54.モルガナ様からの協力依頼
そもそも、どうしてモルガナ様は、一介の異国人でしかない私をわざわざエルドーラまで連れてきたのか。
あの賢い方が、何の理由もなくそんな行動を取る訳がない。
その夜、かなり遅い時間になって、モルガナ様が突然、私が与えられている部屋を訪ねてきた。
しかも、私の身の回りの世話をしてくれている女官たちを全員下がらせ、二人きりで話がしたいという。
あ、勿論、モルガナ様は知らないけれど、完全に二人きりになってはいない。
ベッドで丸くなっているオークルが、聞き耳を立てているから。
「実は、あなたにやってもらいたいことがあるの」
そらきた、とオークルが呟く。
え? どういう意味? と首を傾げる私に、オークルは上目づかいに意味ありげな視線を送ってくる。
「あなたのような優秀な魔法使いを探していたの。どうか、私に協力してくれないかしら」
「ゆ、優秀……?」
思わず目を剥いて、聞き返してしまう。
そんなこと、これまでの人生で言われたことは初めてだった。
魔法の素質があったから、サブリアナ大陸の東の果ての田舎国から、魔法使いの聖地ウィザーストンまで行って魔法の勉強をした私だけれど、魔力自体は弱くて、何とか学力の成績で卒業できたようなものだった。
だから、魔法使いとしての能力は落第レベルでしかない。
「あの、私はそんなふうに評価していただけるような力はありません」
「そんなことないわ。あの魔物を倒した白い炎の魔法は、並みの魔法使いのものではない。私はこの目で見ていたのだから」
「それは……」
あの白蛇の杖の力であって、私本来の実力じゃない。
けれど、そう言う間もなく、モルガナ様は私の手を取ると、がっしりと両手で握り締めた。
「お願い。どうか私の力になって頂戴」
ああ、そんな風に琥珀色の瞳を潤ませられたら、断れないじゃない!
お断りしたい気持ちが八割、けれど残り二割の良心がしきりと言い募る。
高熱で倒れたお前を手厚く看護してくれたのは誰? その恩人が困って助けを求めているというのに、あなたはその手を邪険に振り払うの?
困り果てて途方に暮れている私の耳に、オークルの声が聞こえてきた。
「お前、この国の事情に深入りするつもりか?」
深入りって、まあ、宰相に協力するってことは、政治的な動きにも関わることになってしまうわね。
「やめとけ。お前が関わったところで、どうこうできる相手じゃない」
……ん? どういう意味?
「マーナ」
オークルの声に気を取られていると、モルガナ様が小さく溜息を吐いて私の手を離した。
「すぐに、答えを出せとは言わない。でも、いい返事をしてくれることを期待しているわ」
そう言い残して去っていくモルガナ様を見送ると、私はベッドの上で丸くなっているオークルのすぐ傍に腰を下ろした。
「ねえ、さっきのはどういう意味?」
「はあ?」
「だから、どうこうできる相手じゃないって」
「お前、まだ気付いてないのかよ」
オークルは面倒臭そうな顔でそう呟くと、大きな欠伸をした。
「気付いてないって、何のこと?」
「だから、この城にいる魔族のことだ」
「まっ……!」
思わず大声を上げそうになって、私は慌てて口元を押えた。
モルガナ様の意向で退出している女官達はまだ戻ってきていないけれど、ドアのすぐ外に控えている場合だってある。
呼吸を落ち着けると、私は声を潜めてオークルの顔を覗きこんだ。
「魔族って、……何でそんなのがこの城にいるの?」
「知らねぇよ。でも、臭うんだから、いるんだろ? あの宰相がお前に協力しろってことは、どうせその魔族がらみに違いねぇよ」
私は思わず身震いした。
無理だわ。今でさえ、白蛇の杖を使ってようやく魔物相手に戦えるようになったばかりだっていうのに、魔族相手だなんて。
あのクロスさんでさえ、魔族を倒すんじゃなくて、異空間に封じる手段を取っていたっていうのに。
勿論、私にそんな高度な魔法なんて使える訳がない。
……仕方がない。いくら恩知らずと言われようとも、ここはきっぱりとお断りするしかない。
そう心に決めて、私はベッドに潜り込んだ。
けれど、優柔不断な私は、一度そう決めたことを貫くことはできない。
私が断ったら、モルガナ様はどう思われるかしら。
断ったことで、モルガナ様が窮地に陥ることになんてならないかしら。
そもそも、あのお願いごとって具体的にどういう内容なんだろう。話を聞いてからでも遅くはないかも知れない……。
心の中で悶々と反芻し続けた私は、その夜なかなか眠りにつくことはできなかった。
次にモルガナ様にお会いしたら、詳しく話を聞こう。それでその話の内容が魔族に関わることなら、きっぱりさっぱりズバッと断るんだ!
そう心に決めていたのに、それからなかなかモルガナ様に会えない日が続いた。
会えなければ、この城から出て行くと伝えることもできないし、何の断りもなく勝手に城を出て行くような無礼な真似が、小心者の私にできるはずもない。
そんなこんなで時間だけが過ぎていき、いよいよエルドーラ軍が国境を越えてサレドニア王国へ進軍する日が正式に決まった、という噂が場内を駆け巡っていた。
そんなある日のことだった。
いつの間にか姿が見えなくなっていたオークルが、夜になっても戻ってこない。
あいつ、どこに行ったのかしら。
このエルドーラ城にやってきてから、オークルはほとんど私の傍から離れたことはなかった。
それでも、気が付いたら姿が見えなくなっていることもあったし、それはまあ、彼にも生理現象や色々あるでしょう、悪ささえしなければ問題ないわ、と特に止めることも事情を聞くこともしていなかった。
でも、こんなに長い時間、帰って来ないことは今までなかったのに。
「あの、オークルを見ませんでしたか?」
身の回りの世話をしてくれている女官達に聞いても、彼女らは首を傾げるばかりだった。
「あの可愛い猫ちゃんですわよね。さあ、お見かけしていませんね」
「いつもマーナさんのお傍にいるのに、どこに行ったのかしら」
「もし見かけたら、お連れしますね」
「お願いします」
にこやかに対応してくれる女官の皆さんに頭を下げながら、私は段々と膨らんでくる不安で胸がいっぱいになっていた。
オークルは、このエルドーラ城から出て行きたがっていた。
モルガナ様ともう一度お話をして、ちゃんとお断りするまで待ってと引き留めていた私に愛想を尽かして、一人だけさっさと出て行ってしまったのかも知れない。
それならそれで、寂しいし悲しいけれど仕方がない。私一人を頼っていたオークルの期待を裏切ってしまったことは残念だけれど。
でも、そうじゃなくて、オークルが私の所へ戻ってきたくても来られない状況に陥っているとしたら?
例えば、どこか狭い場所にはまってしまって出られないとか、井戸に落っこちてしまったとか。
それとも、例の魔族に見つかってしまい、神獣族だとバレて消されてしまったとか……。
ブルッと私は身を震わせ、思わず自分自身を抱きしめた。
オークル、可哀想に。もしそうだとしたら、私だけでもフレイユを探し出して、あなたが今日まで生きていてフレイユに会いたがっていたことを、ちゃんと伝えてあげるからね……。
思わず滲んできた涙を拭った時、部屋のドアがノックされ、さっきの女官達のうちの一人が入ってきた。
「マーナさん、猫ちゃんが見つかりました」
「えっ、ど、どこに?」
私はハッと顔を上げてその女官を凝視した。
見つけたら連れてきてくれると言っていたのに、彼女の腕の中にもその足元にもオークルの姿はない。
「それが……」
困ったように眉根を下げた女官は、首を横に振りながらため息交じりにこう言った。
「とにかく、ついてきていただけますか?」




