40.我儘なお嬢様
「ああ、フローレンス。突然いなくなって心配したのよ。無事でよかったわ。ほら、おいで。お家に帰りましょう」
私の鞄からひったくりのようにオークルを引きずり出して奪った少女は、呆気に取られる私の目の前で彼に頬ずりしている。
オークルはといえば、目を見開いて驚愕の表情を浮かべたまま、まるで猫の縫いぐるみになったしまったように微動だにせず、少女のなすがままになっている。
「あ、あの……」
こちらに背を向けて、スキップしながら行ってしまいそうになった少女を、私は慌てて呼び止めた。
「あら、何かしら」
振り向いた少女は、年齢から言えばミラクと同じぐらい……に見えるということは、十歳ぐらいね。頭頂部に大きなピンク色のリボンを乗っけて、金髪を綺麗に縦に巻いている。気の強さが顔に現れていて、綺麗な顔立ちなのに意地悪そうな印象を受けるのが少し残念だわ。
「そのオーク……猫を、どうするつもりなの?」
「どうするもこうするも、フローレンスは私の猫ちゃんよ。ほら、これが証拠」
少女はそう言うと、オークルの長毛を掻き分けてあの豪華な首輪を見せた。
宝石がついていない部分に、金糸で『フローレンス』と刺繍が施してある。
……これは一体、どういうことなの?
視線で問いかけると、オークルは遠い目をして明後日の方向を見つめていた。
あなた、この少女に飼われていたの? 見た所、とってもお金持ちそうなお嬢さんだけど、そんなこと一言も言ってなかったじゃない!
「お嬢様」
その時、雑踏を掻き分けるようにして、口ひげを生やしたいかにも執事然とした初老の紳士が駆け寄ってきた。
「急にいなくなられたので、心配いたしました」
「あら、ミハエル。見て、フローレンスがいたのよ」
「左様でございますか。それは、よろしゅうございました」
いえいえ、よろしくないですから。と、事態の成り行きを見守っていた私に、ミハエルはニッコリと笑いかけてきた。
「こちらの方は?」
「フローレンスを鞄に入れていたの」
「ほう……」
ミハエルの目がスウッと細くなるのを見て、私は慌てて首を横に振った。
「私は、数日前にこのオー……、猫ちゃんを拾ったんです。懐いてしまったので飼うことにしたんですが、首輪をしているなんて気付きませんでした」
「ちょ、ちょっと待てよ! お前、まさか俺をこいつに引き渡すつもりじゃないだろうな!」
慌てたように声を上げるオークルだったけれど、あなたの声は他の人には猫の鳴き声にしか聞こえないんだから、何を喚いたって無駄なのよ。
「でも、さっきいきなりこちらのお嬢さんに鞄から猫を奪われてしまって。事情がよく呑み込めないのですが」
「これは、失礼しました」
ミハエルは、さっきまでこっちを泥棒扱いの目つきで見ていたなんて微塵も感じさせない、完璧な営業スマイルを浮かべた。
「こちらは、エルマール商会会長のご令嬢シャルロット様でございます。先日、サブリアナ大陸から会長の仕事の関係で旅をしてこられたのですが、その途中、サレドニアの港でこちらのフローレンスを拾われ、大切に可愛がってこられたのです。ですが、七日ほど前、ローザラントに入国した直後に突如逃げ出してしまい、探しても見つからず、お嬢様は悲しみに暮れておられたのでございます」
「エルマール商会の……」
それは、サブリアナ大陸でも有名な大商会だった。確か、武器や魔導具を専門に取り扱っている商社だと記憶しているけれど、その会長が家族を連れてやってくるなんて、この平和なローザラントにも魔物の出現が相当な影を落としているのね。
「そうだったんですね。そういう事情がおありだとは全然知らなかったものですから」
「では、フローレンスをお嬢様にお返しいただいても構わないと?」
そうミハエルに言われて、私は言葉に詰まった。
オークルは猫じゃなく神獣族で、仲間のフレイユを追って神獣族の里に戻りたいのよ、なんて言ったところで信じて貰えるわけがない。
返答に窮している私を見て、シャルロット嬢は気の強そうな顔に、更に攻撃的な表情を浮かべた。
「フローレンスは私のものよ。あなたが何と言おうと、絶対に渡さないから!」
「……そう言われましても」
仕事を辞め、せっかく旅に出る決心までついたのに、オークルがいなくなったのでは意味がない。
でも、元飼い主だったというお嬢様を納得させるような説明ができない。
困り果てる私に、ミハエルが懐から何かを取り出して、私の手に握らせた。
「今は持ち合わせがなく、この程度しかお渡しできませんが、お屋敷までご一緒していただけるならこの十倍、ご用意いたします」
手を開いて握らされたものを確認してみれば、それはローザラント金貨十枚の値打ちがあるとされる透明な魔法石だった。
「こんなもの……」
あまりに高価すぎるもので、手が震える。露店通りの日蔭にいても彩光を放つそれは、魔法使いの魔法力を何倍にも引き出してくれる逸品だ。
さすがは武器商人の執事、いいものを持っている。
けれど、金でオークルを引き渡してしまっていいのかしら。
あのお嬢様のことだから、今度こそオークルに逃げられないように、首輪にリードをつけるに違いない。ひょっとしたら、ゲージに入れて外に出さないようにするかも知れない。
そうなったら、オークルはずっと神獣族の里へは戻れない。運よく逃げられたとしても、今回のように彼の言葉を理解して協力してくれる人間には出会えるとも限らない。
なのに、ここで大金と引き換えに神獣族を引き渡すの? オークルがどうしたいのか彼の気持ちを知った上で、自分だけ金を貰って彼を売るの?
「……申し訳ございませんが」
私は、ミハエルの手に魔法石を押し付けた。
「これはいただけませんし、オークルもお渡しするつもりはありません。その猫は、今の私にとって唯一の家族なのです」
「おま……」
目をパチクリさせるオークルに、私は微笑んでみせた。
そう、ここでオークルまでいなくなったら、私は本当に一人になってしまう。
せっかく、旅に出る決心がついたんだから、これから先は責任を取ってもらわないと。
「嫌よ! 絶対にフローレンスは渡さないから!!」
感動的に見つめ合う私とオークルの間に割り込むように、シャルロット嬢がヒステリックな声を上げた。
「お嬢様……」
「ミハエル、後は何とかなさい!」
シャルロット嬢はそう捨て台詞を吐くと、オークルを抱きしめたまま踵を返して駆けていく。
「あ、ちょっと……」
追いかけようとする私の前に、ミハエルが立ち塞がった。
「何とか、思い直していただけませんか。お嬢様が我儘をおっしゃっているのは百も承知ですが、仮にもあの(・・)エルマール商会会長のご息女なのですよ」
今度は、権力を振りかざしてきたわね。
私は思わず身構えた。
確かに、エルマール商会の財力を持ってすれば、貴族様だって従わざるを得ないほどその影響力は大きい。
でも、だからといって屈するわけにはいかないのよ……。
「お嬢様を甘やかすことが、必ずしもお嬢様の為になるとは限らないと思いますが」
「なんですと?」
「出過ぎたことを申し上げますが、このままではお嬢様は、金で解決できないことも、手に入らないものもない、と思われるのではないでしょうか」
思い切ってそう言うと、ミハエルの表情がみるみる険しくなった。
「そのようなこと、あなたに言われなくとも分かっております」
そうでしょうね。優秀な執事さんに見えるし、ひよっこみたいな女に面と向かって説教されるようなことじゃない。
明らかに非好意的になったミハエルに、これ以上どう対抗すればいいか分からず途方に暮れた時だった。
人混みの向こうから、少女の悲鳴が上がった。
「お嬢様!?」
血相を変えて駆け出すミハエルの先、人混みが割れた向こう側に、口を塞がれて馬車に引きずり込まれているシャルロット嬢の姿が見えた。
そして、なぜかその腕には、逃げようともがくもシャルロット嬢にしっかりと抱えられて抜け出せないオークルがいる。
何てこったい……。
あまりの展開に、呆然としたのは一瞬のこと。
私は初老とは思えない速度で走るミハエルの後を追いかけて駆け出した。




