75.巫女ラーラ
ナーシャの生まれ育った家らしいその建物は、不自然なくらい高い塀に囲まれていた。木造の粗末な漁師たちの家とは違って、石造りの頑丈な建物になっている。
「小さな漁村には不釣り合いな、立派な建物ね」
マーナが小さく呟くのが聞こえてきた。
「そうですね。ただの家ではなく、国で言えば城にあたる建物なのでしょうね」
フレイユがそう答えながら、玄関を入る前にふと足を止めて建物を見上げる。
それにつられて私も見上げてみると、三階建ての建物の一部分は塔のようになっていて、そこは更に二階分くらい高くなっている。
「本当に、まるでお城だね」
「ええ。ここは、いざ災いが起こった時、人々を守る最後の砦としての役割を担っているのです」
不意にナーシャの声で横から声を掛けられ、慌てて振り向く。そこには、白い衣を纏い、色彩々の綺麗な石を連ねた頭飾りをつけたナーシャが立っていた。
「え? あれ? ナーシャ?」
確かナーシャは、私達を案内してくれている老婆のすぐ後ろを歩いていたはずなのに。しかも、さっきまでと格好が違うし。
そう思って前方に目をやると、そこには立ち止まってこっちを振り返るナーシャがいた。
「えっ?」
また振り返ると、こっちにもナーシャがいる。ただ、こっちのナーシャはいつもの彼女よりももっと儚げで、神秘的な感じがする。
「ラーラ!」
前方にいたナーシャがそう叫ぶと、慌てて駆け寄ってきた。
「久しぶりね、ナーシャ。あなたが戻って来るのは分かっていたわ」
「元気そうで良かったわ、ラーラ」
そっくりな二人は手を取り合って微笑み合うと、お互いの存在を確かめ合うかのように抱き合った。
「仲のいい姉妹なのね。掟のせいで離れて暮らさなければならないなんて、可哀想……」
そう呟いたマーナの目元がうっすらと赤くなっている。共に暮らすことのできない姉妹の久しぶりの再会に、感動して涙ぐんでいるなんて、相変わらずマーナは涙もろいなぁ。
「ラーラ。私がここへ戻って来るのが分かっていたってことは、何故戻ってきたのかその理由も分かっているわよね?」
身体を離すと、ラーラの腕を掴んだまま、ナーシャが訊ねる。
「ええ、勿論よ」
ラーラは頷くと、逆にナーシャの腕を掴み返し、挑むような目をした。
「危機は迫っているの。このままだと、本当に皆の命が危ないのよ」
「ラーラ……」
ナーシャが困ったように眉を顰めた。
ラーラは自分の考えが正しく、誰が何と言おうとそれを覆すつもりはないように見える。
「でも、急に村から出て行けなんて言っても、村の人達にも生活があるのよ」
「分かっているわ。恨まれたっていいの。私の役目は、皆の命を救う事なのだから」
「カディスには? 彼には相談したの?」
ナーシャの問いかけに、ラーラは苦笑した。
「勿論、一番先に話したわ。けれど、頭ごなしに反対されて、それ以来顔を合わせていないの」
それを聞いたナーシャが呆れたように肩を落とした。
「カディスって、誰?」
私達を先導してくれていた老婆にそう訊くと、意味ありげに不気味な笑顔を返された。
「村長の息子でな。お二人とは幼馴染なんじゃよ。これがまた、いい男でな……」
ニンマリ笑った老婆の、皺に埋もれた目が向けられた瞬間、フレイユがビクッと肩を揺らして被っていたフードを深く被り直した。
ラーラは、カディスの名前が出た時から表情を沈ませて俯いていたけれど、不意に勢いよく顔を上げた。
「ナーシャ。ここは危険だわ。いつ、海竜が暴れ出すとも限らないもの。私に協力するつもりがないなら、すぐにこの村から出て頂戴」
「……ラーラ!」
ナーシャは慌ててラーラを説得しようとしたけれど、ラーラはあっさりとその手を振り払い、建物の奥へと速足で去っていった。
その後を追いかけようとしたナーシャの前に、老婆が立ち塞がる。
「お婆……!」
「なりません、ナーシャ様。ここはもう、あなた様の家ではございません。主が認めぬ客を、これ以上先へ通すわけにはまいらぬのです」
老婆にきっぱりとそう言われて、ナーシャは呆然と立ち尽くした。
泣きそうな顔をして拳を握り締め、何も言えずに俯いているナーシャの後ろ姿を、私達はじっと見つめていた。
でも、ずっとここでこうしている訳にもいかない。
「ねえ、ナーシャ。一度、ここから出よう?」
できるだけ優しくそう声を掛けると、ナーシャは鼻を啜りあげながら小さく頷いた。
トスカナ村には、宿屋なんてない。
まず、宿屋を利用したいという人自体がこの村にやって来ないらしい。国の役人等の接待は村長がするし、村を出た人が帰省すれば家族や親類の家に泊まるから、宿屋を開いても経営が成り立たないんだそうだ。
「どうする?」
砂浜に下り、海を眺めながら思案していると、不意に声を掛けられた。
「ナーシャか?」
振り向くと、そこには背が高く、日焼けした肌に白い歯が眩しい、筋骨逞しい青年が立っていた。
「カディス!」
ああ、なるほど。この人が老婆の言っていた村長の息子さんか。確かに凛々しい顔をしていて、お年寄りが好きそうな真面目そうな雰囲気をしている。
「こんなところで何をしているんだ。お前は、この村に戻ってきちゃいけないはずだろ?」
嬉しそうに目を輝かせていたナーシャだったけれど、カディスに厳しい表情で睨まれると明かりが消えたように表情を曇らせる。
うーん、この人真面目そうだし村長の息子だから、村の掟を破ったら幼馴染といえども容赦ないんだな。
頬を膨らませつつ見守っている私の前で、ナーシャは肩を竦めた。
「ラーラのことが心配で……」
「村を出たお前が心配することじゃない」
「ちょっと。そんな言い方しなくてもいいじゃない。ナーシャはこの村の皆の事が心配で戻ってきたんだから」
つい腹が立って口出しをしてしまった。
「あんた達は?」
「私達は、ナーシャに頼まれてついてきたんだ。この村を救う為に」
威勢よくそう答えたけれど、カディスに思いっ切り不審げな目で見られてしまった。……そりゃ、確かに女二人にフードを被った細い男一人に猫じゃ、頼りなさげに見えても仕方ないけどさぁ!
すると、カディスはフッと息を吐くように笑った。
「村を出たお前に、そこまで心配されるとはな」
「私だって巫女の血筋よ。占いの力は村を守る為にあるんだって教えられて育ったんだもの。当然よ」
ナーシャが挑むような目でカディスを見上げると、彼は大きく頷いた。
「分かった。それなら、俺に協力してくれないか」
「協力……?」
「ラーラの予言通り、海竜が再び暴れ出す可能性がある。古い伝承に残っていた海の異常が、このところ見られるようになっているんだ」
「それじゃあ、本当に……?」
沖に目をやったカディスの視線を追い掛けてみると、湾から出た更に向こうに小島が見える。お椀を伏せたような形の島は木々に覆われていて、海に近い所だけ岩や崖が剥き出しになっていた。
本当に、あそこに海竜がいて、村を襲うんだ……。
占いとか予言とか、そんな話だけではいまいち実感はなかったんだけど、具体的にそういう兆候が見られると聞いたら、一気に現実味を帯びてくる。
すると、沖からこちらに視線を戻したカディスが、突然驚きの言葉を放った。
「海竜が襲ってくる前に、神域に踏み込んで奴の息の根を止める。そうすれば、村が襲われることもないし、村人の生活が失われることもない」
その言葉に、私達はしばらく言葉を失った。




