16.別れのとき
その日は、朝からマーナの元気がなかった。
それだけじゃない。顔色も悪いし、目は腫れて充血しているし、髪はいつにも増してボサボサだし、どこかボーッとしていて、エプロンを裏返しに着けていた。
別に、マーナはいつもどこか抜けているところがあるから、少しぐらい変でも全然構わない。
でも、朝食のパンは焼き過ぎて固いし、スープの野菜は生煮えだし、それに気付いて泣きそうになっていた。そこまで変だったことは今までになかったから、さすがに少し心配になってきた。
ああ、パンを千切りながら大きな溜息なんか吐いちゃって。
クロスも食事の手を止めて、心配そうにマーナを見つめている。
「ねえ、何かあったの?」
さり気なく二人に聞いてみたけれど、明らかに『あります』という動揺を見せてくれた上で、
「何もない」
と否定されてしまった。
余計に気になるじゃないかっ。
ようやく私の罰が解けて外出が許可されたので、フレイユと二人で旅に必要そうな品物の買い出しに出かけることにした。
「ねえ、あの二人、何かあったのかなぁ」
道中、そう訊いてみたけれど、フレイユは首を横に振った。
「さあ。あったとすれば、昨夜私達が眠った後だと思いますが」
「マーナは結構遅くまで、キッチンの片づけとかしてくれているからね。クロスの帰りも遅かったみたいだし」
そこで、はた、と私は思いついてしまった。
「まさか、クロスに恋人ができた、とか」
「……へ?」
「だって、ここの所、クロスったら仕事だっていって家に帰るのも遅いし、すぐに出かけて行っちゃうし。これは、余所にいい人ができたに違いない」
寧ろ、今までいなかったのがおかしいぐらいだ。
「それで、なぜマーナの様子がおかしくなるのですか?」
「ええっ。鈍いなぁ、フレイユは。マーナはクロスのことが好きなんだよ」
「そうなんですか?」
「そうだよ。私はてっきり、クロスもマーナのことまんざらじゃないと思っていると予想してたんだけど、そうじゃなかったんだね。可哀想に、マーナ」
「そんな、不確定な予想でマーナを失恋させる方が可哀想ではないでしょうか……」
フードの奥で、フレイユの眉毛が困ったように下がっている。
「でも、クロスが余所の女の人と結婚したら、私達お邪魔虫になっちゃうね。よし、そうなったらマーナと二人であの家を出て、どこか別の所に引っ越さなきゃ」
「気が早すぎますよ」
「そんなことないよ。ただでさえ、私がいたせいでクロスは婚期を逃してきたんだし。今は男前でも、いつまでもそうだとは限らないんだよ」
そうとなると早速行動しなければ。
旅用品の買い出しのついでに、目ぼしい空き物件がないか聞いて回ろう。
あ、これからは自分たちで食い扶持を稼がないといけないから、仕事も探さないとなぁ……。
剣の腕には自信があるけれど、ローザラントでは兵士の募集は男子だけだし。
となると、貴族の私兵か、豪商の用心棒か。でも、どれも実績がないと採用してくれないらしいし。剣の師匠に、推薦状でも書いてもらおうかなぁ……。
お昼前に家に戻ってきたら、誰もいなかった。
まさか、傷心の余りマーナが家出した!? と一瞬焦ったけれど、ダイニングテーブルの上にちゃんと書置きが残されていた。
『用事が出来たので、出掛けてきます。夕食の準備に間に合うようには戻ってくるので、二人で昼食を食べておいてください』
ちゃんと、私とフレイユの分の昼食が、その書置きと共に用意されていた。
クロスは今日も仕事で出掛けている。これまでの魔法学校の講師や家庭教師の仕事に加えて、王宮からも再三呼び出しを受けているらしい。
それに加えて恋人と会っていたら、家にいる暇なんてないよね……。
マーナの用事って何だろう。まさか、すでに家を出て独立する準備を始めたんじゃないだろうか。
水臭いじゃない、マーナ。まさか、私を継母へ引き渡して、自分だけ家を出るつもりじゃないよね?
「……ミラク。食べながら百面相は止めてください」
真剣にフレイユに怒られてしまった。
どうやら、思ったことが全部顔に出てしまっていたらしい……。
余談だけれど、出かけているマーナの代わりに食器を洗って片づけようとして、終わるまでに三枚お皿を割ってしまった。
フレイユには、余計なことをしなければよかったのに、と口には出さないまでも、目で語られてしまった。
ほら、ミラクの思い過ごしですよ。
と、言いたげなフレイユの視線が私の横顔に刺さる。
夕方、何とマーナがクロスと一緒に帰ってきたのだ。しかも、二人で一緒に露店通りで買い物までしてきたらしい。
大きな紙袋を抱えて玄関のドアを押さえているクロスに、お礼を言って入ってくるマーナ。どこからどう見ても、似合いの新婚夫婦だ。
「あ、ミラク。ただいま。ごめんね、すぐ夕食の準備をするから」
私の顔をまともに見ないでキッチンへ駈け込んでいくマーナ。照れてるのか? そうなのか?
「あれ? お皿が割れてる。しかも三枚も……」
マーナの声がキッチンから聞こえてきて、ぎょっとした私をクロスが一瞥する。でも、
「すみません、クロスさん。この棚の上の方に予備があるので、出してもらえませんか?」
というマーナの声が聞こえると、いそいそとキッチンへ入っていく。
「どれ? ああ、この奥?」
「そうです。ありがとうございます。助かります」
「そんな。このぐらい、いつでも言ってくれ。何か手伝おうか」
「あ、じゃあ、そのお芋を……」
……何だろう。逆に、この置いてけぼり感は。
振り返ると、フレイユが口元を押さえて笑いを堪えていた。
すみませんでしたね、勝手な妄想で突っ走って。
でも、じゃあ今朝のマーナのボロボロ感は一体何だったんだろう……。
それから五日が経ち。
とうとうフレイユが、神獣族の里へ旅立つ日がやってきた。
前の晩には、盛大にお別れ会を開催してフレイユを激励した。マーナもこれまで以上に腕を振るってくれて、クロスは久しぶりにお酒なんか飲んじゃって、ワイワイと本当に楽しい夜だった。
早朝、まだ人通りが多くならないうちに、フレイユは王都を出て北に向かう街道に出る予定だ。
もう、これでお別れなのか……。
「本当にお世話になりました。里に戻ったら、一族の者達にも皆さんのことをお話ししたいと思います。人間の中にも、皆さんのように素晴らしい方々がいるということを」
まだ白々と明けたばかりの空の下、門の前で別れを告げるフレイユを見ていると、無性に寂しさが込み上げてきた。
「それでは、皆さん。お元気で」
「宝珠を里まで届けたら、また会いに来てくださいね。私たちが生きているうちに」
冗談交じりでそう言ったマーナに、フレイユはまんざらでもなさそうに頷いた。
「ええ、必ず」
「あっ、あの、私、フレイユを途中まで送っていくね」
このままここでお別れするのが辛くて、私はクロスに了承を求めた。
「ああ。でも、フレイユ殿の邪魔だけはしないようにな」
「うん。分かってる」
頷くと、歩き始めたフレイユの後を追う。
一度、何気なく振り返ると、まだ門の前に立ってこちらを見ているクロスとマーナが手を振ってくれた。
そうやって二人並んで立っていると、本当に夫婦みたいだね。
帰ってきたら、そう言って冷かしてやろうとスキップしながらまた歩き出す。
でも、そうやって二人をからかうことも出来なくなるなんて、その時の私は思いもしなかったのだった。




