69.サブリアナ大陸へ
何となく気まずい空気が流れた室内の沈黙を破ったのは、マーナだった。
「……まあ、でも、さっきフレイユが言ったことが原因だとしたら、ガードンの攻撃で受けた傷が完全に良くなって神力が溜まったら、元の姿に戻れるってことじゃないかしら。だから、そんなに落ち込まなくても」
ソファの傍らに膝をついて、しょげたように前足に顎を乗せているオークルの頭を撫でてあげている。
「そうですよ。里へ帰ってゆっくりと静養すれば、神力もすぐに回復するでしょうから」
そうフレイユもオークルを励ましているけれど、その言葉には何となく力がない。
オークルは何も答えず、目を閉じている。
ガードンから攻撃を受けたのは、フレイユと二人でロンバルディア大陸へ渡ってきたばかりの頃。つまり、もう数か月も前のことだ。
なのに、未だに元の姿に戻れないってことは、単純にガードンの攻撃で受けた傷を癒すために神力が使われているから、ということじゃないんじゃないかと思う。
じゃあ、本当の理由は?
それが見当もつかないから、オークルは落ち込んでいるんだし、フレイユもマーナも根拠のない展望を語って元気づけようとしているんだね。
可哀想だけれど、だからと言ってこのまま落ち込まれても困るんだけどなぁ。
「でもさ。取り敢えず私達はオークルの言葉が分かる訳だから、意志の疎通はできるんだし。一緒に旅をする上では困らないね」
できるだけ明るくそう言うと、ピクン、とオークルの耳が動いて、金色の大きな目が開いた。
「お前、やっぱり俺たちと一緒に旅をするつもりなのか?」
「勿論だよ。あ、でも、マーナはオークルをフレイユのところまで連れてきてくれただけなんだよね。これからどうするの? ローザラントへ帰るの?」
「最初は、そうするつもりだったんだけど」
マーナは私の方に振り返ると、両手をモジモジと握り合わせた。
「でも、ローザラントへ戻っても一から仕事を探さないといけないし、正直ミラクもクロスさんもいないロザーナで暮らしていても寂しくって」
「えっ、じゃあ……」
「私も、あなたと一緒にクロスさんを探すわ。それに、サブリアナ大陸のことなら私にも多少の知識があるから、きっと力になれると思うし」
「ほんと? よかった!」
私は嬉しくて、思わずマーナに飛びついてしまった。
「うわっ、ミラク。ちょっと苦しいわ」
「あ、ごめんごめん」
嬉しさのあまり、ついつい思わず力を込めて抱きしめてしまった。マーナはかなり苦しかったのか、涙目になっている。ごめん、マーナ。
「そういう訳で、私も旅に同行させてもらっていいかしら? フレイユ」
マーナは姿勢を正すと、フレイユに正面から向き合った。
そうだ。この二人、私達がロザーナを出発する時には、何となく穏やかでない雰囲気だったんだった。
フレイユの方はそうでもなかったんだけれど、マーナが私のことでフレイユを一方的に責めたりしていた。それも、私の我儘をフレイユが聞き入れてくれただけなのに。
フレイユは微笑むと、マーナに手を差し出した。
「勿論です。よく、オークルをここまで連れてきてくれました。本当に感謝します。そして、これからもよろしくお願いします」
「こちらこそ、ミラクがお世話になりました。これから、力を合わせて一緒に旅を続けて行きましょう」
マーナが握手に応じて、ニッコリと笑う。
こうして、私達は一緒にサブリアナ大陸へ渡ることになった。
私とフレイユが乗る予定だった船はもう客室に空きはなかったんだけれど、一等船室はかなりゆったりとしているので、同じ部屋を使うのなら、という条件でマーナの乗船が可能になった。
因みに、オークルはペット扱いってことで、専用の携帯用ゲージに入れ、部屋から出さないという規則を守れば乗船可能だという。
朝、マリエルに事情を話して便宜を図って貰うと、お屋敷を出る前にはハンナがオークル用の携帯用ゲージを用意してくれていた。
その時、マーナとハンナが並んで立っているところを見たんだけれど、余り似ているようには見えなかった。
つまり、ただ同年代で髪の色が同じで、雰囲気が似ているかなぁ、くらいの共通点しかなかった。
それでも、ハンナがマーナに似ているって思っていたなんて、私はよっぽどマーナが恋しかったんだと思う。
マリエルは以前に約束してくれた通り、リムルラントの港の閉鎖が解けた後に一番に出航する客船の一等船室を用意してくれていた。
しかも、とても忙しいのに、仕事を抜けてわざわざ私達を見送りに港までやってきてくれた。
「そうそう、これを君たちに渡そうと思っていたんだ」
出航の直前になって、マリエルは思い出したようにポケットから掌サイズほどの金色の札を取り出した。
「これは、マリエル商会の特別会員証だ。我が社の系列や取引会社の一部で提示すると、割引サービスが受けられる。サブリアナ大陸にも該当する店舗が数多くあるから、利用する際には是非使って欲しい」
「うわぁ、ありがとうございます!」
大喜びしながらも、まるでサレドニアの王宮で私達が要求したいと言っていた謝礼の内容と同じものをくれたのには正直驚いた。
偶然かも知れないし、実際に私達がしたことを思えばおかしくない謝礼の品だと思うけれど、話を聞かれていたんじゃないかと何だか気味が悪くなってくる。
でも、せっかくなのでありがたく頂くと、それが合図であるかのように出航を知らせる汽笛が鳴り響いた。
マリエルはタラップを下って岸壁へ降りる。船乗り達が船を係留していたロープを解き、ガラガラと錨を巻き上げる音が潮風に乗って響き渡った。
いよいよ、私達はロンバルディア大陸を離れ、北西に広がるサレドニア大陸へと渡る。
そこは、ロンバルディア大陸の何倍も広く、数多くの国が存在し、マーナが学んでいたという魔法使いの聖地ウィザーストンも、神獣族の里もある。
そして、すでにその大地には、魔物が数多く棲みついている。
昔、ハディと旅をしていた時に、ひょっとしたら私もサブリアナ大陸にいたことがあったのかも知れない。
でも、その頃の記憶は曖昧で、いつどこにいたかなんてはっきり覚えていない。つまり、私にとってサブリアナ大陸は初めて行くところだと言っていい。
濃い塩の香りが吹き付けてきて、私の金色のくせっ毛を弄んでいく。
以前、マリエルのお屋敷で整えて貰った髪は、サレドニア王国へ行った頃にはすでに戻のボサボサ頭に戻っていた。
旅装は少し女の子らしいものに変えたから、男の子に間違えられることは格段に減ったけれど、皆無じゃない。全く、皆どこに目をつけているんだか。
だんだんと遠ざかっていく陸地、そして、進行方向には果てしなく広がる海原ばかりで陸は見えない。
聞くところによると、船旅は三日程度かかるという。
港の閉鎖が解けるのを待っていた人々は多く、この客船もほぼ満員状態だ。
久しぶりに船を出せたことが嬉しいのか、忙しそうな船員たちも晴れやかな表情で働いている。
魔族を倒して良かったな。
戻ってきた日常を嬉しそうに過ごす人々の顔を見つめていると、つくづくそう思う。
「ミラク。そろそろ食堂へ行ってお昼を食べましょう」
マーナがそう声をかけてくれた。
そうそう、丁度お昼前の出航だったから、まだ昼食を食べていなかったんだった。
「うん」
頷いて踵を返した私の背中で、封邪の剣が揺れて小さな音を立てた。
サブリアナ大陸では、瘴気に汚染されたところも多いらしい。きっと、この封邪の剣を使ったら、その瘴気を祓えるだろう。
頑張ってもらうからね。
手を後ろに回してそっと封邪の剣に触れると、私は先を行くマーナに追いつこうと駆け出した。




