25.マリエル商会へ
「……くそっ。あいつら、許せねぇ」
『英雄の館』がある小島から三つ離れた小さめの島で、私達は大衆食堂の片隅で遅めの昼食を取っていた。
パンを齧りながら、いい大人の男のくせに涙を浮かべて鼻を啜っているのは、さっきまで気を失っていた旅の男性だ。
あの後、岸へ担いで戻って麻袋から出すと、間もなくこの男性は目を覚ました。けれどまだ意識が朦朧としているようだったから、人目に付かない場所を選んで移動し、別の小舟でこの小島に渡ると、話し合いを兼ねてこの食堂に腰を落ち着けたのだった。
男性の名前はフロードといって、サブリアナ大陸で魔物狩りをしている剣士らしい。
「しかし、彼らは相当手馴れているようですね。正面から乗り込んでいっても、また同じように返り討ちにあうだけです。今度は金銭だけではなく、命も奪われますよ」
人間と関わり合いになることを極力避けているフレイユだけれど、あんまりにもこのフロードが哀れなので、放っておけないみたいだ。
なんせ、フロードは神器の偽物を掴まされた挙句、気を失わされて水路に放り込まれようとしていただけでなく、すでに『英雄の館』内で現在の所持金を全て奪われていたのだから。
「ホント、酷い事するよね」
腹が立つとお腹が減る。
私は三匹目の鳥の丸焼きに齧りついた。香草とニンニクバターの香りが口いっぱいに広がり、一度蒸して焼いた柔らかい鶏肉が口の中で適度な歯ごたえとともにほぐれていく。
ムフ、幸せ。
餞別が全部食費に消えることにならなければいいですが……、というフレイユの囁き声が聞こえたような気がしたけど、……今は気にしないことにしよう。
私としても、せっかく助けた命、フロードには無謀な復讐なんて考えないで、命を大切にしてほしい。
「とにかく、お役人とか警備隊に通報してみたら? あの様子じゃ、直接交渉なんて絶対無理だよ」
「……そうだな」
フロードはガックリと肩を落とす。
金目のものを全部奪われて、無一文になった彼は、この後どうするつもりなんだろう。
私は逡巡した挙句、革袋から数枚の金貨を取り出してフロードの前に置いた。
「えっ……? 何だ、これは」
目を丸くしたフロードは、まるで突然餌を目の前に出された犬のように、歓喜と戸惑いが混じったような表情を浮かべた。
「サブリアナ大陸まで戻れれば、魔物狩りでまた稼げるんでしょ?」
「だからって、お前みたいな子供に恵んでもらうほど、落ちぶれちゃいない」
フロードは、手を伸ばして私の方へ金貨を押し戻した。
へえ、プライドが高い人なんだな、と思いながら、私は敢えて高飛車に振る舞った。
「誰があげるって言ったの?」
「へっ?」
「私達もこれからサブリアナ大陸へ渡るの。だから、これは向こうで利子付けて返してもらうから」
目を瞬かせたフロードは、やがて肩を震わせて泣き笑いし始めた。そして、
「すまない。恩にきる」
素直に金貨を掴むと、懐にしまい込んだのだった。
食堂を出て、王都の警備隊に相談に行くというフロードと別れた私たちは、その小島で宿屋を探して荷物を解いた。
もうどちらかと言えば夕刻に近く、船に乗るとしても明日以降になる。
それに、この騒動ですっかり忘れかけていたけれど、マリエル商会にも行かなくちゃいけない。
もし、本当に『物見の鏡』という神器があるのなら、今クロスが生きているのか、それともそうでないのかぐらいは分かるはずだ。
「しかし、物見の鏡のような神器が人の手に渡っているなんて……」
宿屋の一室に落ち着き、フードを外したフレイユは困惑したように眉を寄せた。
「私も、封邪の剣を持っているんだけど」
「そうなんですよね。やはり、世界には何かこれまでとは違う力が作用しているような気がします」
前も、フレイユはそんなことを言っていた。
私にはいまいち何のことを言っているのかよく分からないけれど、魔族が地上で好き勝手したり、神器が人間の手に渡ったり、地母神様の意図しないことが起きてるってことなのかな。
「あまり遅くなると失礼になるから、日が暮れる前にマリエル商会へ行こうよ」
「そうですね」
意見がまとまり、私たちは宿屋を出た。
マリエル商会は、宿がある小島の一つ隣にある、王都フェリクで二番目に大きい小島にあった。
ちなみに、一番大きい小島には王宮があるらしい。
あのチャラい船頭の兄ちゃんと出くわしたらまずいので、私たちは遠回りをして橋を歩いて渡り、マリエル商会に向かった。
「商会っていっても、完全にお屋敷だね」
近くの商店で聞いた場所に建つ商会の建物は、ロザーナの裕福な貴族のお屋敷でもここまで大きくて立派じゃなかったよなぁ、これって王宮の間違いじゃないんだろうか、と思ってしまうほどだった。
「かなりの豪商のようですね」
「そうみたい。あ、すみません」
私は門の入り口に立っている守衛らしき男性に声を掛けた。
なんだこいつ、とあからさまに訝しむ守衛に、怯んでいる暇はない。
「こちらの会長さんにお会いするにはどうしたらいいでしょうか」
はあ? と守衛は益々眉をひそめる。
「マリエル様は、現在リムルラントにはおられぬ」
「え?」
「そもそも、一体何の用だ。然るべき方の紹介状でも持っているのか?」
……紹介状。何でそれを書いてくれなかったかなぁ。
って、あの商隊の取りまとめ役に、そこまで期待したら可哀想だろうか。
「マリエル様はお忙しいのだ。どんな用件があるのかは知らんが、基本的にリムルラント商業組合に加盟している商人の紹介状がない者とは商談はしない。お引き取り願おうか」
「……ミラク。主がいないとなれば、目的の品を見せてもらうこともできないでしょうから、帰りましょう」
「でも……」
ひょっとしたら、クロスがどこにいるのか分かるかも知れないのに。
フレイユに宥められても、なかなか諦めきれずに門の前を動けずにいる私に、守衛が手にした槍を向けてきた。
「無理なものは無理なのだ。どうしてもマリエル様にお会いしたくば、紹介状を持ってこい。そうすれば、秘書に会える日時を指定してもらえるだろう」
何と、紹介状を持ってきたとしても、すぐには会えないのか。
そりゃそうだろうなぁ、こんな大きな会社のトップなんだから。
後ろ髪を引かれながらも、私はようやく諦めて元来た道を引き返し始めた。
「どうします? マリエル商会の会長はいつリムルラントへ戻ってくるかも分かりませんし、このままサブリアナ大陸へ渡りますか?」
中途半端な時間に昼食を食べたせいでお腹は空いていなかったけれど、そのまま夕食抜きにしたら夜中に大変なことになる。
という訳で、私たちはマリエル商会がある小島で、美味しそうな匂いにつられて小さな通りへ出た。
その通りには、沿道にずらりと屋台が立ち並んでいた。屋台の前にはテーブルや椅子がこれまたずらりと並んでいて、屋台に座り切れない客がそこに注文の品を運んできて食事を楽しんでいる。
陽が沈んで周囲が薄闇に包まれている、ちょうど夕食の時間帯だ。
そのせいか込み合ってはいたけれど、お客の回転率が速いのですぐに席を確保することができた。
「……そうだね。本当に物見の鏡かどうかも分からないし、そんな不確定なことでフレイユの旅を遅らせるわけにはいかないから」
「私は別にいいんですよ」
フレイユはそう言ってくれるけれど、そんな優しさにいつまでも甘えちゃいけない。
「ううん。やっぱり諦める。明日、客船に乗ろう」
そう一旦決めると、モヤモヤしていた気持ちがすっきりして、私は羊肉の串焼きを豪快に頬張った。
これで夜中に空腹に襲われることはないな、と満足したお腹をさすりながら、フレイユと並んで宿屋に戻るべく水路に架かる橋へ向かう途中のことだった。
水路沿いの道を歩いていた私は、思わずハッとして近くの街路樹の陰へ身を隠した。
「どうしました?」
反射条件のように私に習いながら、フレイユが小声でそう訊いてくる。
「あれ見て。あの人、フロードさんを袋詰めにして運んでた奴だよね」
小さな灯火を一つ点けただけの小舟を操り、暗い水面を進んでいくのは、『英雄の館』にいた屈強な男の一人だ。
そして、その小舟にはあと三人が乗っていた。二人は見たことがない男だったけれど、その舳先にいるのは、蛇のような顔をした吹き矢の男だった。
寒気がするのは、水路から吹いてくる冷たい風のせいだけではないと思う。
何だろう、この嫌な予感は。




