20.帰ってきた友
どれくらい、そこで座り込んでいたんだろうか。
「……ミラク、……ミラク!」
不意に肩を強く揺すぶられて、私はハッと我に返った。
「えっ、フレイユ……?」
目深に被ったフードの奥から、赤い目が心配そうにこちらを見つめている。
「どうして、ここに?」
神獣の里に帰る彼と王都の外れで別れたはずなのに、どうしてまたフレイユがここにいるんだろう。
「あなたの様子があまりにおかしかったので、気になって戻ってきたのです。一体、何があったのですか」
そう訊ねられて、改めて周囲を見回せば、物置小屋の窓ガラスが砕けて外れかかった窓枠が揺れている。置かれていた物が床に散乱していて、その中で壁にもたれて座り込んだ状態のまま気を失っているマーナがいた。
そして、やっぱりクロスの姿はどこにもない。
「クロス殿はどこです? 出掛けているのなら、私が呼び戻してき……」
立ち上がったフレイユのローブの袖を、私は咄嗟に掴んだ。
「……消えたの」
「えっ?」
驚いた顔で振り返ったフレイユの袖をぎゅっと握りしめて引き寄せる。
「魔族が、……トカゲの王様みたいな魔族がいて、……クロスはどこか違う場所へ落ちていっちゃったの」
説明しているうちに、また涙が込み上げてきた。
「ふ、……ふえぇぇ」
「ミラク!?」
私の傍に膝を着いたフレイユに、私は縋り付いて泣いた。
フレイユは遠慮がちにだったけれど、震える私の肩を抱いて、宥めるようにずっと背中をさすっていてくれた。
正直、フレイユが戻ってきてくれて助かった。
だって、私もマーナも、負った怪我以上に精神的にもボロボロになっていたから。
私はあの魔族に跳ね飛ばされた時に爪で背中を引っかかれていて、結構な傷を負っていた。痛かったのは、床に打ち付けたせいだけじゃなかったんだ。それに、あの術に弾かれたせいか、右手も真っ赤に腫れ上がっていた。
マーナも、背中に軽い火傷を負っていて、額の周辺に蚯蚓腫れができていた。あとは、手とか足に打ち身が数か所できていたみたいだけど、ほとんど気を失っていたから、いつどうやって怪我をしたのかあまり覚えていないらしい。
クロスが消えてしまったことを知って、マーナはまた気を失ってしまうんじゃないかと思うくらい青ざめて、それからふさぎ込んでしまった。
それは、私も同じだった。家のどこを見ても、クロスのことを思い出してしまう。なのに、クロスはいない。帰って来ない。そう思い知らされる。繰り返し感じる身を裂かれるような痛みに、何度も涙が込み上げてくる。
そんな私たちの身の回りの世話をしてくれたのはフレイユだった。
正直、フレイユにそんな生活力があることが驚きだった。だって、神々しい神獣族様が、水汲みをしたり料理したりすると思う?
温かな野菜たっぷりのお粥はこれまで食べたことのない料理だったけれど、どこか懐かしさを感じる優しい味だった。
とりあえずお腹が満たされて体が温まると、眠気が襲ってきた。
いつの間にか日は傾いていて、周囲は暗くなり始めていた。
「とりあえず眠ってください。これからのことは、目が覚めてから考えればいいですから」
暖炉の前で、パトリックの背中を撫でながらウトウトしていた私に、フレイユがそう促した。
早起きしたせいなのか、それとも長距離を全力疾走した挙句に魔族と戦ってさすがに疲れたんだろうか、とても眠くて仕方がない。
マーナも、食事が済むと早々に自分の部屋に籠ってしまっている。
「うん。そうする」
立ち上がって、パトリックと一緒に自分の部屋に入る。
これが夢ならいい。目が覚めればフレイユの旅立ちの朝で、怖い夢を見た、ってクロスに話すの。
お前、俺を勝手に消すな、って怒るだろうな、クロス……。
ベッドに倒れ込むように横になると、私はそのまま沈んでいくように眠りに落ちた。
何か人が言い争うような声で目が覚めた。
まだ眠くて仕方がないけれど、仕方なく起き上がって部屋から出る。
「あのっ、この人は旅の方で、決して怪しい人じゃないんですっ!」
マーナが必死で訴える声が玄関の方から聞こえてくる。
「だが、クロス殿が行方不明というのはどういうことだ? 今朝方、この家の二階から怪しい光が噴き出して窓ガラスが割れたという目撃情報もある」
その低く響く年配の声に聞き覚えがあった。
「それは……」
困ったように言いよどむマーナに鋭い視線を向けているのは、ローザラント王国のノーマン将軍だった。
「ノーマン将軍?」
呼びかけた私に気付いたノーマン将軍は、少し表情を和らげた。
「おお、ミラク」
ノーマン将軍はクロスと仲が良く、昔はちょくちょく家に遊びにきてくれていた。私を育てる上で相談したいことが出来た時、クロスはノーマン将軍の奥さんに相談していたこともあったらしい。
「どうしたの? 珍しいね、最近はあまり家に来てくれなかったのに」
「いや、すまん。忙しくてな……。それが、今日もクロス殿と会う約束があったのだが、いつまで待っても王宮へ来ない。そんなことは今までなかったので心配になってな。部下を呼びにやらせたら、何やら見たこともない怪しい男が家にいて、クロス殿が行方不明だと言っていると報告してきたのだ」
「怪しい男?」
あ、フレイユか。
「その男がクロス殿や君たちに危害を加えて居座っている可能性がある、と駆けつけてきたんだが、私の早とちりだったか?」
「うん。フレイユは私達の友達だもん。……でも、クロスがどこかに消えちゃったのは本当なんだ」
「何だと?」
ノーマン将軍の表情が厳しくなり、眉間に深い皺が寄る。
「その、玄関先では何ですので、どうぞ中へお入りください」
蒼ざめた表情でマーナがそう声を掛け、ノーマン将軍はお付きの二人の騎士を外で待機させたまま一人で家の中へ入ってきた。
昨夜、フレイユのお別れ会をした時と同じ配置で、クロスがいた席にノーマン将軍が座っている。
ダイニングテーブルを挟んで向かい側に座るノーマン将軍は、横に掛けたマーナの説明をじっと聞いていた。
マーナは、私が魔族を倒したことやハディの黒い剣については触れないように、ううん、意図的に隠して説明をしていた。
私がフレイユと出掛けた後で、物置部屋にいたところ、突然魔族が出現して気を失ってしまったこと。気が付いたらクロスが瘴気の満ちる空間に飛ばされようとしていたこと、魔族に殺されそうになって、咄嗟に白蛇の杖を構えたところでまた気を失ったこと。どうやらその魔族はクロスに恨みがあって復讐をしにやってきたらしいこと。それは、マーナが経験した全てだった。
そして、私から聞いた話として、家に帰ってきたら物置部屋でクロスがどこか分からない空間へ落ちていくのを見た、必死で抵抗したら怪我をしていた魔族はいなくなった、と説明した。
本当は、マーナにもフレイユにも、私がハディの黒い剣で魔族を倒したことを伝えていた。でも、そのことは誰にも言わない方がいい、とフレイユに口止めされていたんだ。
ハディの黒い剣は、人間の手に渡ってはいけない神器の可能性があること。
そして、若干十五歳の少女である私が魔族と戦って勝ったなんて、言ったところで信じてもらえない。もし、信じて貰えたとしても、じゃあどうやって勝ったという話になれば、黒い剣の存在を話すことになる。
だから、私が魔族を倒したことは秘密にしておこうという話になっていた。
「ミラク」
話を聞き終えたノーマン将軍は、じっと私の顔を見つめた。
うっ、何だろう。もし、何か隠し事はないかと言われたら、正直黙っている自信はない。
「怖い思いをしたな」
「……え? ……あ、うん」
突然、憐れむように慰められて、私は一瞬戸惑ってしまった。
「クロス殿のことは残念だが、まだ諦めることはない。宮廷魔法使いにもどこかで無事に見つかる可能性について聞いてみよう」
……どこかで無事に見つかる可能性。
クロスが消えた状況を目の当たりにした私には、全く思いつかないことだった。
でも、そうだ。諦めてしまうにはまだ早いんだ。だって、生きている確証はないけれど、クロスが死んでしまったと決まった訳じゃないんだから。
希望の光が見えてきて何だか力が湧いてきた。
けれど、椅子から立ち上がったノーマン将軍がマーナにかけた言葉に、私は思わず耳を疑った。
「それから、マーナ。君も落ち着くまで、王宮への出仕を三日ほど遅らせるよう取り計らっておこう。寮の管理人にもそう伝えておく」
「……それは、ありがとうございます」
王宮へ出仕って? ……寮って何?
マーナ。私に黙って、どこかへ行っちゃうつもりなの……?




