11.魔族との戦い
「やばい、まずい、……これはとんでもなくとんでもない状況だわ!」
マーナがわなわなと震えながら、一歩二歩と後ずさりする。
マーナみたいに魔物に関する予備知識がある訳じゃないけど、私にもマーナの言わんとすることが痛いほど伝わってくる。
こいつはやばい。
狼頭の傍にある木の枝から、見る見るうちに茶色に変色した木の葉がひらひらと舞い落ちて来る。
ニッと笑ったその口元には、黄色い獣の牙が覗く。その牙の隙間から漏れ出る空気まで、どす黒く色づいて見えるほど禍々しい。
後ずさりしつつ、私に縋り付くように抱きついてきたマーナが、耳元で囁いた。
「人型の魔物は、神族でも高位だった者の慣れの果てなの。だから、とんでもなく強いのよ」
人型といっても、この魔物の頭は獣だけれど、それでも獣型やドロドロ型なんかとは比較にならないくらい強そうだ。
「……ガードン。どこまで私たちの邪魔をすれば気が済むのですか。私達の旅は、地母神様のご意志でもあるのです。これ以上妨害するつもりなら、あなたもただではすみませんよ」
素早く宝珠を懐に仕舞い込んだフレイユが、私たちを庇うように魔物との間に立ち塞がった。
すると、ガードンと呼ばれた魔物は喉を鳴らして笑い始め、やがて体を捩りながら爆笑した。
「三世界協定のことを言いたいのか? 馬鹿め。最早、地母神に我々魔族を止める力は無い! 有れば、魔物ごときではなく、魔族位の私が地上に出て来ることさえ不可能だ。違うか?」
グッとフレイユが返す言葉に詰まった。
「協定など、とっくの昔に失効しているんだよ、小童。俺がお前の連れだったあのクソ生意気な有牙種のガキを始末しても、この森で魔物を放って人間を襲っても、死にぞこないの王妃の力が消えるまで潜んでいても、俺には何の罰も下らない。それこそがその証拠じゃねえか」
ふるっ、とフレイユの肩が大きく震えるのが、後ろから見ても分かった。
「……オークルの仇は、私が討ちます!」
フレイユは素早くローブの中からキラキラと輝く宝石の付いた腕輪を取り出すと、右手に嵌めた。
それから、右手で空中に何か複雑な図形を描いていく。
「フッ、やっぱりお前は馬鹿だな。あの戦闘タイプの有牙種のガキでさえ、俺に歯が立たなかったっていうのに。弱小の耳長種が俺に敵うとでも思っているのか」
「やってみなければ分からないでしょう!」
そう叫んだフレイユの右手が描いた軌跡が、光の図形となって宙に漂う。
それを見たガードンは笑いを潜め、口元を歪めた。
「ほお、神力に関しては、そこそこ使えるようだな」
「地母神様が三世界協定に介入しないとなれば、我々も地上で息を潜めている必要はないということです」
「つまり、この間は本気じゃなかった、と言いたいのか」
カカカ、と笑ったガードンは、血のように赤い目をカッと見開いた。
「愚かな奴め! ……まあいい。お前を血祭りにあげ、その懐に隠し持っている宝珠をブロンザス様の元へお届けするまでだ」
「……ブロンザスって、神獣王の息子の?」
私にしがみ付いたままのマーナが、震える声で呟いた。
「えっ、じゃあ、さっき浮かんで消えてった神獣王妃の息子?」
こくりとマーナが頷く。
「神話には、神獣王ゴルディーンが戦死して、神獣族はブロンザスを王に迎えて地底に下ったと書かれてあったわ」
ガードンは、見た目からだけでも、以前は神獣族だったらしいことは分かる。フレイユへの絡みようからも、きっとそれは間違いない。そのガードンがブロンザスの配下だというのなら、神獣族はブロンザスに従って地底に下った者と、フレイユのように地上に隠れ住んでいる者に分かれていることになる。
片や、神代の時代を生きた神々しく美しい身体を保ったフレイユ。片や、地底の瘴気で黒く醜い姿に変わってしまったガードン。
けれど、今、この場での勝敗を決めるのは、美醜じゃない。
フレイユの描いた光の図形から、小型ナイフのような形をした無数の光の刃がガードンへと飛んでいく。
ガードンは、その光の刃が自分に届く前に、両手の人差し指と親指で菱形を作ると、両腕を横に広げた。その動きに合わせて、菱形が黒っぽい盾となってガードンの身体の前面を覆う。
ガガガガッ!
凄まじい音を立てて盾に突き刺さった光の刃は、固いものにぶつかった雪の玉のように砕け散っていく。
それでも、その砕けた欠片のほんの僅かだけれど、光の筋となって、盾からはみ出したガードンの肩や足に僅かな傷をつけた。
「フッ、所詮、こんなもんよ」
光の刃が打ち止めになると、ガードンは鼻で笑い、右手を前に突き出した。掌を上にして、指を僅かに曲げて力を込めるように動かすと、黒い渦を巻く球体がその上に現れた。
ガードンはそれをひょいっと投げた。まるで、人間が野良猫にふざけて石を投げるみたいに。
フレイユは慌てて、さっきのガードンと同じように盾を出現させた。こっちは、やや黄色がかった光の盾だ。
けれど、掌サイズの黒い球体は、光の盾に当たると凄まじい勢いで爆発した。
「きゃあっ!」
フレイユの背後、しかも結構離れた場所にいたのに、私たちはその爆風に吹き飛ばされ、背後の木に打ち付けられて地面に倒れた。
「……うっ、マーナ?」
少しクラッとする頭を押さえながら顔を上げると、少し離れた木の根元で、マーナがぐったりと仰向けに倒れていた。
一瞬、背中から冷たい汗が流れ落ちていった。けれど、すぐにマーナが小さなうめき声を上げるのを聞いて、ほっと胸を撫で下ろした。
よかった、生きてる。
でも、命の危険が去った訳じゃない。
あのガードンという魔族を倒さないことには、私達は生きてクロスの元には帰れない。
視線を移すと、さっき立っていた場所から随分と後方、私達に近い場所で、フレイユが倒れていた。
鼻を突く、生臭いような瘴気の匂い。あの黒い球体が爆発した後の煙には、瘴気が含まれている。
その立ち込める煙の中を、ガードンがゆっくりと歩いてくる。
神獣族の秘宝を奪うために。
私たちを殺すために。
そう思った瞬間、何かカッ、と熱いものが私の中で燃え上がった。
突き動かされるように、私は素早く起き上がると、腰の剣を抜きつつ駆けだしていた。
神獣族の秘宝を奪おうとフレイユばかりを注視していたガードンの目が、私を捉える。
その時には、もう私はガードンとの間合いを詰めていた。
「ええいっ!」
気合いと共に渾身の力を込めて横に凪いだ剣は、ガードンの身体を真っ二つにしていた、と思う。
もし、剣が折れずにいてくれたなら。
ガードンの着ている鎧の胴部分を刃で激しく叩いた剣は、柄に近い部分からパッキリと折れ、刃先はクルクルと回転しながら藪の中へ消えていった。
「うえっ!?」
思わず、折れた剣を見つめて呆然とした私は、不意に吹き付ける殺気を感じて後方に飛んだ。
空中で一回転して降り立ったのは、倒れたフレイユの傍だった。
「お、……おのれっ!」
さっきまで私がいた場所の地面に、ガードンの拳がめり込んでいた。しかも、その場所から円を描くように草が枯れていき、その範囲が広がっていく。
やばい。まずい。どうする?
何とかしないと、何とか。何かないの?
ふと、視界の端に、キラッと光る何かが映った。
フレイユの右手に嵌められた、黄金色の金属製で、様々な色の宝石が嵌められた腕輪。
素早くフレイユの手から腕輪を抜き取ると、右手で握り締めた。
そう、手首にはめた訳ではなく。
鎧の上からだったとはいえ、剣での一撃はそこそこガードンに効いているようだ。
よろめきつつ、拳を地面からゆっくりと抜き、身体を起こすガードン。
「きさまっ、人間の分際で、この俺様に勝てると思……」
勿論、最後まで聞いて震えあがり、恐怖で青ざめてみせるなんて、ガードンのお望み通りのリアクションなんて取っていられない。
さっき飛んで逃げた間合いを一瞬で詰めると、私は渾身の力を込めて右の拳をガードンの左顔面にぶち込んだ。




