61.ギュレイの邸宅
ギュレイ将軍が、エルドーラ城に待機させていた一部の軍を率いて城門を潜り、王都の大通りを行進していく。
華やかな音楽隊の奏でる行進曲に乗って、整然と進む軍隊。その中程を行く、一際大きな黒馬に騎乗したギュレイ将軍を見て、エルドーラ国民は喝采を上げた。
「ギュレイ将軍閣下、万歳!」
「サレドニアに正義の鉄槌を!」
「十五年前の恨みを晴らしてください!」
口々にそう叫び、拍手を送る人々に混じって、私は遠く離れた建物の陰からギュレイ将軍の姿を眺めていた。
「……不思議ね。あんなに人間離れした雰囲気なのに、誰も彼がおかしいって思わないんだから」
「というより、何でお前にはあいつが普通じゃないって分かるんだ?」
抱きかかえているオークルに不思議そうにそう訊かれて、私は首を傾けた。
「え? 何でって言われても……」
ちなみに、今オークルを抱きかかえているのは、雑踏の中で逸れてしまわないために、仕方なくそうしている。
「まあ、いいや。行くぞ」
そう言われたので、私は遠ざかっていくギュレイ将軍の後ろ姿から視線を外し、人垣を掻き分けながら歩き出す。
向かうのは、ギュレイ将軍の邸宅。
城を出てから、どこにあるのか探し回って、昨日やっと私たちは貴族街の一角にその邸宅を見つけていた。
あの魔族が将軍として軍を率い、王都から離れた隙を狙って、ギュレイに『化ける為の道具』を探し出す。
私が自ら魔族をこの手で倒すのは無理だ。けれど、エルドーラの人々に正体がバレたら、魔族はもうギュレイには戻れない。
その後、魔族がどういう行動を取るかは分からないけれど、私達ができることはギュレイ将軍が魔族だという証拠をモルガナ様達に示すことだ。
ギュレイ将軍の邸宅は、貴族のお屋敷が立ち並ぶ貴族街の一角、中心部からやや離れた場所にあった。
古参の貴族家だけあって、その外観は古めかしい。その上、あまり手入れも行き届いていないのか、門には内側から伸びてきた蔦が絡みつき、外側から見える建物の二階の外壁にまで這い上がっている。
「……いやぁ。これは堪らん。鼻が曲がりそうだ」
オークルは鼻を中心に顔を顰めて、不快そうに前足で顔をこすった。
「え、そんなに臭うって、このお屋敷に魔物でもいるっていうの?」
「ああ、間違いなくいるぜ。それも、一匹や二匹じゃない」
思わず私は二三歩後退りした。
「そんな、無理よ。どうせその魔物って、骸骨兵士でしょ? たった一匹でさえ、私がどんな目に遭ったのか忘れたの? 運よく一匹目を倒せたところで、瘴気に当てられてその場で倒れて、殺されるのがオチよ。その光景がまるで見えるようだわ」
恐ろしすぎて、逆に笑いさえ込み上げてくる。
「だったら、どうするんだよ。あの魔物が、自分の唯一の弱点を、無防備に放置しているとでも思ったのか?」
認識が甘い、とオークルに叱られて、私はうっと言葉に詰まる。
「で、どうするんだ? やっぱり止めるか?」
改めてそう問われて、私の心は揺れた。
本当は、止めると言いたい。何故私がエルドーラの為にここまでしなきゃならないの? って正直思う。
でも、きっとここで逃げたら、また後悔するのよ、きっと。
これまで、ずっとそんな人生だった。何か困難にぶつかったら、私は自分を護るためだと言い訳をして、その困難から逃げてきた。
でも、そんな選択が、今までずっと私を責め続けている。
困難を打ち破れない非力で卑怯な存在だと、これまでの私の生き方が私自身から自信を奪っている。
こんなんじゃいけないのよ。やれば出来るのかも知れないのに、やりもしないで逃げるなんて、もうしてはいけないんだわ。
「……ううん、やるわ」
私は腰のベルトから白蛇の杖を引き抜くと、両手でぎゅっと握りしめた。
緊張でガチガチになっていて、きっと顔も引きつっている。でも、そう決めたことで心は少しだけ軽くなっていた。
オークルが、そんな私を見上げると、フッと鼻で笑った。
「俺が、臭いの強い方を探って、最短距離で目的の場所まで辿り着けるようにする。だから安心してついてこい」
でも、実際問題、まずどこからお屋敷に忍び込むのかが問題だった。
貴族のお屋敷は、どこも高い塀と鉄格子の門で囲まれていて、ギュレイのお屋敷もそれは例外じゃなかった。
かと言って、ギュレイ将軍の知り合いだといってお屋敷に入るにも、固く閉ざされた門の内側には人の気配はなく、下手に大声で呼び出そうものなら、代わりに魔物が飛び出してくるかも知れない。
というか、このお屋敷には普通の人間はいるんだろうか。まず、そこからして怪しい。
魔族がギュレイに『化ける為の道具』をこのお屋敷のどこかに隠しているとしたら、それを発見する可能性が高い使用人は邪魔な存在に違いない。自分が不在のお屋敷に、そういう人間を残しているだろうか。
「……ね、どうやって中に入ればいいかしら」
高い鉄格子の門を見上げて溜息を吐いた私は、ガチャッという音で我に返り、慌てて視線を落とした。
何と、オークルがいつの間にか鉄格子の向こう側、つまりお屋敷の敷地内にいて、中から掛け金に飛びついて器用に門を開けてしまった。
そうか、そうよね。オークルって、猫だもの。鉄格子の隙間くらい、余裕で通り抜けられるわよね……。
「よし、入れ」
地面に降り立ったオークルにそう言われ、周囲を窺い、誰も見ていないのを確認して、私は素早く門を潜った。
お屋敷の敷地内は、外よりも心なしか寒く、気分が悪くなるような臭いがする。
「ね、これって、瘴気じゃない?」
嫌な予感がして聞くと、そうだな、とあっさりとオークルに肯定されてしまった。
「ちょ、ちょっと、これじゃあ、魔物にやられるどうこうの前に、私がおかしくなっちゃうから!」
「仕方ねぇだろ。魔法使いなら、そういうのを防ぐ魔法とか使えないのかよ」
再び、私は言葉に詰まる。
……確かに、そういう魔法もあるにはある。
でも、それって高度な魔法なのよ。クロスさんくらいの凄い魔法使いなら、苦も無く使えるレベルだけど。
例えば、サブリアナ大陸では、魔物が多く生息している地域の中に、瘴気が噴き出している『魔穴』がある。
その『魔穴』の付近で魔物狩りを行う場合、その瘴気から身を護るために、高位の魔法使いが『防壁』の魔法を使うことがある。
一応、私も学校でその魔法を習ったことはあるけれど、授業では成功させることはできなかったし、卒業後に実践したこともない。
私は、握り締めている白蛇の杖を見つめた。
シャルロット嬢救出の時も、過去にうまくいかなかった氷結魔法を使うことができた。だから、この杖を使ったら、防壁魔法もうまくいくかも知れない。
お願い、クロスさん。私を守って……!
そう祈りを込めて杖を掲げると、私は古い記憶を掘り起し、防壁魔法を使った。
白蛇の杖から、キラキラと光のカーテンが伸びてきて、私を包み込む。
「やりゃあ、できるじゃないか」
気が付くと、オークルが薄笑いを浮かべながら私を見上げていた。
「あ、ごめん。オークルにもかけなきゃ……」
慌てて白蛇の杖を向けると、オークルはフイッと顔を背けた。
「必要ねぇよ。俺ら神獣族は、人間よりずっと丈夫なんだ」
「でも……」
「臭いが分からなくなると困るだろ。それに、無駄な魔法力は消費せずにとっとけよ」
オークルの言うことは、言葉はきついけれど、いちいち正論で反論の余地がない。
「……うん、分かった」
見た目は小さい猫だけれど、私は前を歩いていくオークルの背をとても頼もしく感じた。




