事故?
帰りもエドワルドが送ってくれることになった。
エドワルドは私からザウサントへの薬を受け取って、そのまま侯爵家に届けてくれるらしい。
使い走りのようなことをさせてしまい、申し訳ないと思う。
帰りの馬車は、二人乗り。公爵家の馬車は広めとはいえ四人乗りと違って狭い。
そのこともあるのか、馬車に乗り込んでから彼は少し不機嫌のようだった。
黙ったまま、少し険しい顔で外を見ている。
空気が何だか重くて、居心地が悪い。
身体と身体が触れあっているのも、緊張する。
エドワルドは本来とても忙しい人だ。今日は、休日なのかもしれないけれど、その貴重な休日の使い方としては、どうなのだろうか。
「君は、金で買われるような結婚でもいいのか?」
突然、エドワルドが口を開く。
先ほどのライラの話のことだろう。
「お断りする理由はないですけれど、そんな人は絶対にいませんよ」
私は苦笑する。
「ラムル商会の娘の私を商会ごと手に入れたいと思うことならあるかもしれませんけれど」
それぐらいしか思いつかない。
「私自身に価値はありませんから」
商会の名、爵位、そういったものを含めてやっと生まれてくる価値だ。
「君の自己評価の低さは、あの男のせいだな」
エドワルドが吐き捨てるように言った。
「君は美しいし、聡明だ。薬師として優秀なのも、兄夫婦を見ればよくわかる。とくに義姉は、ずいぶんと変わった。それだけでも、君はもっと自分に自信を持っていい」
「たまたまですよ。お二人が本当に愛し愛される夫婦であったからこそです」
私の処方した薬はそれこそ気休めのようなものだ。
「それに、今の屋敷を出れば薬師を続けるのは難しいですし」
「それは……」
エドワルドは俯く。まるで自分の責任のように感じているらしい。
そんなことはない。
借金をしたのは父だし、そのお金が返ってこなければ、銀行は困る。
銀行は『奉仕』や『慈善』でお金を都合しているわけではないのだ。
「ライラさまのお気持ちは嬉しいですけれど、そんな夢のようなお話があるとは思えません。それこそ、父が帰ってくると期待するのと同じです。エドワルドさまがご心配してくださるようなことは何もありませんよ」
金のために望みもしない相手と結婚するのではないかという心配は杞憂だ。
そもそも、金を出して私と結婚をしようとは思わないだろうから。
「もし、宰相が君を望んだらどうする?」
「え?」
エドワルドの目はあまりにも真剣でびっくりした。
「あり得ませんよ。ひょっとしたら、侍女にしたいとは、思っていただいたかもしれませんけれど」
そもそも、マッサージをして少し話をしただけだ。
「俺はそういう話をしているのではない」
「あの。あり得ない仮定の話をされても、お答えはできません」
私は首を振った。
「好きか嫌いかと言われれば、嫌いではありませんが、それだけです」
そもそも選ぶのは私ではない。
「そんな都合の良い話はもうやめてください。かえって辛くなりますから」
白馬の王子さまを待っていても、来るわけがない。私はお姫さまではないのだから。
「意外に思われるかもしれませんが、私、貴族でなくなることはそれほどいやとは思っていないのですよ」
私は、大きく息を吐く。
「もともと、貴族社会にいても馴染めませんでしたから。もちろん、平民は生きていくだけでも大変だとは存じております。でも、平民になれば、母を貶めるようなことはきっと言われません」
「ルシールどの」
「嘲りの言葉ばかり受けていた私が、最後に次期公爵夫妻のお役に立てて、おほめいただいて。必要だと言っていただけて、とても嬉しかったです」
初めてだった。
肉親以外に必要とされたことは。
「エドワルドさまには本当に感謝しております。私たち兄妹を気に掛けていただくだけでなく、最後に私に素敵なお仕事を紹介していただきました。良き思い出になります」
「俺は、思い出になりたいわけでは」
「お給金をいただけたことは、借金の面だけでなく、これから生きていく上での自信になりました」
薬師として働けるかどうかはわからないけれど、自分もできるという自信にはなった。
これからは、兄と一緒に、自分も働かないといけないのだから。
「ひょっとしたらこの先、何もかもなくなった時。私はエドワルドさまや銀行に恨み言を吐いてしまうかもしれません。でも、覚えておいてくださいね。エドワルドさまほど私に優しくしてくださった方はいないですし、本当に感謝しております」
わかっていても、屋敷を出るのは悲しい。商会や領地を売って。貧しい日々の暮らしの中で、銀行に恨み言の一つも言いたくなるかもしれない。それがどんなに、勝手ないいぐさだとわかっていても。
直接は言わないにしても、陰で不平を自分が言わないとは言えない。
私は高潔で無欲な人間ではないから。
「すまない。俺は……銀行の頭取なんて、実はそれほど、君にしてあげられることがなくて」
「債権者が債務者にいちいち情けをかけていたら、銀行がつぶれますよ」
私は苦笑する。
今の状況は、銀行に最大限の譲歩をしてもらっていると思う。
「婚約破棄をしていただいて、しかも違約金まで配慮いただきました。それだけで、随分と助かっています」
「あれは、別に君のためだけにしたことではない」
エドワルドが首を振る。それはそうだ。銀行としては、少しでも『回収』出来るところから『回収』したいのだから。
「ええ。それでも、嬉しかったのです」
「銀行のためでも、ないのだがな」
カタンと大きな音がして、馬車が跳ねる。
身体が浮いて、倒れそうになった私を、エドワルドの手が支えてくれた。
「大丈夫か」
息がかかりそうな距離だ。甘く優しい声に私は戸惑う。
「ええ。すみません」
胸の鼓動が早くなってきた。
エドワルドの腕がさらに私をひきよせる。
身体が熱い。
耳たぶに柔らかいものがふれた。
何が起こったのかよくわからないうちに、馬車が止まった。
呆然としていると、外から御者の声がして、エドワルドの抱擁は解けた。
「ついたな」
「……ええ」
エドワルドの顔を見れないまま、私は馬車を下りる。
心臓はまだ激しく動いていて、どんな態度をとったらいいのかわからない。
あれは事故だったのか。それともキスだったのか。
それを聞く勇気はとてもなかった。




