62.魔族の罠を越えて
門から長いアプローチを通って正面玄関へ到達する間、膝丈にまで伸びた雑草がアプローチの石畳の上に左右から覆いかぶさり、人一人ようやく通れるかどうかの有様になっていた。
これを見る限り、このお屋敷にはまともな人間の使用人はいないわね……。
使用人がいたら、貴族のお屋敷をこんな有様で放っておく訳がない。
いつ、どこから魔物が襲い掛かってくるか分からないので、私は白蛇の杖を胸の前で構え、いつでも魔法を放てるように準備しながら、先を行くオークルの後をビクビクしながら歩いていた。
やがて、その先に目の前に立派な木製の扉が現れる。
「よし。ここから中に入る」
正面玄関の周辺をうろうろしていたオークルが、その扉を顎で示した。
「何、ボーッとしてるんだ。早く開けろよ」
そう言われ、ああ、私がやるのね、と腰が引けつつも、仕方なく玄関扉のノブに手を伸ばす。
と、手が金属製のノブに触れた時、バチン、と見えない力で弾かれてしまった。
「まずい……!」
オークルが顔をしかめて、弾かれた手を押えている私を見上げた。その目が、零れ落ちそうなほど大きく見開かれる。
「後ろだ!」
その声に弾かれるように後ろを振り返った私の目の前で、玄関の庇から何かがボサッと落ちてきた。
どす黒い霧が吹き付けてきて、視界が悪くなる。
けれど、その向こうで歯をカタカタ鳴らしながら首をありえない角度にまで傾げているのは、サレドニアで見たのと同じ骸骨兵士だった。
「ひ、……ひゃああああっ!」
悲鳴を上げて後退りする私の横をすり抜けて、オークルが骸骨兵士に飛びかかる。
けれど、骸骨兵士は他の魔物とは違い、剣を武器として装備している。その骸骨兵士に、普通の猫と変わりないオークルが飛びかかっていくなんて、無謀にも程がある。
「オークル!」
私は夢中で白蛇の杖を構えると、魔法を放った。
ゴウッ、と音をたてて白い炎が骸骨兵士を包み込み、ウォオオオ……、と身の毛がよだつ声を上げながら、骸骨兵士は崩れ落ちていく。
その白い炎から飛び出してきたオークルは、フウッと息を吐き出すと、厳しい表情で玄関扉を見つめた。
「どうやら、ここには侵入者を阻む術がかけられていたみたいだな。この扉を開けようとすると、魔物が侵入者を襲うように術が施されていた」
「じゃあ、ここから中には入れないの?」
「いや、こいつを倒したから、この扉の術は破られた。でも、ここから先も同じような罠が仕掛けられていると考えていい。それに……」
オークルは、アプローチの向こうに僅かに見える門を振り返った。
「この術を破られたことは、きっとあの魔族に伝わっているはずだ」
「えっ……」
ゾクッと背筋が寒くなる。
「将軍としてあの大軍を率いている最中、あの魔族がどう動くかは分からないが、やるなら今のうちにやり遂げないと、次はない」
「それって、どういう……」
「あの魔族が戻ってきたら、今よりももっと厳重な罠を張り巡らせる。いや、俺たちの想像もつかない場所へ、道具を移しちまうだろうな。そうなったら、あの魔族の正体を暴くのは不可能に近くなる」
つまり、今回は一度引いて、また今度挑戦、なんて悠長なことはできなくなってしまったということね。
もう、私たちは先へ進んで、『化ける為の道具』を見つけるしかなくなった。
しかも、できるだけ早急に。
軍の全権を預かって進軍している最中に、あの魔族がこのお屋敷へ戻ってくることはできないだろう、と思う。
でも、自分の正体が暴かれるかも知れないと危機感を抱いたら、配下の魔物に命じて、私たちに猛攻撃を仕掛けてくるかも知れない。
「……急ぎましょう」
恐怖が突き抜け、やるしかないと腹を括ると、意外と人間って冷静になるものなのね。
私は改めてドアノブに手をかけると、白蛇の杖を構えながらゆっくりと外開きの扉を開いた。
それから後は、無我夢中だった。
屋敷の中を進む、階段を上ろうとしたら骸骨兵士が出現、倒す。階段を上って踊場に着く、骸骨兵士が出現、倒す。階段を上り切って二階に到達、骸骨兵士が出現、倒す……。
進むより他に選択肢はないし、倒さなきゃこっちが殺されるからやるしかない。
こんなに魔法を使ったのは、本当に久しぶりだ。魔法学校の卒業試験対策での特訓と、魔物狩りの最中にピンチに陥った時以来だろう。
白蛇の杖のお蔭で、私は何とか魔物を倒しつつ、最後のドアを開けて目的物の前に立つことができた。
そこは、二階の南向きの部屋だった。
大きなベランダに通じる両開きのガラス扉が奥にあり、部屋の中央付近には繊細な細工を施した大きなベッドが置かれている。
部屋はガラス扉から差し込む陽の光に照らし出されていて、私達が入室した空気の流れだけで埃が宙を舞う。
「……っ」
私は思わず、鼻に袖口を押し当てた。
これまで嗅いだことのない異臭が、部屋中に充満している。
「あれだ」
鼻のいいオークルは声を出すのも辛いのか、押し殺した声でそう囁くと、ベッドへと走り寄る。
それに続いた私は、ベッドの上に何かが横たえられているのに気付いた。
「うっ……」
それが何なのか分かった時、私は声にならない悲鳴を上げて立ち尽くした。
エルドーラの貴族の平服を身につけて、ベッドに横たわっているのは白骨化した人間だった。
「……まさか、これが本物のギュレイ?」
白骨化した遺体は、手を祈るように胸の前で合わせ、指を組み合わせている。その手を離れないよう縛るかのように巻かれているのは、何の素材でできているのか見当も付かない黒い光沢のある紐。
その紐には、赤黒く光る拳ほどの大きさの珠がぶら下がっていて、その光はまるで生きているかのように蠢いていた。
オークルはベッドにひらりと飛び乗ると、何の躊躇いもなく、その珠に猫パンチを繰り出した。
……けれど、今のオークルの外見は猫でしかなく、その渾身の一撃も所詮猫パンチでしかない。
それでも、二度三度と攻撃を繰り出していたオークルが、くるっと私の方を振り返った。
「おい。こいつを破壊しろ」
「これが、例の『化ける為の道具』なの?」
「ああ、多分な」
「でも、どうやって壊すの? 白い炎で燃えるかしら」
首を傾げる私に、オークルが苛立たしげに怒鳴る。
「どうだっていい。燃やしてでも凍らせてでも、とにかくこれを壊せばあの魔族は……」
そう言いかけたオークルの目が、大きく見開かれる。
スッ、と南向きのガラス窓から差し込む陽の光に、影が差した。
「誰かね? 他人の屋敷に黙って侵入する不届き者は」
さぁっと血の気が引いて行くのが分かった。
凄まじい音と共に、ガラス窓が砕けてガラスが室内に悲惨する。
悲鳴を上げながら腕を上げて顔を庇うと、魔法使い用のローブから露出している手の甲や覆いきれなかったこめかみ付近に、焼けるような痛みが走った。
どっと吹き付けてくるのは、かなり濃度の高い瘴気。もし、魔法の障壁がなかったら、窒息するか正気を失うかというほどの凄まじいものだった。
なんで……?
顔を上げた私の目に飛び込んできたのは、床に悲惨したガラスを音を立てて踏みにじりながら室内に入ってくる長身の男の姿だった。
背後から光を受けているので、影になった男の表情は良く見えないけれど、きっと見えないほうがいいのだと思う。まともに見てしまったら、きっと動くことさえできなくなっていただろうから。
「どうして……」
喘ぐような声が私の口から洩れた。
なぜ、数千の大軍を率いて国境の城塞へ向かっているはずの魔族が、今ここにいるの……?




