71.黒髪の美人を助けたら
慌てて悲鳴が聞こえた方向に目をやると、少し離れたところで、若い女性が明らかに柄の悪い男達に取り囲まれ、店舗の裏らしき建物の外壁に追い詰められていた。
その傍には、小さな木製の台と椅子が二脚壊れて散乱している。
「何をするの? じゃねぇんだよ。お前、誰の許しを得てここで商売してるんだって、俺ら前にも言ったよなあ?」
詰め寄る男に明らかな不快感をにじませたのは、まだマーナよりも若いくらいのほっそりとした美人さんだった。
長い黒髪を背中の辺りで切り揃え、細面の顔に少し大きめの菫色の瞳が揺れている。
「だって、この辺りじゃ誰でも自由に路上で商売をしてもいいって」
気丈にも言い返す女性の顔に触れるくらい、男達は顔を近づけた。
「誰が言ったんだ? ん?」
「確かに誰がどんな商売をしようと勝手だ。だがな、それは俺らの許可を得て、払うものを払ってからだ」
キッ、と菫色の瞳が男たちを睨みつける。
「何であなた達にお金を支払わなきゃいけないの? あなた達こそ、どんな権限があってそういうことを主張しているのよ!」
「何だと、このアマ……!」
壁に追い詰めた女性に腕を振り上げた男を見て、ヤバイ、と私は咄嗟に掛けだした。
途中、何かにぶつかったような気もしたけれど、構っている暇もなく、私は男の腕を背後から飛びついて抑えた。
「あ? 何だ、お前」
振り向いた男は強面で、顔面にはいくつもの傷跡がある凄みのある人だったけれど、私を見た瞬間、呆気に取られたような表情を浮かべた。
「あのね、オジサン達。どんな理由があるかは分からないけれど、たった一人の女性を大勢で締め上げるのはどうかと思うなぁ」
目を瞬かせた男達は我に返ると、顔に怒気を浮かべた。
「おいおい、坊主。綺麗なねぇちゃんを助けたいっていう健気な男心は分かるが、余計な口出しをすると怪我をするぜ」
そう言って、強面の男が私を突き飛ばそうと腕を突き出してきた。私はその腕をかわし、右脇にガシッと抱え込む。
「お、あれ……?」
力を込めても腕が抜けないことに気付いて驚愕の表情を浮かべる男を、私はキッ、と睨みつけた。
「失礼だね。これでも私、女の子なんだから!」
「……は?」
目を剥いたまま、男は宙に舞った。
つまり、私が全力で投げ飛ばしてやったのだ。
その後、次々と襲い掛かってくる男達をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、全員が地面に転がったまま起き上がらなくなるまで、私は徹底的に制裁を加えた。
失礼しちゃう、失礼しちゃう、失礼しちゃう……!
これでも、前より女の子らしい格好をしてるじゃない! なのに、どうしてまだ男の子と間違えられちゃうの?
ほら、またフレイユが必死に笑いを堪えているじゃない!
「み、……ミラク、もういいんじゃない?」
マーナの声で我に返ってみれば、黒髪の女性は壁に背中を張り付けたまま、顔を引きつらせてこっちを見ている。
「ちょっとやり過ぎちゃったかな……」
ポリポリと頭を掻いた時だった。
「おい、お前。往来でこんな騒ぎを起こすとは何事だ。逮捕するぞ!」
「え?」
背後でそう叫ぶ声が聞こえて振り向くと、やや離れたところに小柄で小太りな男が後ろに体格のいい男を二人引き連れて立っていた。
叫んだのは、きっと小太りな男の方だ。質の良さそうでやたら格好つけた服装をしているけれど、着ている本人がアレなのでせっかくお洒落しても残念なことになっている。
しかも、威勢のいいことを叫んだ割に、小太りの男はダラダラ汗をかきながら、思いっ切り腰が引けている。それだけでも、格好悪くて見ているだけで吹きだしそうになってしまった。
でも、さっきの台詞から言って、それなりの役職にある人なのかな、と込み上げてくる笑いを飲み込んで訊いた。
「あの、どちら様ですか?」
「貴様、この私が誰か知らんのか?」
「はい」
「はい、じゃない! いいか、私はこのニケアの……」
「代表者の息子、ですよねぇ」
突然、反対側から別の男の声がした。
「なっ、貴様、なぜここに……」
小太りの男は顔を引きつらせ、さっきまでよりも更に汗をかき始めた。それどころか、小刻みに震え、顔色も心なしか青ざめている。
振り向くと、そこにはスラリとした体格の男が立っていた。
伸ばした髪を襟足のところで柄物の布で縛ったその男は、フレイユの足元には及ばないものの、そこそこ整った顔立ちをしていた。
その整った顔に形よく整えた顎髭を生やし、不敵な笑みを浮かべているその男からは、どこか人を惹きつけるような魅力を感じる。
「なぜ、じゃないでしょう、ハリス坊ちゃん。港の端で喧嘩してる奴がいるなんて、嘘吐いちゃ困りますぜ」
「う、嘘なんか吐くはずないだろう! 変な言いがかりをつけるな。私を怒らせると、貴様なんぞすぐに解雇してやるんだからな!」
「はいはい。別に俺は坊ちゃんに雇われている訳じゃないんで、何と言われようとも構いませんけどね」
面倒くさそうに頭を掻いた男は、近くに倒れている男の足を爪先で軽く蹴った。
「でも、こいつはいけませんや、坊ちゃん。いくら好きな女の気を引くためだって言っても、こんなどうしようもない連中を引き入れて、下手な芝居を打とうとするなんてこたあ、しちゃ駄目ですぜ」
「え?」
思わず驚きの声を上げると、小太りの男ことハリスは顔を真っ赤にして叫んだ。
「し、知らん! こんな奴らとは何の関係もない!」
「じゃあ、こいつらとっ捕まえてもいいですかねぇ」
「いい、いい、勝手にしろっ。行くぞ!」
ハリスは顎髭の男に唾を飛ばして叫ぶと、何やら引き留めて何か言おうとする背後の二人の男には耳も貸さず、ずんずんと通りを歩いて行ってしまった。
その姿が見えなくなると、顎髭の男は体を折り曲げ、まさに腹を抱えるようにして笑った。
「っハハ。こりゃいいや」
「あ、あの、あなたは?」
「ああ、俺? 俺はこのニケアの警備隊長をしているサイファってもんだ」
警備隊長? にしてはこの人もあんまり柄がよくは見えないんだけどな、と思った時だった。
「警備隊長だなんて、大層な肩書ね。本当は海賊上がりのくせに」
眉を吊り上げた黒髪の女性が、サイファを睨みつけていた。
「おいおい、随分な言い草だな」
片眉を上げておどけた表情を見せるサイファに、女性はますます表情を険しくする。
「何よ。あなた、ハリスが私を襲わせようとしていたこと、知ってたんでしょ? 知ってて、黙って見てたんでしょ?」
詰め寄ってくる女性を見下ろしながら、サイファはニヤニヤと笑っている。
パン! と乾いた音を立てて、サイファの左頬が鳴った。
「最っ低!」
女性は涙声で叫ぶと、あっという間に走り去ってしまった。
「……いやあ、ヘンなところを見せちまったな」
女性の後ろ姿が通りの向こうに消えるまで呆然と立ち尽くしていた私たちは、そうサイファが呟く声で我に返った。
「あの、これはどういうことなんですか?」
マーナが訊ねると、サイファは指先で頬を掻いた。
「あのハリスって男は、ニケアの代表者の息子なんだよ。で、どういう訳か、あのナーシャって子を好きになった。でも、あの坊ちゃんは素直に自分の気持ちを伝えられないで、いつもナーシャをからかったり威圧的な態度を取ったりしている。何とかしたかったんだろうなぁ。ついにこんなゴロツキ共を金で雇ってあの子を襲わせて、自分が助けに入って気を引くという馬鹿げた芝居を打とうとした。ま、それはあんたに邪魔されたけどな」
そう言うサイファの視線は、私に向けられている。
「え、私? 私が?」
いつ私がハリスの邪魔をしたんだろう。そんなことをした覚えはないんだけど。
……あれ? そう言えば、あのナーシャって子が殴られそうになって駆け付けようとした途中で、何かにぶつかったような気がするけど、ひょっとして、それ?




