悲しみの復讐劇
リビングには、円佳の涙声が響いていた。
「……お母さん。嘘、よねぇ。お母さんが萌をぉ、佐和子をぉ、輝実をぉ……、殺したなんて、嘘でしょぉ。ねぇ、お母さぁん。嘘だってぇ、言って頂戴ぃ……!」
しかし、彼女の願いは、誰にも聞き入れられぬまま、虚空へ消えて行くばかりだった。
**********
現在、午前三時半。
まだ早朝にしても早い時刻だというのに、滞在者全員がリビングに集められていた。
部屋の中央、そこにロープで全身を縛られている女性の姿がある。――築城弘恵未亡人だ。
私を含め他の一同は、彼女を取り囲むようにして立っていた。
涙ながらの娘の訴えに、だが俯くしかできない弘恵未亡人を見やり、私は早速切り出しす事にした。
「こんな夜中にありがとう。ここへみんなに集まって貰った理由はたった一つ――、この殺人事件の、種明かしをする為よ」
一同が、しんと静まり返る。
「じゃあ早速始めるわよ。……弘恵さん、あなたが連続殺人事件の犯人で、間違いないですね?」
「……その証拠は?」
あくまで証拠を求める彼女に、私は例の髪の毛を取り出した。
「これが証拠ですよ。ちょっと、失礼しますね」
弘恵未亡人の髪の毛を一本引きちぎり、比べてみる。
すると三本とも、長さも細さもピッタリ同じだった。
「……。そう、私が犯人よ。子供の癖に、よくもまあ分かったものだわね」
がっくりと項垂れた未亡人が、憎々しげに私を見上げて言った。
そんな彼女へと笑顔で語るのは、私の傍の菜歩だ。
「どうして、と思ったでしょ? それは菜歩達、探偵団の力なんだよ」
それから菜歩と私は、長い長い探偵物語を語った。
萌が殺されたあの日に結成された『粉雪城事件探偵団』の事から、ここへ行き着く道筋まで何もかもを。
「殺人事件の動機というのは主に三つあります。一つは、怨恨から来る殺人。二つは、衝動的に犯してしまった殺人。三つは、猟奇的な殺人。四つは、その他の理由の殺人です。これを考えると、二つ目と三つ目、それに四つ目は可能性が低いと考えました。最後に残るのは、怨恨による殺人のみです」
「決定的だったのは千博さんの日記帳だよ。あの人が、菜歩達に見せてくれたんだ。……それを見て、礼沙が弘恵さんなんじゃないかって」
「千博さんの息子さんの事があります。だから、きっとこれは、あなたか円佳の殺人に違いないと。そう考えた時、私、完全密室の穴に気付いたんです。……合鍵紛失は嘘で、本当はまだあるに違いないんだって。それ故に弘恵さんの方だろうと確信しました。でも、それを言ってもあなたは怯まないでしょう。ですからもっとはっきりした証拠を押さえなければなりません。――それで私、罠を仕掛けたんです。犯人なら、昨晩の言葉に釣られて私の部屋へ殺しに来るのではないかと。ですから私、部屋にみずきさんを待機させておいて、待っていたんですよ」
それを聞き終えて、小刻みに震え出す円佳は、絶叫し、号泣し始めた。
「そんなの嘘だわぁ! 嘘! 嘘! 嘘! お母さんが、優しいお母さんがそんな事ぉ、する筈ないわぁ! これは夢よぉ。……夢に違いないんだわぁ。醒めろ醒めろ、お願ぁい、覚めてよぉ。………………どうして、お母さんは、こんな事をぉしたの!?」
自分が恐怖し続けていた殺人鬼、それが信頼していた母親だと知った時、どんな気持ちになるのだろうか――。そう想像すると、私は円佳が哀れでならなかった。
でも、これは仕方がない事なのだ。
堪忍したのだろうか、縛られたままの弘恵未亡人は、娘へと頭を下げて涙を流した。
「ごめんね、円佳。礼沙ちゃん達の言っている事は、全部本当なの。ごめんね、ごめんね、悪いお母さんを許して……」
そしてこちらに視線を戻すと、一言。
「分かったわ。……全部、全部、話してあげる。私が、どうしてこんな事件を起こしたのかを」
そう前置きし、弘恵未亡人は――連続殺人犯は、全てを語り始めたのだった。
**********
知っているでしょうけれど、私には可愛がっていた甥がいたの。
彼の名前は築城隆司。千博のたった一人の息子だったのよ。
隆司は円佳と同い歳でね。とっても仲良しで……。毎日毎日、楽しそうに遊んでたわ。
私は早くに夫を亡くしていたし、千博には元々配偶者がいなかったから、隆司とは小学生までは一緒の家で暮らしていたの。私にとっても、彼は息子のようなものだったわ。
でも彼は千博の仕事の事情で、私達の家を出て行かざるを得なくなってしまって。お別れ会を開いて、それから引っ越して行ったのよ。
私は願ったわ。彼が引っ越し先でも元気で暮らせますように、ってね。
引っ越してから一ヶ月ぐらいは、毎日電話して来てくれていたの。でもどんどんその数も減って……、きっと忙しいんだろうなって、私は円佳と話してた。
でも、違ったんだって、彼が精神を病んでいってたんだって、そう後で知った時には、もう遅かったわ。
隆司は中学一年生の春ぐらいから、いじめを受けていたらしいの。
最初はちょっとした事で気に入らないっていじられて、それから段々ひどくなったらしいわ。
毎日毎日虫を給食に入れられたり、学校の帰り道で金を強請られたり……。
そしてとうとう、隆司は、自殺してしまったのよ。
最初、それを聞いた時、私は信じられなかったわ。だって半年前まで元気一杯だった男の子が死んじゃうなんて、信じられないじゃないの。あの子が自殺するなんてあり得ないと思った。
――でも、千博に彼の遺書を渡されたの。
読んでみたら、内容はこうだった。
『遺書
僕、もう耐えられないんだ。
始まりは、中曽根という女子生徒とたまたまぶつかってから。
ごめんって謝ったのに、
「うわあ、ちょっと見ろよこいつ。今、オレの胸を触りやがったぜ!」
って、何故か嘘をでっち上げたんだ。
すぐに先生が来て、僕を叱り付けた。違うって言っても、誰も聞いてくれなかった。
その日から僕は『胸触り』と呼ばれて、いじめられるようになった。
最初は、揶揄われたりとか無視とか少し指を刺されるとか、割合可愛げなもの。
それがどんどんエスカレートして、階段から突き落とされた時、僕は思わず言ってしまったんだ。
「僕は何もしてない! 部坂さん、僕、先生に訴えるよ!」
そしたらその女子――、部坂は凶悪な笑みに顔を歪めて言ったんだ。
「隆司くんの言う事なんて、みんな聞きませんよ。……そうです、じゃあ逆に、あたしが言い付けてやりますよ。あなたが、私の服を脱がせようとしたって。だってあなた、欲情男ですもんね。誰でもすぐ信じますよ。……言われたくなきゃ――、『黙っていろ』」
僕は恐ろしくなって、いじめの事を誰にも言えなくなってしまった。
ずっと、母さんに辛いよって言いたかった。おばさんに助けてって叫びたかった。円佳に怖いよって伝えたかった。
――でも、怖くて。
怖くて、言えなかったんだ。
それに毎夜毎夜、いたずら電話がかかって来たんだよ。
掛けて来るのは、五十嵐という女子生徒だった。
彼女は辿々しい声で、
「し、死ね、女たらし」
とか言ってさ。一晩で五回か六回、掛けて来るんだよ。
ずっと我慢してた。ずっとずっと、我慢してたよ。
でも僕、もう限界なんだ。どこにも逃げ道なんてないんだ。いくら逃げようとしても、彼女達は僕を妨害して来る。
――僕の何が悪かったんだよ!?
僕はもう耐えられない。だから、死ぬ事にした。
本当に勝手だと自分でも思う。でもこれは僕ができる、彼女達への仕返しだから。
僕をいじめていたのは特に三人の女子。中曽根萌、五十嵐佐和子、部坂輝実。
僕が死んで、誰かがこの遺書を読んだら、きっと彼女達は報いを受ける。
――それだけが、僕にできるたった一つの報復なんだ。
母さん、ごめんなさい。
おばさん、ごめんなさい。
円佳、ごめん。
僕、自分勝手だよね。
みんな僕が死んだら、悲しむよね。ごめん、ごめん、ごめん……。
だけど、泣かないで。
これは僕が選んだ事だから。
ああ神様、こんな僕を許して下さい。そして、魂だけになった僕を、助けて下さい。
では、さようなら。最後まで迷惑かけて、ごめんね。今まで、ありがとう』
読み終えて、私は泣いたわ。
だって私は、愛する甥がここまで追い詰められているなんて知らずに、のほほんと暮らしていた。――そう思うと腹立たしくてならなかったの。
追い詰められ、誰にも相談できず、加害者達への復讐を願って死んだ隆司。
――でも、加害者達は何事もなかったかのように、のんびりと生き続けていた。
何故なら、加害者側が否定していたから。それに伴う証拠とかも、全然なくて。
だから、隆司の最期の願いは、とうとう果たされる事はなかったの。
私は悔しくて悔しくて、気が狂いそうになったわ。
罰せられる事もなく生き永らえる加害者達が許せなかった。だから私は、隆司の葬式の時、こう誓ったのよ。
「中曽根萌、五十嵐佐和子、部坂輝実。この三人を、絶対の絶対に、地獄へ堕としてやるわ」って。
そんな事、娘も千博も望んでいないだろう事は、知っていた。
でも私は、可哀想な隆司の為に、それしかできないと思ったのよ。
隆司の死後、千博は仕事を辞めてしまいただただ日々を泣き暮らし、円佳も以前の元気がなくなったわ。
でも一年も経つと彼女達は悲しみから立ち直って、まるで何事もなかったかのように、平穏な日常へ帰って行った。
――ただ一人、私を除いては。
私はとても頑張ったと思うわ。
ありったけの資産をつぎ込んで株で大儲けし、その金で会社を立ち上げた。それからも色々な苦労を重ね、なんとたった一年半で大富豪になれたのよ!
それもこれも、復讐の為。
お金を持った私は、あなた達の学校のある中都市へ引っ越す事に成功したわ。後は円佳を通わせて、交流を持たせるだけ。
ほんの少し不安はあったけれど、円佳は強い子だからいじめられずに仲良くやってくれて、とうとう新築の別荘、粉雪城へ誘き寄せる事ができたの。
粉雪城なら大雪が降る――。殺人事件には、もってこいの舞台でしょう?
後は、あなた達の知っての通りだけれど、少し解説するわ。
私は初日の夜、実はあなた達みんなに特別な物を飲ませていたの。
それはあのオレンジジュース。中に眠り薬を入れていたのよ。あの時、『隠し味』って言ったでしょう? あれがそうなの。安心して良いわ、体には害がないから。
それでぐっすりみんなを眠らせて、私がやった事は殺人だけじゃなかったの。
私は一つ、大きな嘘を吐いていたわ。――そう、私はあなた達に合鍵はないと断言したけれど、礼沙ちゃんが推理した通りで実は私の手にあったのよ。
私は合鍵を使ってあなた達全員の部屋に入って、スマホやらの連絡ツールを盗み、破壊した。警察に通報されたら厄介だからよ。
そうそう、もう一つ盗んだ物があるわ。それは、輝実ちゃんのカッターナイフ。彼女を殺す時に使った凶器ね。
一連の物を盗み終えると、私は合鍵で鍵をもう一度掛けて、最後に萌ちゃんの部屋へ向かったの。
ああそうだわ、ちなみにだけど殺害順番はあの三人の悪質度合いで決めたの。頭が悪いだけの萌ちゃんは最初に何も気付かないままで殺して、脅されてた可哀想な佐和子ちゃんはちょっぴり恐怖させてから殺して、首謀者の輝実ちゃんは存分に苦しめた後殺したかったから。
――萌ちゃんの寝顔は、なんというか、何も知らない無邪気な子供みたいだった。
彼女の寝顔を見て、私、迷ったわ。本当にこんな子供を殺して良いのかしらってね。
心臓がバクバクした。でも私、もう決めていたの。
何があっても、絶対に隆司の願いを成し遂げるって。
あらかじめ台所から持って来ていた包丁で彼女の腹を裂いた時、私は快感を覚えたわ。
ああ、なんと良い気味なのかしら。
だってそうでしょう。人を殺しておいてのほほんと生きていた加害者が、一瞬にして命の灯火を消されるの。そう、死者の遺志によって。
でも私、不安に胸が早鐘を打って仕方なかったわ。
殺したんだ、人を殺したんだ、早く逃げなきゃって焦ってしまって。
だから鍵を掛け忘れてしまったのね。
第一の事件はその為に密室殺人とはならず、礼沙ちゃんにすぐ見つかってしまった。
……もしあの時失敗していなかったら、自殺と思われたかも知れないのにね。
それからは、あなた達も知っての通り大混乱よ。私はその様子を、ぼうっと眺めていたわ。
そして二日目を終えて、三日目の朝に佐和子ちゃんを殺した。
あの子、私が合鍵で入ったら、読んでいた本を取り落として大慌てしながらも必死に命乞いをしてたわ。
「た、たすけ、て。あ、あたし、悪い、事したなら、ゆ、許して。だから」
でも私は、彼女を許すつもりなんて毛頭なかった。
隆司に毎夜毎夜いたずら電話をする、そんな悪質な奴だもの。
私は自分の長い髪の毛を使って彼女の首を絞め殺したわ。後はそっと部屋を出て、鍵を掛けた。――今度こそ密室殺人の完成ね。
そういえばあの日の朝、私の髪にウェーブが掛かっていたのを覚えているかしら? あれは人殺ししたからなのよ。
四日目も同じようにして部屋に入り、震える輝実ちゃんを、盗んで空室に隠しておいた彼女のカッターナイフを突き付けた。
そういえば彼女最後に、こんな事言ってたわね。
「仕返しなんて、そんな……」
きっと私の動機が分かったのでしょうね。でももう遅かったわ。彼女は直後、周囲に血を撒き散らしながら死んだの。
その時、私は嬉しくて嬉しくて仕方なかった。
だってやっと、念願の復讐が叶ったんだもの。
これできっと隆司も喜んでくれる――。そう、思っていたのに。
その朝、私ね、変な夢を見たの。
見渡す限り真っ白な小部屋に、私と隆司だけがいた。
「あなたの願い、果たしたわよ」
嬉々としてそう言う私に、彼は言ったの。
「僕は……、僕はおばさんに、こんな事してなんて……。あいつらは憎い。憎かった。でも……。――おばさん、円佳ちゃんが可哀想だよ」
そこでふと目が覚めたわ。
起きてから私、無性に不安になってしまった。
私のやった事、それは隆司は喜んでいなかったんじゃないかって。
そう思うとなんだか凄く虚しくなって。
それに夢の彼が言う通り、円佳がなんとも可哀想だと思ったの。
だから私は、なんとしても犯人だとバレてはいけないのだと、初めて自覚した。
円佳だけは、絶対に守らなきゃって。
そんな時に礼沙ちゃん、あなたから罠が仕掛けられたものだから、私はついつい乗ってしまったのね。
……これは負けだわ。完全なる負けだわ。
私、きっと間違ってたのね。
私は独りよがりな思いでこの事件を起こしただけ。隆司は、私がこんな事をするのを望んんでいなかったのだから。
でも私、後悔だけはしてない。
だって、罪人に裁きは下されなければならないもの。それを法に代わって私が下したのよ。
これはただそれだけの、復讐劇だったんだわ。




