序幕
暗闇が広がる……。
漆黒の闇の中に他には何も見えない。試しに手を伸ばしてみる。そこに手が有るかも分からない。確認出来る事は殆ど無い。或いは意識という物だけを残して物質的要素は全て無くしてしまったかのようにも感じられる。この闇は何なのだろうか? 永遠に続くように見える闇に今度は声を出して叫んでみる。貴方は何ですか? 何なのですか? そういう問いをぶつけたつもりだ。闇からは返答は無い。当たり前か。この闇の中で存在していると言えるのは自分の意識だけだ。返答が有ったならばそれは自分の意識の中で勝手に都合良く解釈した物に過ぎないだろう。
闇。永遠に続く闇。何処までも途絶えないその巨大さに、自分と言う物が何処まで弱々しいか分からない。
ただ、考えを変える事も出来た。
この闇の中で、自分は自由だ。何の制限も無い。束縛する物が一切存在しない。そう自由を獲得したのだ。今、自分という存在は、肉体すら棄て去る事が出来たのだ。地球の上での重力という厄介な物も無い。上下左右の存在も無い。何処までが自分で、何処からが別の存在かも分からない。そんな中、一体何者が、この自分を構成しているのかも分からない。完全な自由は完全な虚無と一緒なのだ。
そうだろう。この身を形容するべき全てが失われた今、自分は何処までも自由でいられる。自由は手に入れればその瞬間その性質を失ってしまう。或る自由を手にした時、人は別の自由を求める。それは何故ならばその自由が完全な自由では無いからだ。求めている物を手にした時その価値は急に下がる事が有る。それはまさに己の慢心が有るが為の物だ。本来満足されるべき状態に有っても満足させぬ何かが有るのだ。キリスト教ではそれを原罪と言うのだろうか? または仏教では煩悩とそれを表現するのかもしれない。どの道生きる人間には全てそれが備わっているのだろう。
完全な自由を獲得する瞬間にその存在は立ち会う事は出来ないのかもしれないとすら思える。
闇は自由だ。どのような場所にも侵入し、光を次々と浸食していく。太陽ですらいずれは闇に呑まれる。その時が何時になるかの問題だった。闇に沈んだ世界では、人間はどう生きて行くのだろうか? それともそれは人間の世の終わりを現しているのだろうか?
何時かは闇に完全に支配される時が来るとしても、しかし人類は最後の最後まで懸命に生きようとするだろう。それを妨害して良い存在は超越的な神や仏でも有り得ない。
そしてその晩、勝沼竜はまた闇の中で眼を覚ますのであった。




