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ミラクの果てしない旅 ~千年後の後始末~  作者: 橘 珠水
第2章 ロンバルディア大陸編
48/89

48.薄闇の中の戦い

 離宮の入り口には、勿論衛兵がいる。

 私たちは、その衛兵に見つからないように、離宮の裏手に回り込んだ。

 すると、運よく二階の窓の一つから、カーテンが翻りながら外にたなびいているのが目に入った。

「ミラク、これに登ってください」

 フレイユにそう言われ、二人してスルスルと近くにある木によじ登る。

 と、フレイユがその木の枝の一つに手をかざした。すると、微かに光を帯びたその枝は、私達が乗っても平気そうな適度な太さのまま、窓に向かって伸びていく。

 私たちはそれを伝って、開いた窓から中へと飛び込んだ。

 枝は私たちが離れるとすぐに戻の長さへ戻り、何も知りませんよ、と言わんばかりに涼しげに枝葉を風にそよがせている。

 室内は、外の陽気が嘘のように薄暗く静まり返っていて、どこかかび臭いような生臭いような、気分が悪くなるような空気に満ちていた。

 けれど、幸い、そこには誰もいないようだった。

 ホッと溜息を吐いた私の耳に、窓の外の地上から、鎧を鳴らす音と怒鳴り声が聞こえてきた。

「どこへ行った?」

「離宮に侵入したのではあるまいな?」

「いえ、ここには誰も来ておりません。誰も侵入できぬよう、戸締りも完璧にしておりますから」

 追いかけてきた衛兵と、この離宮の衛兵のやり取りが聞こえてくる。

 フレイユが素早く窓辺のカーテンの陰に身を寄せると、そっと窓を閉める。

「大丈夫です。誰にも見つかってはいませんよ」

 そう言いながら、にっこり微笑んで振り返ったフレイユのすぐ背後に、何か黒い塊がボタッと音を立てて落ちた。

「フレイユ!」

 私が叫んだのと、フレイユが横っ飛びに床に転がるのと、床の黒い塊が宙を舞うのとが同時だった。

 真っ赤な口を開けてフレイユに噛みつこうとした太い黒蛇は、対象物がいなくなった空中に毒液をまき散らしながら床に落下する。

 鋭い牙から噴き出した毒液は、床の絨毯に点々と染みをつくると、異様な腐臭をまき散らしながら絨毯を溶かしていく。

 襲撃に失敗した黒蛇は、恨みがましい目でこちらを睨みながら、再びトグロを巻いて攻撃体制に入る。

 庭師の格好をしたフレイユは、いつもの細身の剣を持っていない。あるのは、繋ぎの服の下に忍ばせていた短剣だけた。

 フレイユはその短剣を抜いて身構えているけれど、いくらフレイユといっても黒蛇を相手にそれではあまりにも心許ない。

 だから、私がやるしかない……!

 私は素早く棕櫚と布をはぎ取って、封邪の剣を抜き放った。

 と、まるで締め切っていた部屋の窓を開け放ち、外の新鮮な空気を取り込んだときのように、爽やかな風が吹いたような気がした。

 シャーッ、と黒蛇が威嚇の声を上げて、攻撃対象をフレイユから私へ切り替える。

 いいぞ、お前の相手はこの私だ!

 いつでも来い! と張り切る私に、黒蛇は突然、戦意を喪失したように体をうねらせて遠ざかり始めた。

 ……え?

 虚を突かれて立ち尽くす私の目の前で、黒蛇は火の気のない暖炉の中へ滑り込もうとする。

「逃がしてはいけません!」

 フレイユの叫ぶ声が聞こえ、ハッとなった時、仄かに白い光に包まれた短剣が一筋の光となって飛び、黒蛇の尾の部分に突き刺さった。

 シャアアアッ!

 床に突き刺さった短剣ごと尾を縫い付けられた黒蛇は、暖炉の灰を巻き上げながら、ビタンビタンと太い身体を暖炉に打ち付けて悶える。

 うわぁ、気持ち悪っ……。

 腰が引けそうになる自分を叱咤して気を取り直すと、私は封邪の剣を一閃させて、黒蛇の身体を真っ二つにした。


「ふう……」

 もうもうと上がる暖炉の灰の中に、黒蛇の姿はない。黒い煙と化して封邪の剣に吸い込まれてしまったからだ。

 フレイユの投げた短剣が、床に突き刺さったまま残されている。

「まさか、こんなところに魔物が棲みついているなんて」

 そう言いながら封邪の剣を鞘に納めようとしたところを、フレイユに止められた。

「まだ、その剣を仕舞わないでください」

「えっ。まだあの蛇がいるの?」

「いえ、そうではありませんが」

 フレイユは首を左右に振ると、周囲を見回した。

「見てください。先程と比べると、部屋の中が随分と明るくなっています」

「あ、本当だ」

 さっきまで、フレイユの表情さえ見えにくいほど薄暗かった室内は、窓から差し込んでくる光だけで、普通の屋内と変わりがないくらい明るくなっている。

 というより、今までカーテンを引いている訳じゃなかったのに、暗すぎたのが問題だったんだ。

 明るくなっただけじゃない。あのかび臭いような生臭いような気持ちの悪い匂いも薄らいでいる。私の鼻が慣れたせい? とも思ったけれど、やっぱり部屋の空気が変わったんだ。

「その封邪の剣が、この部屋に満ちていた瘴気を吸い取ってくれたようですね」

「この剣が……?」

 フレイユにそう言われて、私は改めて手にしている封邪の剣を見下ろした。

 黒い柄から伸びる刀身は、仄かに青白い光を湛えて濡れたように光っている。

 魔族や魔物を黒い煙に変えて吸い取ってしまうこの剣は、瘴気に侵された空気も清浄なものに変えてしまう力を持っているんだ。

 そう言えば、ソルバーンと戦った時も、瘴気を吸い込んで体が重くなり眩暈に襲われたけれど、この剣を手にした途端にそれが薄らいでいった。

 ひょっとして、この剣ってとっても凄い物なのかも知れない。

 今更ながらに、私はこの封邪の剣の力を思い知らされた。

 やっぱり、ハディは只者じゃなかった。魔族や魔物と戦って、地上を護っていた人だったんだ。

 偶然とはいえ、そんな人に拾われて、この剣を受け継ぐことになってしまったからには、私にも責任がある。

 ただクロスを探すだけじゃいけない。知らず知らずのうちに地底の侵略を受けているこの地上を護らなきゃいけないんだ。

 そんな湧き上がる責任感に、グッと封邪の剣の柄を握り締めた時だった。

 何か呻き声のようなものが聞こえてきて、私達はぎょっとして背後を振り返った。

 今まで靄のような瘴気のせいで暗くて気付かなかったけれど、広い部屋の奥に大きな天蓋付きのベッドがあった。

 垂れ下った布のせいでその向こうまでは見えないけれど、そのベッドに誰かがいて、苦しげに呻いている。

 私はフレイユと無言で顔を見合わせると、一応用心に封邪の剣を下段に構えながら、そのベッドへと近づいていった。

 その途中、何か柔らかいものを踏み付けて、私は危うく悲鳴を上げるところだった。

「……何、これ」

 ドキドキする心臓を落ち着かせながら爪先でそれを突く。どうやらそれは、王宮の女官が着ている制服だった。

 何でこんなところに、脱ぎ散らかしたように置かれているんだろう……。

 首を傾げた時だった。

「……だれ、だ」

 しわがれた声が聞こえてきて、落ち着いたばかりの心臓がまたドキーンと跳ね上がる。

 恐る恐る顔を上げると、天蓋から垂れ下っている布の細い隙間から、ベッドに横たわっている人物が見えた。

 頭蓋骨が浮き上がって見えるほど痩せこけた顔は土気色で、髪も髭も真っ白だった。まるで、百歳近い老人のように見える。

「そなたら、は、……なにもの、だ?」

 着ている寝間着がダボダボなのは、元はとても体格のいい人だったからだろう。

 ほんの少し声を出しただけで咳き込み、呼吸を乱したその人物に、布を掻き分けて近づいたフレイユが囁くような声で訊いた。

「あなたこそ、何者ですか」

 すると、微かに目を見開いたその人物は、喘ぎながらもハッキリと言い放った。

「この王宮で、わしを、知らぬとは。……この王宮の、主たる、このわしを!」

 何と、その人は、ヒルメス殿下のお父上、サレドニア国王カルロスその人だった。

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