12.救いの手は
「でええええいっ!」
渾身の一撃を繰り出した私は、右手にかなりの衝撃が走るのを感じた。
ナックル・ダスターになれば、と握り締めていた腕輪が掌に食い込んだ痛みと、相手を殴った分の拳へのダメージだ。
でも、そんなことどうでもいいと思えるくらい、私は驚いて立ち尽くしていた。
私の一撃がガードンの左頬を捉えた瞬間、腕輪の宝石から眩い光が放たれ、ガードンは文字通り吹っ飛んだ。
しかも、飛んでいく方向にあった細めの木を何本も巻き込んで薙ぎ倒し、最後は大木に背中から打ち付けられ、ズルズルと地面に沈んだのだった。
「……やった?」
決まった、という手ごたえはあった。けれど、やった、倒した、とはしゃぐ気にはなれなかった。
まさか、この腕輪で殴ったらあんな威力になるなんて。
まじまじと、右手に乗せたフレイユの腕輪を見つめる。
ただの拳で殴るより、何か固いものを介した方が威力も倍増するだろうと思ってやったことだけれど、何かしらこの腕輪の力が作動したことは確かだ。
ガードンを殴った瞬間に宝石が放った光からは、フレイユが神力を使った時と似たような感じがした。きっと、この腕輪には何かしらそういう力があるのに違いない。
「……ミラク?」
弱弱しい声がして振り向くと、マーナがよろめきながら立ち上がるのが見えた。
「マーナ、大丈夫?」
駆け寄ると、やや呆然とした感じのマーナが呟いた。
「ええ。それより、これは……?」
マーナの視線の先には、何本も途中から折れた木と、その先の巨木の根元にうつ伏せで倒れているガードンの姿がある。
「あの、この腕輪の力で……」
手にしている腕輪を見せながら、しどろもどろに説明しようとしたが、マーナは突然包み込むように私を抱きしめた。
私よりも掌一つ分背の高いマーナが、労わるように手を回して背を撫でてくれた。
「怖かったでしょうに、よく頑張ったわね」
「え、……あ、うん」
何だか、涙が出そうになった。
だって、剣の道場でも、負けたくない気持ちが先走って夢中になると、ハッと気付いた時にはやり過ぎてしまっていて、師匠や同門生の顔に怯えのような表情が浮かんでいた。
きっと、私が仕出かしたことを見て、マーナも同じ反応をするとばかり思っていた。
「助けてくれて、ありがとう」
耳元でそう囁いたマーナの声が胸に沁みる。
「うん。早くクロスのところへ帰ろうね」
ごめんね、マーナ。私のせいで、こんな危険なことに巻き込んじゃって。
そんな気持ちを込めてマーナを抱きしめ返す。
「そうね。……ハッ、そう言えば、フレイユは大丈夫?」
「えっ……」
二人で顔を見合わせ、慌てて倒れたままのフレイユに駆け寄って抱き起す。
「フレイユ、起きて。早くここから逃げましょう」
マーナが荷物から水筒を出して、中の水をフレイユの顔に掛ける。
でも、微かに呻いたものの、フレイユは目も開けてはくれない。完全に気を失っているようだ。
「森の結界が解けたから、もう惑わされずに森から出られるのに。ミラク、フレイユを負ぶってくれる?」
「分かった。あの魔族が起きる前に、逃げないとね」
私はマーナに手伝ってもらいながら、何とか意識のないフレイユを負んぶした。
負傷して気を失ったフレイユを私が運ぶのはこれで二度目だと思うと、少し可笑しかった。
……でも、物事はそう上手くは運ばなかった。
「……お前ら」
私たちが数歩も歩かないうちに、地を這うような声が追いかけてきた。
「この俺様にこれだけのことをしておいて、タダで済むとは思うなよ」
悪寒が走り、ゆっくりと振り向くと、巨木の前でいつの間にか座り込んでいたガードンが、爛々と光る赤い目でこっちを睨みつけていた。
ガードンから発せられる殺気が、まるで黒々しい色まで分かるくらい禍々しく渦巻いている。
まずいな。もう、さっきみたいには油断してくれないだろうし。
あの不思議な腕輪は、フレイユを負ぶう時に右手首にはめている。でも、あのガードンの懐にもう一度飛び込むことが出来るだろうか。
ううん、きっと無理だ。ほら、あいつはもうそんな隙を与えるつもりは全くない。
ゆらり、と立ち上がったガードンの掌には、先ほどフレイユに放った黒く渦巻く玉があった。しかも、ご丁寧に今度は両手にそれぞれ一つずつだ。
さっきは、フレイユが光の盾で防いだ上での爆発だった。もし、それもなく直接あれをくらったら、どうなるか分からない。
マーナだけでも、できればフレイユも一緒に逃げて欲しかったけれど、そんな時間もない。第一、この攻撃を乗り越えたところで、逃げ切るなんて不可能だ。
「フン。観念したか。お前らには、精々苦しんで死んでもらうぞ」
一歩、二歩、と薄笑いを浮かべながら近づいてくるガードン。
楽しそうに、右手の上に乗せた黒い玉を上下に揺らしながら、クックッと笑っている。
私たちはどうすることも出来ずに、近づいてくる死の恐怖にただ立ち尽くすことしか出来なかった。
けれど、三歩目から四歩目に移ろうとしたところで、不意にガードンは動きを止めた。
「……なんだ?」
まるで雨でも降って来たのか? と天を仰ぐように、ガードンは空を見上げた。次いで、ポカンとした表情で左右を見回し、後ろを振り返り、それから突然牙を剥きだして大声で叫んだ。
「おいっ! 隠れても無駄だぞっ! 大人しく出てこいっ!!」
「……は?」
勿論、私たちはその場を動いてはいない。ガードンの視界に入っているはずなのに、何故かあいつには私達の姿が見えていないようだ。
「くっそぉ……。ええいっ、これでもくらえっ!」
自棄になったガードンは、両手にそれぞれ乗せていた黒い渦の玉を滅茶苦茶に投げつけた。
その一つが、私達に向かって飛んでくる。
「うわああっ!」
「きゃあああっ!」
もうダメだ、と私達は悲鳴を上げて顔を覆った。
けれど、玉が爆発する衝撃はなく、恐る恐る顔を上げて見ると、ガードンと私達のちょうど中間点辺りで制止した黒い玉が、黒い煙を上げながらどんどん小さくなっていくところだった。
もう一つの玉も、やっぱりガードンから少し離れた空中で停止し、煙を上げながら消えていく。
「な、なんだ、何なんだ、これは……」
気のせいだろうか。呆然とした表情で狼狽えるガードンの声が、何だか聞き取りにくくなっていく。
それどころか、その姿がだんだんとぼやけていっているように見える。
ワンッ!
代わりに、聞き覚えのある鳴き声がハッキリと聞こえた。
「あ、パトリック! 今までどこに行ってたの」
ガードンが現れた辺りから、気が付けばいつの間にかどこかに姿を消していたパトリックが、尻尾を千切れんばかりに振りながら走ってくる。
その愛らしい姿に思わず笑みが零れる。けれど、その後ろからやってくる人物に気付いた私は笑顔を凍り付かせた。
「パトリックは、私を探してここまで連れてきてくれたんだ」
「へ、……へええ、そうなんだぁ。でも、随分と来るのが早かったね、クロス」
動揺を隠そうと努めて平静に返したつもりなのに、口元が引きつり、声が震えてしまう。
王宮へ呼ばれて行く時のような魔法使いの正装をしたクロスの手には、拳大の青い魔石が取り付けられた長い杖が握られていた。
「ミラク。お前という奴は……。まあ、説教はこいつを片づけてから、じっくりとしようか」
額に青筋を浮かべていたクロスだったけれど、ふと思い直したように杖を構え、不敵な笑みを浮かべた。
その笑みを浮かべた後のクロスは、最強に怖い。説教だろうが何だろうが、絶対に容赦してくれない。
がっくりと肩を落とす私の前に立つと、クロスは半透明にまで薄くなったガードンに向けて杖の先の魔石を向けた。
魔石が白っぽい光を放ち、ガードンを中心にちょうど黒い玉が消滅した辺りまでの光の球体が現れた。そう、今まで見えなかっただけで、ガードンはいつの間にかその球体の中に閉じ込められていたみたいだ。
その球体はだんだんと小さくなっていき、それにつれて中のガードンの大きさも小さくなっていく。やがて、喚くガードンの声も聞こえなくなり、球体はガードンを飲み込んだまま跡形もなく消えてしまった。




