34.サレドニア王国
元々、サレドニア王国とエルドーラ王国は、長い間敵対関係にある。
何代も前の国王の時代から、国境付近にある肥沃な土地を巡って争いが絶えないのだという。
特に、現エルドーラ国王が若くして即位したばかりの時、ヒルメス殿下の父上であるサレドニア国王がエルドーラに攻め込み、王都近くまで侵攻してかなりの土地を奪い取ったらしく、それからはかなり険悪な関係が続いているらしい。
そして、サレドニア国王が病床についていることを知ったエルドーラ国王が、昔の恨みを晴らし奪われた土地を奪還すべく、兵を挙げたという。
「かつて、即位したばかりの不安定な時期を狙って攻め込まれ、多大な被害を受けたことを、エルドーラ国王エドガーはずっと恨んでいたといいます。今や、彼は国民から絶大な信認を得る強権的な国王となりました。我が国に攻め入る隙を、ずっと窺っていたのでしょう」
マリエルの仕事部屋で、ソファに腰を下ろしたヒルメス殿下は、力なく項垂れている。
「姉上様は、一体何を考えているんだ。今、エルドーラと事を構えることが、どれだけ危険かということをお分かりのはずなのに」
「エリーザ王女は、ミリアブル殿の言いなりになっておられるようです。聡明な御方でしたのに、すっかり人柄も変わってしまわれたとか」
「ミリアブルって?」
ヒルメス殿下の横で慰めるように寄り添っているアルスに訊くと、顔にあからさまな嫌悪感が滲んだ。
「エリーザ王女、つまりヒルメス殿下の一番上の姉君の夫になる御方だ。四大公爵家の出身だが、温厚で控えめな思慮深い方であったのに、陛下がお倒れになったのを境に急に人が変わられたようになってしまった」
急に人が変わった、ねえ。
私は、隣に座るフレイユをちらりと見た。
勿論、もうフレイユは以前の通り、フードを目深に被っていて、表情は見えない。
私たちがリムルラントを経由するか、サレドニアを経由するかなんて、魔獣王に分かるわけがない。待ち構えるなら、両方に網を張ると思う。
このまま、サレドニアとエルドーラの戦争なんて、私たちには関係ありませーん、なんて放っておくのは簡単だ。マリエルだって、まさか私たちにこの戦争を止めろなんて無茶は言わないだろう。
でも、ヒルメス殿下が今置かれている不遇の原因、そして今から起ころうとしている戦争に魔族が関わっているとしたら。
その魔族の目的が、フレイユが持っている神獣族の秘宝なのだとしたら。
きっと、フレイユは知らないふりをしていられないと思う。勿論、それは私だって同じだ。
「マリエル。私は、サレドニアに戻ろうと思う」
俯いていた顔を上げたヒルメス殿下が、絞り出すように声を上げた。
「いえ、駄目です。危険過ぎます」
マリエルは、相手がサレドニアの王太子殿下だろうが構わずキッパリと言い放つ。
「しかし、これ以上姉上様の身勝手を許しておくわけにはいかない」
「あなた様が戻ったところで、一体何ができますか」
うわー、言うなぁ、マリエル。ああ、ほら、ヒルメス殿下が復活できないくらいショックを受けちゃったじゃないか。
「殿下。私たちでよければ、サレドニア国内の様子を探ってまいります」
突然、そう言いだしたのは、私の隣でずっと沈黙を守ってきたフレイユだった。
「えっ」
いいの? きっともうすぐ、リムルラントの港の閉鎖は解除されるよ? サレドニアなんかに行ったら、神獣族の里に戻るのが益々遅くなっちゃうよ。しかも、魔族はフレイユを狙っているんだから、敵の罠に飛び込むようなものだよ?
そんな言葉にできない私の思いを受け止めるように、フレイユは小さく頷いた。
「そうしてくれると助かる。今、私がマリエルに匿われていることは姉上様の耳にも入っているようで、マリエル商会の手の者もサレドニアで身動きが取れなくなっているのだ」
ヒルメス殿下は、辛そうな表情で縋るようにこちらを見る。
「いいんですか?」
確認するように、マリエルが私たちの顔を覗きこむ。
「あ、いえ、その……。いいですよ、勿論」
ええい、こうなったら仕方がない。サレドニアだろうがどこだろうが、行ってやろうじゃないの。
ついでに、魔族も退治してやろうじゃない!
ヒルメス殿下は、泣き笑いのような笑顔を浮かべて、私の手を取り力強く握り締めた。
「現在、私の力になってくれている者たちを教えよう。あちらで、きっとお前たちの力になってくれるはずだ」
という訳で、なぜか私たちは元来た道を通ってサレドニアへの国境を越えた。
ローザラントで出会った商隊と共にこの国境を通ってリムルラントへ入ってから、一カ月と数日。本当なら、もうとっくにサブリアナ大陸に渡っているはずなのに、何でこんなことになっちゃったんだろう。
ううん、これを後退だなんて思っちゃいけない。人間にとって危険な魔族を倒して、リムルラントを危機から救うことができたんだし。
「ねえ、フレイユ。サレドニアの異変も、魔族のせいだと思う?」
「そうですね。確証はありませんが、その可能性はあります」
やっぱり、フレイユもそう考えての決断だったんだ。
「あ、そうそう。ソルバーンの見た目は完全に人間だったよね。ガードンやトカゲの王様魔族は、明らかに魔族って見た目だったのに」
周囲の誰も、ソルバーンが魔族だなんて気付いていなかった。
「魔族の中には、人間に姿を変えられる力を持った者がいるのです。向き不向きもあるでしょうが、元々神力の高かった魔族は、そのような魔術を使えるようですね」
「へえ、そうなんだ。でも、ソルバーンってさ、商才もあったんだね。魔族じゃなくて人間に産まれてたら、今頃はマリエルみたいな商人になれていたのかな」
それは違います、とフレイユは首を横に振った。
「おそらく、元々ソルバーンという名の商人がいたのでしょう。あの魔族は、そのソルバーンを殺して彼に成り変わった。一体、いつから魔族に取って変わられたのかは分かりませんが……。彼のお屋敷から正体不明の遺体が見つかったそうですが、それが本物のソルバーンなのではないでしょうか」
「えっ、そういうことなの?」
それを聞いて、私は思わず身震いした。
「じゃあ、ヒルメス殿下のお姉さんか、その旦那さんが魔族と入れ替わっている可能性があるってこと?」
「そうですね。封邪の剣なら、それを見破ることができるでしょう」
封邪の剣が鳴動したら、近くに魔族もしくは魔物がいると分かる。それに、この剣を身につけているお蔭で、私は人間に成りすましているソルバーンの正体を見破ることができた。封邪の剣には、魔族が使う術を破る力があるみたいだ。
「でも、無理は禁物です。明らかに異国から来た旅人に過ぎない私たちが、サレドニアの王宮に足を踏み入れるなんてまず不可能ですから」
「ま、そうだよね」
「そうです。絶対に無茶をしないでくださいね」
何でそんなに釘を刺されるんだろう。私、フレイユにそんなに注意されるほど、これまで無茶をしてきていないつもりなんだけど。
そして、国境を越えて三日後、私たちはサレドニア王国の王都アレスポに到着した。
異国情緒漂う独特な尖塔が立ち並ぶ美しい街並み。さすが、ロンバルディア大陸一の強国とされる国の王都だ。
なのに、何故か街は人通りが少なくてどこか侘しさが漂っている。
「港が閉鎖されて異国からの旅人もめっきり減ってしまった。国王陛下はご病気が芳しくないようだし、王太子殿下も行方不明のままだし、戦争まで始まるって言うし。この国は一体、どうなってしまうのかねぇ」
ヒルメス殿下とアルスの指示通り、王都で一番大きい通りから二つ通りを奥に入ったところにある宿『翡翠庵』に泊まることにした私たちは、その宿の女主人にそう愚痴を聞かされた。
これは、と、フレイユと視線を交わすと、私はその女主人に探るような質問を投げかけた。
「ひょっとして、アルマさん?」
「え? ええ。なんで私の名前を?」
「実は、私たち、リムルラントから来ました。とある御方からの手紙をお預かりしています」
荷物から手紙を出して差し出すと、それに目を通したアルマの表情がみるみるうちに泣き顔に変わっていく。
「……ああっ、何てこと! おいたわしい。ちょっと、あなた。会わせたい方がいるわ。ここは人の目もあるし、奥へ入って」
動転しながらも宿屋の奥にある女主人の私室に招き入れられた私たちは、彼女がヒルメス殿下に協力している平民出身の騎士ドネルの姉なのだと聞かされた。
それ以降、『翡翠庵』を拠点に、私たちはサレドニアの国情を調査しつつ、エリーザ王女とその夫ミリアブルに接近する方法を探り始めたのだった。




