八つ当たりすんなよ」

 つい、ちょっと力を込めてオークルの頭を撫でれば、当然のように文句が返ってくる。

 私が一緒に残ったところで、役に立つどころか足手まといになる可能性もあった。それに、今はフレイユから、神獣族の秘宝である宝珠を預かっている。もし仮に、……彼に何かあったとしたら、宝珠と、このオークルを無事に神獣族の里まで送り届けてあげなければならない。

「……俺が、こんなんじゃなけりゃ」

 ぽつりとオークルがそう呟くのが聞こえてきた。胸がぎゅっと締め付けられて、鞄からオークルを抱き上げて抱き締める。

「大丈夫よ。……きっと、大丈夫」

 オークルにも自分にも言い聞かせるように何度も繰り返す。オークルは抵抗しなかったけれど、彼の爪が私の服を掻く音が聞こえた。

 彼だって、非力な自分が悔しいのだ。本来の身体と能力があれば、きっとフレイユを避難させて自分が海竜に挑んでいったはずだ。こんな猫の姿でも、果敢に魔物に立ち向かっていくくらいなのだから。



「みんな無事か? まだ避難していない奴はいないな?」

 最後に門を入ってきたカディスが、座り込んでいる人々に、逃げ遅れた人がいないか声を掛けて回る。

時々、誰がいない、彼がいないという声が上がるものの、すぐにあそこにいるそこにいるという声が返ってきて、その度にカディスや彼を手伝っている若者たちは振り回されていた。けれど、全員が顔見知りだという小さな村のこと、間もなく全員が避難していることが確認できて、すぐさま大きな門が閉ざされる。

 空は今にも大粒の雨が落ちてきそうなほど分厚い雲に覆われていて、庭に座り込んでいた人々も若者たちの手を借りて順番に屋内に移動していく。

「私達も入りましょう」

 猫は水が苦手だというオークルが雨に濡れるのは良くない。同郷の仲間が死ぬかも知れないという不安に押しつぶされそうで、まるで捨て猫みたいに怯えている彼を、これ以上辛い目に遭わせたくはなかった。

 村人たちに混じって屋内に足を踏み入れると、一階の広間には足の踏み場もないほどの人が肩を寄せ合って座り込んでいた。薄暗い部屋の中で、皆一様に絶望したような表情をしている。

「何一つ、家から持ち出すことができなかったわ」

「ラーラの言う通り、予め荷物をまとめて村の外に避難していれば、同じように家や船を失ったとしても、少しはもっと残せるものがあったかもしれんな」

「ねえ、これからどうなるの?」

「ここにいれば大丈夫だよね?」

 大人たちの後悔の言葉に混じって、子供たちが恐怖に震えながら救いを求めるように声を上げる。

「ああ、大丈夫さ。ずっと昔から、海竜が襲ってきたらここへ逃げることに決まっているんだから」

 そんなふうに子供たちを安心させながらも、大人自身が不安を拭いきれず、暗い眼を彷徨わせている。

 そうだ。五百年前、この村は海竜の襲撃を受けて一度滅びた。その後、生き残った村人たちによって、再び災厄が起こった時の砦として建てられたこの館は、その後もう一度起きた海竜の襲撃の際にはその有効性を発揮する機会がなかった。三百年前の災厄は、偶然村を訪れた魔法使いによって鎮められたのだから。

 もし、海竜が魔族や魔物だとしたら、寧ろ多くの人が逃げ込んでいるこの館に標的を定め、襲い掛かってくるのではないだろうか。

 海竜がどの程度の強さなのか分からないけれど、エルドーラで遭遇した真魔族ガザークスを思い出してみると、ただここに隠れているだけでは助かりそうもない。

 だから、ミラクもフレイユも、海竜を倒そうとしている。不確かな安全に縋るのではなく、危険を排除しようとしてくれているのだ。

 その時、まるで雷が落ちたかのような炸裂音がして、広間に悲鳴が響き渡った。

「海竜だ。海竜が出たぞ!」

 階段から駆け下りてきた若者が叫び、村人たちは恐怖と絶望に満ちた悲鳴を上げて互いの身をぎゅっと抱きしめた。



 巫女の館は高い塀に囲まれているけれど、三階以上に上がれば眼下に広がる村を見下ろすことができる。

 啜り泣きの聞こえる広間から離れ、眉間に皺を寄せて苛立ったように行き交う若者たちをやり過ごし、階段を上がって三階に辿り着く。

 木製の雨戸が下ろされて真っ暗な廊下の数か所に明かりが灯され、その奥に昨日私達を館内に案内してくれた老婆が蹲るようにして座っている。

「あの……」

 声を掛けると、老婆は疲れたように顔を上げた。

「あんたらも災難よの。こんな時に村に立ち寄るとは。それとも、三百年前に偶然村に現れた偉大なる魔法使い様のように、あんた方がこの村を救ってくれるとでもいうのかね」

「それは……」

「お婆。あれを見た後で、そんな無理を言わないで頂戴」

 老婆が向かい合うように座っていた引き戸が開いて、そこからナーシャが現れた。

「マーナさん。あなた方にはどんなに詫びても詫びきれません。私の拙い占いで、旅の一行が私を助けてくれると出たばかりに、あなた方を災厄に巻き込んでしまいました」

 私の手を取って深く頭を下げたナーシャに何と答えていいか分からずにいると、彼女はふと顔を上げて私の後ろを窺った。

「あの、ミラクさんと、フードの方は……?」

「あの子達は、村に残っています」

「なんですって!?」

 悲鳴のような声を上げたナーシャが、細い手で掴みかかってくる。

「そんな! あれが、あの怪物が、もうすぐ村にやってくるっていうのに!」

 ナーシャは私の手を引くと、今自分が出てきた部屋に私を引っ張り込んだ。

 その部屋の窓だけは、雨戸が下ろされずにいた。

 室内の奥の壁には祭壇のようなものが組まれ、そこには大きな水晶玉が置かれている。その前に置かれた平たいクッションの上に座り込んだラーラが、私達が床を踏み鳴らしながら室内に入る物音に驚いたのか、こちらを振り返った。窓から差し込む外光に照らされたその顔は、驚くほど窶れて蒼白になっている。

「あれを見て!」

 ラーラに目を取られていた私の手を引くと、ナーシャが窓の外を指さす。

「……なに、あれ」

 呆気に取られて立ち尽くす私の鞄から飛び降りたオークルが、無言のまま窓枠に飛びついて身を乗り出す。

 海上に、巨大な蛇が浮いていた。いや、あれは龍だ。神話では、蛇族の上位に位置し、獣族と並んで多くの眷属を束ねていたとされる、伝説の生物。

 海竜とは、龍の事だったのだ。それが魔族となって現れたのだとしたら、私達人間にどうすることができるというのだろう。

「……もう、この村はおしまいです」

 ぽつりとラーラが呟いた。

「私が、もっともっと強く、どんな手を使ってでも村人たちを避難させておけば。……私は、村を守ることができなかった」

「何を言うの、ラーラ。まだ、諦めてはいけないわ」

 ナーシャがラーラの肩を揺すり、強く抱きしめる。

「五百年前だって、生き残った人々がいたんだもの。三百年前だって、奇跡が起こったんだもの。希望を捨ててはいけない。生き延びて、また村を立て直すの。あなたは巫女よ。その力があるのだから」

 そんな姉妹の感動の場面に気を取られていた私は、いつの間にかオークルの姿が消えていることに気付くのが遅れてしまった。



 フレイユに、オークルのことを頼むと言われたのに。

 双子のいる部屋を飛び出し、老婆に猫はこの部屋から出てきていないと聞いて、オークルがあの窓から飛び出したことを確信した。

 龍を目にして飛びだした彼の目的など考えなくても分かる。あいつは、フレイユを助けに行ったのだ。

 馬鹿なことをしてくれる。神獣族が二人とも死んでしまったら、どうやって神獣族の里へ行けばいいというのだろうか。私だけで里へ辿り着けたとして、神獣族たちが人間の私の話を信じてくれるというのだろうか。

 建物から飛び出して庭に出ると、そこにいたカディスが私を見て眉を下げた。

「もしかして、猫か?」

「え、ええ」

「すまん。さっき、木から壁に飛びついて、外へ出てしまった。止めようとしたんだが、なんせあまりにも素早くてな……」

「門を開けて!」

 縋り付いて叫ぶと、カディスは呆気に取られたように目を見開き、厳しい表情で顔を横に振った。

「何言ってるんだ。そんなことはできない」

「大事な猫なの! どうしても、連れて行かなければならないところがあるの!」

「怯えて山の中に逃げたのかも知れない。探すのなら、この災厄を乗り切ってからにしたらどうだ?」

「それじゃ駄目なのよ!」

 だって、オークルはその災厄に向かって行ってしまったのだから。

 その時、いきなり軋むような音を立てて、両開きの門の扉がゆっくりと開いた。

 何事かと顔を上げた私達が驚愕に目を見開いたその先、開いた門の真ん前に、こっちを背にして立っている白髪に白鬚、白い衣を着た老人がいる。

 その老人がこちらを振り向いた途端に、私の目の前でカディスがくたりと倒れ込む。みれば、彼はその場に蹲って寝息を立てていた。

「ふわぁ……。やっぱり眠いのう。眠いが、今はそうも言っておられんじゃろうて」

 驚いてふと腰に目をやれば、そこにあるはずの白蛇の杖がいつの間にか消えていた。

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