55.オークル誘拐犯は
結論から言うと、オークルは生きていた。
生きていたのだけれど、戻りたくても戻って来られない状況に陥ってしまっていた。
私は呆然としながら、目の前の光景を見つめていた。
「い~や~だ! ぜぇったいに、この子はアディのものなのっ!!」
輝くばかりのプラチナブロンドの柔らかい巻き毛を振り乱し、大きなエメラルドグリーンの瞳に涙を浮かべながらも、絶対に譲らないとばかりに泣き喚いているまだ五歳くらいの女の子。
驚いたことに、その子の小さな腕の中には、ぬいぐるみのようにくったりとなったオークルの姿が。
……何だか、この光景、どこかで見たような気が。
こめかみの辺りがズキズキと痛んで、私はそこに指を当てながら、うーん、と唸った。
「どうか、落ち着いてくださいませ、アデリア様」
「そのように力を込めて猫を抱いていては、暴れて噛まれてしまうかも知れません」
ハラハラしながら女の子を取り囲む女官達を後目に、女の子はこちらに背を向けると、オークルを抱きしめたまま部屋の奥へと駆けていってしまう。
「……えーっと、これはどういうことなんでしょうか」
私をこの部屋まで連れてきてくれた女官に声をかけると、彼女は脱力したように項垂れた。
「ここは、エルドーラ王女、アデリア様のお部屋です」
「……王女様」
なるほど、言われてみれば、この部屋は私が与えられているものとは別格の豪華さでありながら、女の子好みの色使いや装飾が施されている。
「マーナさんに猫の行方を尋ねられてから、私も気にかけていたのです。すると、アデリア様がどこからか迷い猫を拾ってこられて離されないのだと耳にいたしまして、確認しにまいりますと、やはりそれはマーナさんの猫でした」
「そうだったの。ありがとうございます」
「いいえ、お礼など。ですが、その後がまずかったのです。私が、その猫はモルガナ様のお客人の猫だからお返ししていただけるよう、アデリア様付の女官を通じて申し上げてもらったところ、今のような騒ぎになってしまったのです」
ああ、つまり、この猫は私のだから返すつもりはない、と王女様が暴れだしてしまったということね。
全く、これじゃまるで、エルマール商会のシャルロット嬢の時と同じじゃない。小さな女の子の心を虜にしてしまうなんて、何という魔性の猫なんだろう、神獣族のくせに。
しかも、またまた変なところで優しいせいか、暴れたり引っ掻いたり噛みついたりして逃げることもできるはずなのに、大人しく捕まったままでいるなんて。
「どうしましょうか」
女官は、首を傾けながら、こちらの顔色を窺っている。
「どう、とは?」
「その、あの猫をアデリア様に譲っていただくことはできないでしょうか」
……やっぱり、そうきたわね。
お嬢様が我儘を言い、手を焼いた大人が甘やかす。これも、シャルロット嬢の時と同じ。
でも、今回はこのエルドーラの王族が相手だけに、簡単に突っぱねる訳にもいかない。
良識ある反応を示してくれればいいけれど、あちらは権力をかさにこちらに無実の罪を着せて放逐し、オークルを奪い取ることだってできるんだから。
ここは、内心はどうあれ、大人しくオークルを譲ったほうがいいかも知れない。そして、彼には隙を見て逃げ出して貰う、と。
「そうですね。あの猫は、私の唯一の家族のように大切な存在ではあるのですが……」
なるべく手放しがたい大切な猫だと恩を売りつつ、それでも王女の為ならば仕方がない、と話を持っていこうとした時だった。
「成程、そのように大切な猫ならば、絶対に返さねばならぬな」
後ろから、良く通る低い声がしたかと思うと、振り向く間もなく颯爽と誰かが私の脇を通過していった。
「へっ、……陛下!」
狼狽えた女官が、慌てて頭を下げる。
……へいか?
陛下!?
ぎょっとしてその後ろ姿を見送る私の肩に、誰かがポンと手を置いた。
「もっ、モルガナ様!」
振り向くと、そこにはモルガナ様が立っていて、口元に笑みを浮かべていた。
「城内で起こった不測の事態は、全て私の耳に入るようになっているの。アデリア様が捕まえたという猫は、きっとあなたの飼い猫だろうと思ったのよ。エドガー様には、ここに来るまでに、あなたとあの猫の深い絆を力説しておいたから、きっとすぐに取り戻してくださるわ」
「は、はあ、ありがとうございます……」
ペコッと頭を下げた私に、にこやかにほほ笑んでいたモルガナ様だったが、次第にその表情が曇っていく。
エドガー陛下がアデリア様を追って入っていった寝室から、激しく言い争う声が聞こえてきたからだ。
……いい加減に……お父様なんて大っ嫌い……王女としての自覚を……いやだぁ、うわああん……。
とても穏やかではない声と物音に、私は危機感を覚えた。
これでは、例えオークルが無事に戻ってきたとしても、親子の間には深い溝が生じてしまうんじゃないの?
私は慌てて寝室に駆け込むと、無礼を承知で声を上げた。
「あのっ、その猫を、アデリア様から奪わないでください!」
今まさに、父親に両腕を掴まれ、オークルを離してしまったアデリア様が、絶望の叫びをあげようと口を大きく開けた瞬間だった。
アデリア様の腕から逃れたオークルが、私の姿を見つけて走ってくる。
「お前、来るのが遅い……」
そう言いながら私の元に走ってきたオークルを抱き上げると、私はつかつかとベッドの上で固まっている親子に歩み寄り、王女の膝の上に乗せた。
「は……?」
まさかの逆戻りに目をパチクリさせるオークルに向かって、私はパトリックに語り掛ける時と同じように言い聞かせた。
「いい? これからあなたは、アデリア様の遊び相手になって差し上げなさい。無礼な行動は慎んで、精一杯務めるのよ」
「はぁっ!?」
完全に混乱し、半ばキレているオークルをそっと抱きしめながら、アデリア様は涙に濡れた目を瞬かせて私を見上げてくる。
「良いのか?」
娘の手を離したエドガー陛下が、眉を顰めながら私を覗きこんでくる。
彫が深く、まるで芸術家が彫った彫刻像のように端正な顔立ち。ワインレッドの柔らかな髪に、アデリア様と同じエメラルドグリーンの瞳は、その見た目だけで人を魅了するような美丈夫だ。
「は、……はい」
こんな美形、しかもこの国の国王陛下を前に、私は完全に舞い上がってしまって、恥ずかしくなって目を伏せた。
「はい、じゃねぇよ! 何考えてやがる!」
突然、王女の手を振り切って、オークルが私に飛びかかってきた。
「お前、ここまで来て、俺を売るつもりか!」
私の服に爪を立てて胸の辺りにしがみ付くと、必死の形相で喚きだす。
「そうじゃなくて、少しの間だけでも……」
「そんなこと言って、この王女が俺を手放さなかったらどうするつもりだ? お前、俺を奪って逃げてくれるのか?」
そんな、どこぞの駆け落ち志望な花嫁みたいな台詞を言われてもねぇ……。
でも、嫌なら隙を見て逃げてくればいい、なんて、アデリア様の前で言う訳にもいかないし。
と、慰めるようにオークルの頭を撫でながら考え込んでいると、アデリア王女がポツリと呟いた。
「そのネコちゃんは、あなたのところへかえりたいのね?」
ポロポロと涙を零しながら、アデリア様は私の腕の中のオークルをじっと見つめている。
「そう、ですね。……ですが、アデリア様が、オークルの望む時に私の元へお返ししていただけるのであれば、オークルはアデリア様のお相手としてお傍にいてもいいと言っています」
「……は? 馬鹿いうな。俺はそんなこと一言も……」
あくまで抗うオークルをベリッと服から引き剥がすと、私は再びアデリア様にオークルを手渡した。
「本当に、いいの?」
「ええ。ただ、ぎゅっと抱きしめられたりするのが嫌な子ですから、優しく撫でてやっていただけますか?」
こちらを窺うアデリア様にそう言って微笑んでみせると、ようやくその愛らしい顔に笑顔が浮かんだ。




