15.マーナの思い
マーナ視点でのお話しです。
グツグツ煮える鍋を掻き回し、ほんの少し小皿にとったスープの味をみる。
……うん、今日もイイ感じ。
頷いて火を弱め、竈を覗きこむ。
チーズたっぷりのミートパイがうまい具合に焼けている。いい匂いはすでにキッチンから外にも漂っているはずだ。
ミラクを連れ戻そうとして、結局一緒にククロの森へ足を踏み入れることになってしまった時は、本当にどうなるかと思ったけれど、無事に帰って来られて何よりだわ。
予想はしていたけれど、本当に魔物が現れた時にはやっぱり足が震えた。自分でも思ってもみないほど冷静に攻撃できたのには驚いたけれど。
でも、私の魔法の威力は相変わらずだった。ガッカリし過ぎて、寧ろ笑えてくるぐらい。
やっぱり、フレイユは神族だけあって、魔物なんて相手じゃなかった。それにしても、神力って何て神々しいのかしら。戦いの最中なのに、見ていて思わずうっとりしてしまったくらい。
そして、ミラク。あの子はやっぱり普通の子とは違う。
初めて遭遇した魔物に怯えることもなく、寧ろ、人間とは相容れない敵として認識していたみたいだわ。冷静に、私の魔法では倒すに至らなかった魔物に止めを刺してくれていた。
神獣王妃はもうすでに亡くなられていたのね。それでも、神獣族の秘宝を同族に託すべく、身体を失ってもずっとククロの森で待っていただなんて、何て感動的なんでしょう。
そのお姿もとても美しかった。ただ綺麗なだけじゃなく、慈愛に満ちていて、目が合った時には思わずドキッとしてしまったわ。今でも思い出して胸がドキドキするくらい印象的だった。
あのガードンという魔族が現れた時には、本当にもうこれで終わりだと思ったわ。だって、魔物じゃなくて、魔族よ。
フレイユが言っていたけれど、魔物は元々神族の眷属、つまり神族の部下的な存在だったらしい。神族ほどじゃないけれど、人間や普通の動物よりも強い力を持っている、という存在。
けれど、魔族は元神族。地底に下りてあんな邪悪な姿になったとはいえ、元は地上を支配していた存在だもの。フレイユでも歯が立たないのに、私たちに抗う術なんてなかった。
なのに、ミラクったら。
何の迷いもなく戦いを挑んでいって、剣を振るって。あれ、剣がもっと丈夫で大振りのものだったら、折れたりもせず、あの一撃でガードンを倒せていたかも知れないわね。
剣の道場でも向かうところ敵無しなんて言われていたようだけど、その噂は本当だったのね。
ミラクの剣が折れてしまったのを見て、私は完全に絶望したわ。
クロスさんにあんなに頼まれていたのに、ミラクを守ることができなかった。
でも、私もすぐにミラクの後を追うことになるのだから許してください、と心の中でクロスさんに詫びた時だったわ、あの子がガードンに殴りかかったのは。
目の前で起きたことが信じられなかった。
ミラクの拳が光を放ち、頬を殴られたガードンは吹っ飛ばされて何本も木をへし折り、巨木に叩き付けられて倒れていった。
その直後のミラクは、何だか私の知っているミラクじゃないみたいに見えた。
男の子みたいに短めに切ったくせ毛の金髪が白っぽく光って、深い蒼の瞳が爛々と輝いていた。
きっと、神器の腕輪を使ったから、そんな変化があったんだろうと思う。でも、普段のミラクからは考えられない、攻撃的なのに冷静さも感じさせるピリッとした空気に、何だかミラクが別の存在になってしまったように感じて少し焦ってしまった。
思わず声を掛けると、すぐにいつものミラクに戻ってホッとしたけれど。
元々、ミラクには出会ってからずっとビックリさせられっぱなしだから、ガードンを殴ったミラクの拳の威力も、まあ、ありなんじゃない、と私は結構単純に受け入れてしまった。
けれど、後で冷静に思い返すと、飛んでもないことをしたのよね、あの子は。
神器の腕輪を変形させてしまったことが分かって、クロスさんに大目玉を食らっていたけれど、私たちを助ける為に無我夢中でしたことだから仕方ないわよね。でも、あんなことが出来てしまうなんて、やっぱりあの子は普通じゃないわ。
そして、やっぱりさすがはクロスさんよね。私たちの絶体絶命のピンチを救ってくれた。
しかも、姿を現すことなく、敵に触れることもなく、異空間に封じ込めてしまうなんて、何てステキなの! 凄い、凄過ぎるわ!!
……ハッ、危ない。危うくミートパイを焦がすところだった。
取り敢えず、竈からパイ皿を取り出して鍋敷きの上に置き、スープ鍋の火も落とす。
あとは、昼食の直前にサラダを盛りつければ完成っと。
それまで少し時間があるから、裏庭の様子を見てこようか。
エプロンを外してキッチン用の小さな丸椅子の上に置くと、勝手口から外へ出る。
裏庭には、私がクロスさんから許可を得て栽培しているハーブの小さな畑がある。その向こうで、ミラクが山のような量の薪を無心で割っていた。
クロスさん。……罰になっていませんから。
フレイユの神器の腕輪を変形させてしまった罰として、ミラクは外出を禁じられ、家の中の仕事をアレコレと命じられていた。
けれど、下手に洗濯や掃除をやらせると、服を破いたり窓を割ったりし兼ねないので、自然と薪割りや草むしりなど、繊細さを要求されない仕事に限定される。
「こらこら、斧を剣みたいに振り回さないで」
注意すると、ミラクはニカッと笑って斧を振るう。クロスさんも敵わないくらいの、鮮やかな手つきだ。
全く、あの小さくて細い身体から、どうしてあんなパワーが出るのだろう。
ミラクが振るっている斧なんて、私は重過ぎて振り上げることも出来ないのに。
「お願いだから、草と間違えて畑のハーブを抜かないでよ。それから、綺麗な花を咲かせる草もあるから、それは残しておいてね」
後半部分は無理かもしれない、と思いつつ、そう釘を刺すと、ミラクは
「任せといて」
と陽気に手を振ってくる。
ミラクはどんな時も明るくて、まるで太陽みたいな子だ。あの子のお蔭で、私はウジウジ悩んでいた自分から、少しずつ変わることができた。お日様に照らされて、湿っている洗濯物が乾いていくように。
お昼前、クロスさんと一緒に市場や露店通りの様子を見に行っていたフレイユが帰って来た。
クロスさんは家の少し手前までフレイユを送って、すぐに王宮へ向かったらしい。ククロの森の騒動で、今後の魔物対策など、意見を求められていろいろと忙しいようね。
「市場も露店も、大変な騒ぎでしたよ」
家の中に入ったフレイユは、フードを取って汗ばんだ額を拭った。勿論、耳は髪の中に厳重に隠している。
「そうなんですか? 南西部への交通が早々に回復して、寧ろ落ち着きを取り戻したんじゃないかって思っていたんですけど」
「それが、ロザーナの食糧不足が長引くと踏んだ商人や貴族達が、財力に物を言わせて高値で買占めを行っていたんですよ。後で、買値より高値で転売する目的だったらしいんですが。それなのに、魔物騒動があっという間に解決してしまったものですから、買占めをした連中にとっては困ったことになったようです」
つまり、返品するから返金しろ、と市場や露店商に圧力をかけているらしい。
でも、もうすぐ収穫期を迎え、新鮮な農作物が山のように入荷されてくるのに、今更備蓄されていたかび臭い穀類やイモ類なんかの返品に応じる業者なんているんだろうか。
欲に目が眩み、他人の不幸に付け込んで儲けを企んだツケは大きい。精々、今年は高くて古い食糧を地道に自分たちで消費してくださいな。
「あっ、フレイユ、帰ってきてたんだ。おかえりなさい!」
汗を拭いながら、ミラクがキラキラした笑顔で入ってきた。
「さあ、二人とも手を洗ってきて。昼食にしましょう」
そう声を掛けながら、私は今までで一番充実した気分を味わっていた。
こんな日が続けばいい、と思った。フレイユが旅立ってしまった後も、クロスさんはいつまでも完璧なクロスさんで、ミラクは太陽みたいに明るくて、私はそんな二人の為に美味しい食事を作り、家を掃除し、庭でハーブを育てて家計をやり繰りして……。
でも、そんな私の都合のいい願いなんて、叶う訳がなかった。
その夜、ミラクもフレイユも眠ってしまった時間になって、クロスさんが帰ってきた。
丁度、キッチンの片づけと食材の仕込みが終わって自室へ戻ろうとしていると、玄関を入ってきたばかりのクロスさんに呼び止められた。
「何でしょう?」
クロスさんは、キッチンに私を引き入れると、内緒話のように囁いた。
「マーナ。王宮で働く気はないか?」
「えっ……?」
「魔物騒動で、国も宮廷魔法使いの数を増やすらしい。私が推薦するから、一度試験を受けてみないか?」




