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わしはお主の……

その日、箕輪城周辺では大規模な鬼ごっこが行われた。

逃げているのは、柴田勝家と、その付属品、上杉輝虎である。

そして、彼らを追う鬼役は、織田軍と上杉軍、武田軍、北条軍、松平軍、箕輪衆の大合同部隊だ。


何故こんな事になったのか。


まずは希美が輝虎を抱えて箕輪城から走り去るのを見た上杉兵が、「主が連れ去られた」と騒ぎ出し、鬼と化した。

同時に、信長が希美引き戻しの下知を出し、織田軍が鬼と化した。

それを見た信玄が面白がって希美捜索を命令。武田軍も鬼と化した。

氏康も、ならば手伝おうと命を出し、北条軍も鬼と化した。

城内が慌ただしくなり、希美の出奔を知った家康と業盛は、希美を自陣に引き入れるチャンスと発奮し、松平軍と箕輪衆を鬼化させた。


そうして、前代未聞の大規模合同部隊による捜索と追跡が行われたのである。



「う、うわあああ!!怖い怖い怖い!」


希美は輝虎を担ぎ上げたまま、山の中を全力疾走していた。

箕輪城を出た時にいた数十人だった追っ手は、今や数千に数を増していた。

彼らは箕輪城周辺に散らばり、希美の逃げ場を潰しながら、壮絶な追い込みをかけて来たのである。

希美は戦きながらも、開けた平野より姿を隠しやすい森林の中に活路を求めた。


そして、『やまのなかにいる』というわけである。



「おい!右手から新手じゃ!数は、ざっと三十!」

輝虎が担がれたまま周囲を見渡し、希美に実況する。

よくわからないが、輝虎も鬼の大軍に追われて怖いのだろう。なんだか、希美に協力的である。

「了解!」

希美は遠く前方に岩壁を見て、進路を右にとった。

それから少し走った所で前方の茂みが揺れた。

「しまった!箕輪衆め、地の利を生かしたか!」

希美は比較的弾幕……ではなく、兵の薄い左手に突っ込み、押し切る事にした。

なんせ、向こうは捕獲が目的だ。それも武器を当てると折られるのは、箕輪衆ならいやと言うほど見てきている。

(ならば肉弾特攻で、撥ね飛ばす!)

希美は輝虎をおんぶにし変え、前傾姿勢をとった。

輝虎が、「お、おい、どうする気だ?」と不安げな声を出す。

希美は無視した。

そして、力強く足を踏み出すと、「ぬおおおお!!!」と雄叫びを挙げながら突進して行ったのである。



人が飛ぶ。

まとめて、飛ぶ。倒れる。

ついでに後ろも巻き込んで倒れる。

さながら希美はボウリングの球のようだ。

「キャアアアアア」

女子のような甲高い悲鳴が背後から聞こえるが、きっと気のせいだ。

上杉さんが女体化してない事は、肋骨圧迫を施した時に確認済みだ。

Aカップの胸だとしても、女子の胸があんなにカッチカチという事はないだろう。


(いや、仕上がりまくったボディビルダー女子ならカッチカチという事もあるかもしれない。まさかの上杉さん女子ビルダー説?!)

希美は思わず後ろを振り返り、上杉さんの顔を見た。

その時、ふと兵が体にぶち当たらなくなった。

上杉さんの顔がひきつっている。

そのひび割れた唇が何か訴えるように動いた。


「前!まえええええ!!!」

「え?」



地面が無かった。


「がけえええええええ?!!」

「いいやああああああ!!!」


上杉さんのビルダー女子を疑わせる悲鳴を聞きながら、希美は必死で考えた。

(いくら肉体チートでも、アイキャントフライ!ならば……)


「走る!!」


希美は崖の側面を足でとらえると、斜めに走り降り始めた。

時々岩の出っ張りを踏みしめるようにジャンプしながら、重力加速度を殺す。

後ろの輝虎は言葉を発していないが、希美にしがみつく体の力の入り方が、彼の恐怖を物語っていた。

希美は、そのまま崖の斜面を横切るように走り降り、その勢いのまま走り去って行ったのである。


その非常識な結末は、崖の上から見ていた箕輪兵から業盛を経て信長等に伝えられ、彼らをまとめて、膝から崩れ落ちさせたという。




さて、なんとか無事に崖を降り、追っ手を振り切った希美は、魂の抜けかけた輝虎を落ち着かせようと、小川の傍で休憩をとる事にした。

流石山の中である。

源泉が近いのか、小川の水は澄んでいて綺麗だ。

希美は水をすくい、口に含んだ。

美味しく飲める。

希美は、手拭いを水に浸して絞り、茫然と座っている輝虎のかおに張りつけた。


「ふがっ!むごご……っ殺す気か!!」

手拭いを顔から剥がした輝虎に怒鳴られ、希美は笑って言った。

「冷たくて気持ちよくない?気持ちがしゃっきりするかと思ってな」

輝虎は、手の中の手拭いを見つめると、顔と首元を拭い、希美に無言で返した。

そして小川まで歩み寄ると、水をすくってごくごくと飲み、深く息を吐いた。


「お主、人ではないという以前に、頭がおかしいの」

急に悪口である。

希美は気分を害した。

「ひっど!めちゃめちゃ頑張って、上杉さんを助けたのに」

「一人で出奔しろや!」

「上杉さんをあの場に置いてきたら、殿達から殺されるでしょうが!だから、連れて来たの!」

輝虎は、黙った。

少しの沈黙の後、輝虎は口を開いた。

「何故そこまでして、わしを助ける」


希美は少し考えて答えた。

「死ななくていいなら、助けるのが当たり前だし、それに上杉さんは生きてて欲しいんだ」

「わしは、えろ教信徒を殺したのだぞ」

「だからだよ。上杉さんには、彼らの墓に手を合わせてもらわなくちゃ。死んだら、反省も償いもできないだろ」

輝虎は、希美を睨んだ。

「ならば、わしが反省したら、その後はどうする。殺すのか?」

「なんでだよ。まあ、越後はうちらがもらうから帰る場所も無いだろうし、上杉さんほどの人を放逐するのも惜しいしなあ。まあ、しばらくはうちで悠々自適にペット生活でもしてもらって、越後の領地経営の相談役にでもなってもらおうかな」

希美の呑気な言葉に、輝虎は呆れた顔をした。

「わしから越後を奪っておいて、わしがお主に協力すると思うかよ」

希美は肩をすくめた。

「ならば、強制引退で社会的に殺すしかないかな。後は、美濃で私のペットとして生きよ。私が引き金を引いたのだから、お主の面倒くらいは私が見るさ。ただ、私に引き金を引かせたのはお主だから。この事態は、お主が招いたんだろ。うちの信徒を殺しておいて、被害者面はさせんよ」



パチャン

小川の中で、小魚が跳ねた音がした。

斜陽が苦い表情の輝虎に差し、その陰影を濃くした。

輝虎は口を開いた。

「世は無常にして、弱肉強食じゃ。喰らう側が喰らわれた。そういう事じゃ」

希美は鋭く輝虎を見据えた。

「栄枯盛衰ってやつか。そうやって自分を哀れんでもいいが、哀れむだけで終わるなよな。お主は有り難くも生きてんだ。引退して残りの生を無為に過ごすか、立場は変われど越後のために尽くすのか、よく考えて選ぶんだな」

輝虎の眼にある鈍い光が、強い光に変わったような気がした。


「という事は、お主、結局出奔せぬのだな」

「……あ!」

輝虎に言われ、希美は何故こんな山奥にいるのか思い出したようだ。

「忘れておったのかよ」

半眼の輝虎に、希美は目を泳がせた。

「あー、殿に帰参を許してもらえなかったらさ、二人で旅しよう!中山道中膝栗毛!よし、私の事は『ゴンさん』と呼んでくれ!上杉さんの事はキル……『ケンさん』と呼ぶから、二人で旅しながら狩人目指そうぜ!」

「わからん……お主という男がわからん……だいいち、何故わしが『ケンさん』なんじゃ」

色々混ざりすぎて、喋った当人の希美にだってわかりはしないだろう。


「だが、一つわかった事がある」

輝虎は希美を見つめて言った。

希美は目を瞬かせて、次の言葉を待った。


「お主は、悪魔などという利口なものではない。馬鹿じゃ。大馬鹿じゃ!」


「ええ!?なんでだ!」

希美は驚愕しているが、紛れもない事実である。

驚く希美に、輝虎が聞いた。

「『ぺっと』とは何じゃ」

「え?」

「お主、わしの今後について、お主の『ぺっと』として生活するよう言っておったではないか。『ぺっと』とは、どういうものじゃ」

「え、えっとお、それは言葉のあやというか……」

「お、おい、まさか……わしを衆道の相手に?『ぺっと』とはそういう?」

「違うわ!!やめろ!私はそういうのじゃない!」

「なら、『ぺっと』とは?」

(うわあ、飼い犬とか飼い龍とか言ったら、殺されそう。これは、いい感じの言葉で誤魔化すしかない!)

希美は、言葉で失敗するにしても、言葉で誤魔化すにしても、本当に懲りない女である。


希美は語り始めた。

「あー、ペットというのは、主となる者の庇護下にある者なんだが、主にとっては家族同然で、大切な存在なのだ」

「ほう……」

「主はペットの世話をし、心の支えとする。ペットは主を頼りにし、何かあれば守ったりもする。互いに支え合う存在だな!」

(おっし!いい感じにまとまったやんけ!)


そんな希美の心情など知らぬ輝虎は、こう宣言した。

「ふうむ……仕方なし。わしはお主の『ぺっと』になろう」


「はい?」

希美は固まった。

「わしがお主の『ぺっと』になる、と言っておるのよ。どうせ、わしの先は限られておる。お主の『ぺっと』として、お主の元で越後に関わる事にする。世話になるぞ」

(『わしが、お主のペット』。自分が言い出した事ながら、なんという破壊力のある言葉か……どうしよう、なんか上杉さんが高レベルの変態に見えてきた)

希美とは、こういう奴である。

上杉さんは、何も悪くない。


(まあ、いいか。上杉さんが仲間になりたそうな目でこちらを見てくれるなら、全然仲間にしますよ!)

「じゃ、これからよろしく頼むな、ケンさん!」

「だから、何で『ケンさん』なんじゃ!わしは絶対お主を『ゴンさん』などと呼ばんぞ!!」

「ええ……狩人には?」

「ならんわ!!」


軍神とえろ神。女犯の誓い。

共通項の多い二人だ。

案外、息が合っている。




この後辺りが暗くなり、幸運にも遠くに棒名神社の明かりを見つけた二人は、遭難を免れ夜のうちに神社にたどり着いた。

翌日、希美達は箕輪城に戻ったのだが、輝虎は箕輪城にいる上杉軍を集めると皆に表明した。



「わしは、柴田権六の『ぺっと』となった!!」


と。

希美の腹筋は崩壊。

滝川一益の気持ちを、嫌というほど味わったのである。



上杉さんには、これから強く生きていって欲しい。







遠い未来でも、『上杉謙信のペット宣言』は、歴史家達に論争を巻き起こし、多くの人々の笑いを誘い続けている。


また、この箕輪城周辺の大規模鬼ごっこは、語り継がれ、現代の箕輪城のあった地域では、毎年この時期になると、大規模鬼ごっこのイベントが行われ、町おこし活動の一環としてかなりの盛り上がりを見せているという。


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