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ミラクの果てしない旅 ~千年後の後始末~  作者: 橘 珠水
第2章 ロンバルディア大陸編
39/89

39.旅立ちのために

 というわけで、勢いで仕事を辞めてしまいました。

「はあ…………」

 魂まで抜けてしまいそうな深い溜息を吐きながら、私は鞄に荷物を詰め込んでいる。

 ここで荷を解いてから、まだ半月ほどしか経っていないのに、また同じ鞄にほぼ同じ荷物を詰めているなんて。

「ホント、人生なんて何が起きるか分からないものね……」

「グダグダ言ってねーで、早いとこ荷造りしちまえよ」

 窓枠の上で日に当たりながら、悪態を吐きながらオークルが大きな欠伸をする。

 オークルを見ていると、フレイユや神獣王妃様で膨らんでいた神獣族の高貴なイメージが音を立てて崩れていく。

「何だよ」

「……何でもないわ」

 私の顔に、恨みがましい気持ちが現れていたのかも知れない。

 宮廷魔法使いの職を辞したということは、つまりこの寮から速やかに出ないといけないことを意味する。

 オークルに協力して旅に出るとしても、とにかく準備が必要なので、その間私はクロスさんの家に戻ることにした。

「……さて」

 この寮に来て新たに増えたものといったら、口の悪い神獣族の猫くらいなものだから、荷造りはあっという間に終わった。

 鞄を抱えて寮から出ると、庭に回ってパトリックのリードを引く。

「もう行くのかね」

 その声に振り返れば、マルスさんが手に餌の入った皿を持って立っていた。

「はい。短い間でしたけど、大変お世話になりました。パトリックにこんな立派な小屋まで用意していただいて」

「言ってなかったけれど、それは去年まで俺が飼っていた犬が使っていたものなんだ」

 マルスさんはそう言うと、小さく鼻を啜った。

「パトリックとは犬種が違ったけれど、そいつもとっても賢い犬でね。だから、パトリックが来てくれて、正直とても嬉しかった」

 知らなかった。マルスさんに、そんな過去があったなんて。

 最後のご馳走だ、と皿を差し出すマルスさんに、耳を寝かせて尾を振りながら答えるパトリック。

 餌をがっつくパトリックの頭を撫でつつ、愛おしげに目を細めるマルスさんを見ながら、私はふと考えた。

 私はこの寮を出た後、数日後にはロザーナを旅立ってミラク達を追いかけることになるわ。その旅に、パトリックを連れていくべきなんだろうか。

 サブリアナ大陸で魔物狩りをしていた時、偶然街の外れで拾った仔犬だったパトリック。私が放浪の旅に出た時には、誰にも預けることができなくて一緒にロザーナまで連れてきてしまったけれど。

 餌を食べ終わったパトリックを、これでお別れだと涙ぐみながら撫でまわすマルスさん。パトリックも、寂しそうに鼻を鳴らしている。

「あの……」

 意を決して、私は口を開いた。

「マルスさん、もし構わなければ、パトリックをここで預かってもらえないでしょうか」

「えっ、いいのかい?」

 予想通り、マルスさんの顔には驚きと喜びが入り混じったような表情が浮かんでいる。

「はい。ぜひお願いします。私は事情があって、一度ロザーナを離れることになったものですから」

 パトリックは賢い犬だから、旅に連れて行った方が私も助かることも多いだろう。

 けれど、サブリアナ大陸からロザーナまで旅をしていた中で、困ったこともたくさんあった。例えば、宿屋や食堂は、ほぼ間違いなく犬を連れて入ることができない。

 オークルなら、宿屋へ鞄に隠して連れ込んだり、野良猫のふりをして窓から侵入させたりすることもできるかも知れない。でも、パトリックぐらいの大型犬になると、馬小屋の隅で寝かせるしかないし。

「パトリック。マルスさんの言うことをよく聞いて、私が帰るまで待っていてね」

 しゃがんで頭を撫でると、パトリックは小さく鼻を鳴らしながら、私の目をじっと見てくる。

 ……本当に、僕がいなくても大丈夫?

 そう言われているような気がした。

 パトリックは、クロスさんもミラクも知らない、どん底まで落ち込んだ私を知っている。だから、心配してくれているのね。

「私は大丈夫よ。心配しないで」

 猫になっちゃっているけれど一応神獣族と行動を共にするわけだし、魔法の力を何倍にも高めてくれる白蛇の杖があるのだから、ミラクたちに追いつくまで、取り敢えず何とかやっていけるだろう、……と思う。


 久しぶりに戻ったクロスさんの家は、以前よりも広く、陰気な感じがした。

「で、いつ出発するんだ?」

 相変わらず自分本位でしか物事を考えられない猫、もとい神獣族よね。

「旅に出るには支度が必要なの。それに、この家を管理してくれる人も探さないと、放っておくと家ってすぐ傷んじゃうから」

 クロスさんが見つかって、喜んでロザーナに帰ってきたら、愛しい我が家が朽ち果てていたり、野盗の巣窟になっていたなんてことになったら目も当てられない。

「ふーん。できるだけ早くしろよ。こうしている間にも、あいつら先に進んでるんだからな」

 ……本当に、こいつと旅が続けられるのかしら。

 ムカムカする気持ちを押えながら、そんな不安が脳裏を過る。

 ふと、オークルがフレイユのことをお坊ちゃんと言ったことを思い出した。

 フレイユはお坊ちゃんで、神獣王妃は王族。ということは、一般的な神獣族はオークルのようなガサツで乱暴な奴が多いのかも知れない。

 そうよ。ガードンだって、元は神獣族なんだもの。これが普通なんだと思えばいいのよね。

「お前、何か今、すっごく失礼なことを考えただろう」

 じとっとした目でオークルに睨まれたけれど、私はにっこり笑って誤魔化した。

 でも、笑って誤魔化すだけじゃすまない問題もある。

 まず、この家の管理をどうするかということ。そして、当面の旅の費用をどうするのか。

 自慢じゃないけれど、私はつい最近まで無職だったから、貯金なんてほとんどない。宮廷魔法使いとして働いた十日ほどのお給料では、旅の準備を整えるだけで精一杯だと思う。それに、猫の姿になったオークルが、金目のものを持っているとも思えない。

 旅の途中で小金を稼ぐにしても、私はそう器用な質じゃない。ミラクならその点、お金持ちの用心棒や盗賊退治なんかですぐにまとまったお金を手に入れられるのだろうけれど。

 重い気持ちを引き摺りながら、取り敢えずノーマン将軍に助けを求めることにした。

 元々、この家はクロスさんが手に入れる前は、ローザラントの役人が住んでいたという話で、その役人というのがノーマン将軍の血縁者だった人らしい。

 私が休日にこの家の管理をする、という話になった時も、何かの理由でそれが出来なくなった時は自分に相談してくれ、と言ってくれていた。

 仮に、私たちが戻るまでノーマン将軍が誰かに貸し出すとしても、空き家にしておくよりは家にとってもずっといい。

 ノーマン将軍は、私があっという間に宮廷魔法使いを辞めてしまったことをよろしく思っていないようだったけれど、旅に出ることにしたと伝えると幾分機嫌を直してくれた。

「ミラクの後を追いかけてくれるんだろう? 君があの子と旅をする気になってくれてよかったよ」

 いえ、猫を渡したら帰ってきますけど、とも言えず、私は曖昧に笑って誤魔化した。

 ノーマン将軍から、当初の旅の費用に、と私にまで餞別をくれたのには驚いたけれど、実際問題として旅の資金に悩んでいたから、そこは好意に甘えることにした。


「お前、金がなかったのか」

 ノーマン将軍のお屋敷から帰る途中、その一部で旅に必要な品々を買いに立ち寄った露店通りを歩いていると、斜め掛けにしている鞄の中からそんな暢気な声がした。

 鞄の隙間から顔だけ出したオークルが、大きな欠伸をしながらそう言う。他の人には、ニャーンとしか聞こえていないんでしょうけど。

「早く言えよな、そんなこと。それなら、ほら、俺の首輪を外して売ればいい」

「首輪?」

 そんなものどこに……、と言おうとした私は、長い毛に覆われたオークルの首の奥に何か固いものが触れるのを指先で感じた。

 毛を掻き分けて見ると、そこには宝石をズラッと並べた、首輪というより宝飾品というべき品が輝きを放っている。

「これ、どうしたの……」

 そう訊こうとした時だった。

「フローレンス!」

 突然、鈴の鳴るような声と共に、一人の少女が駆け寄ってきたのは。

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