42.旅先での遭遇
当初の懸念とは打って変わって、懐が潤い過ぎるほど潤った私は、野宿用などの嵩張る荷物を持たず、なるべく最低限の荷物で身軽な旅を続けていた。
そして、余裕を持って宿泊予定の街や村へ到着し、安全な宿屋に泊る。
何だかんだ言っても、若い女性の一人旅は危険なのよ。例え美人じゃなくっても、金目当ての犯罪者に目をつけられることだってあるんだし。
なんとか無事に国境を越え、サレドニア王国へ入国する。けれどそこは、かつて旅をしていた時に見たものと同じ土地とは思えないほど殺伐としていた。
何でも、隣国エルドーラと戦争が始まるらしい。
仕掛ける側はエルドーラで、すでに国境沿いの要塞にはかなりの数の兵が配備されているという噂だった。
けれど、サレドニアは今、お家騒動の真っ只中で、国王陛下は病床から起き上がることもできず、王太子殿下は行方知れず。政務は長女である王女とその夫が代行しているとのこと。
王都の一つ手前の街の食堂でそんな噂話を聞きながら、私は鞄の中でもぞもぞとパンを齧っているオークルを見下ろした。
「やっぱり、船は出そうにないわね。それでも、サレドニアの港まで行く?」
港は、サレドニアの王都アレスポからさらに二日ほど北上した、北の海岸にある。
「だってさ、もし港の封鎖前に船に乗れていなけりゃ、きっとあいつら港で船が出るのを待っていると思うんだ」
確かにそうだけれど、果たしてミラク達に追いつけたとして、探し出して会えるところまで行けるのだろうか、と急に不安になってきた。
それを伝えると、
「大丈夫。この形態になってから、俺は鼻が利くんだ」
とオークルは可愛い鼻をヒクヒクさせた。
その姿は、何とも言い表せないほど愛らしい。
ここまで旅を続けてきた中で、私はオークルという神獣族の意外な一面を多々発見することができた。
最初は、自分勝手で口が悪く、ただ人間を馬鹿にしている生意気な猫とばかり思っていた。
けれど、ガードンにやられて猫の姿になり、ヨロヨロになっているところを拾ってくれたシャルロット嬢に強く抗うことができなかったり、黙って逃げたことを後ろめたく思っていたりと、意外に情に脆いところがある。
それに、やっぱりこの猫、可愛いのよね。
あんまり撫でていると、触り過ぎだ馬鹿なんて憎まれ口を叩かれるけど、あまりの手触りのよさにずっと触っていたくなる。
本人は猫扱いされるのは非常に不本意らしいけれど、いつの間にか私にとってはパトリックに代わるペット的な存在になっていた。
勿論、パトリックと違って、人間の言葉を喋る猫だけれどね。
翌日、王都に向かって出発した私たちは、その手前の街道で一番見たくなかったものに遭遇してしまった。
「げっ、あれって……」
「魔物だな」
瘴気を吐き出し、体を奇妙に捩じらせながら、疾走する馬車を追いかけているのは、全身を覆う鎧をまとった骸骨だった。
「うわぁ……、あんな気持ち悪いの、初めて見たわ」
これまで、サブリアナ大陸で魔物狩りをしていた時も、ほとんどが獣系の魔物で、こんな不死系の骸骨兵士などは話に聞くだけで、実際目にするのは初めてだった。
「……っていうか、このまま道なりにやってくれば、私たちも危ないわよ」
木立の向こうに見える馬車が進む道は、大きく蛇行して間もなく私たちがいる地点を通過する。
馬車を追いかけてきた骸骨兵士が、道の脇に立つ人間には見向きもせず、あの馬車を追い続ける、なんてことがあるだろうか。
隠れると言っても、だだっ広い荒地の真ん中で、小さ目の岩や細い木々があるだけで、完全に身を隠せるようなものはない。
しかも、戦争が始まる影響か、私たち以外に街道を行く旅人の姿は見当たらない。
「確かにまずいな」
私の足元で、背を丸めたオークルの毛が逆立つ。
「ああいう奴は、臭いが半端じゃないから嫌なんだけどな」
「ちょっと待って。あなた、戦う気なの?」
ククロの森で魔物に突っかかって行って、全く歯が立たなかったことを覚えているのだろうか、この猫は。
「俺があいつの足を止めるから、またあの白炎魔法を頼む」
「熱いわよ?」
「焦げるわけじゃないから、構うもんか」
フフン、と鼻で笑ったオークルは、すでにやる気満々だ。
……仕方がない。
あの魔物を放置しておけば、追われている馬車が逃げ切れたにしても、他に犠牲者が出る確率は高い。
私は腰のベルトから白蛇の杖を引き抜くと、いつでも火の玉を放てるように準備した。
ゴオオ……
白い炎に包まれた骸骨兵士が、もがきながら地面に崩れ落ちていく。
「あちちち……」
懲りずに同じ叫び声を上げながら飛び出してきたオークルは、ブルブルと身体を振るった。
オークルが、臭いが半端ないと言っていた意味が分かった。
目の前を馬車が通り過ぎたのを確認して迎え撃ったのだけれど、骸骨兵士は瘴気と死臭が獣系の魔物とは比べものにならないほどキツイ。白い炎に焼き尽くされてしまったのに、まだ辺りに漂っているその異臭に、鼻の奥と喉が麻痺してしまいそうなほどだ。
「ま、でもよかった。私でも倒せて」
ホッと一息吐いた時、オークルの目が警戒するように細くなった。
「見ろ。馬車から誰か下りて来たぞ」
その言葉に振り返ってみれば、豪華な造りの馬車から身形のいい女性が下り、こちらを見つめているのが見えた。
その傍らに立つ少年が駆け寄ってくると、一礼してこう言った。
「助けていただいてありがとうございます。私はサテラと申しまして、あちらにおわすエルドーラ宰相モルガナ様にお仕えしております。主が、ぜひあなたに直々に感謝の言葉を伝えたいとおっしゃっています」
「……エルドーラの?」
相手の身分云々より、なぜエルドーラ? と疑問符が頭の中を飛び回る。
ここはサレドニア王国。しかも、王都からわずか半日足らずの距離しかない場所だ。
その上、両国は今日にでも戦闘状態に陥るかという状況にあるのに、どうして敵国エルドーラの宰相がこんなところにいるんだろう。
それに、馬車の傍らに立っているのは、どう見てもまだ三十代そこそこの女性にしか見えない。
……あれ、何だろう。エルドーラ宰相とか聞いちゃったから、緊張しちゃったのかな。何だか、気持ち悪い。
「おい、どうした?」
そう声をかけられて、足元のオークルを振り向くと、その顔の動きに引きずられるように体がグラリと傾いた。
「おい!」
「だ、大丈夫ですか?」
慌てた様子の声が、すごく遠くから聞こえる。
体を襲う悪寒が、肌をザワリと撫でていくように全身に広がり、あっという間に震えが止まらなくなった。
「まさか、あの魔物の瘴気に当てられたのか?」
その声に薄目を開けると、サテラに抱き起された私の顔を覗きこむオークルの顔がすぐ傍にあった。
「……みたいね」
そう答えようとしたけれど、それが声となって出たかどうか分からなかった。
震えが凄くて、歯の音が合わない。全身の節々が痛くて、筋肉が悲鳴を上げる。こめかみの辺りに心臓があるように、そこがズクズクと鼓動するように痛み続ける。
遠ざかっていく意識の中で、落ち着いた女性の声が聞こえたような気がしたけれど、何を言っているのかまでは聞き取ることはできなかった。




