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権さんの戦い(精神攻撃)

堺の天王寺屋助五郎手紙を送って十日ほど経った頃、大量の荷と共に助五郎が美濃にやって来た。

その頃拠点を森部から墨俣に移していた希美は、墨俣城の一室で助五郎を出迎えた。



「お久しぶりに御座いますなあ、柴田様」

「柴田様などと、堅苦しい。いつものふみのように『権さん』と呼んでくれよ、助さん」

「そうですか?ならば権さん、ずうっと言おう思うてたんです。うち、種屋さんと違いますよ!いつもいつも、種や苗ばっかり注文して。武将なら、武器を買うて下さいよ!」


二人は文通を続けるうちに、気安く呼び合う仲になったようだ。

希美は、笑いながら答えた。

「すまん、すまん。うまいものが食いたくてな。それに、今回は種苗だけでなく、大量の武器や玉薬を持って来てくれているではないか。流石よな。あの文面から読み取ってくれたか」

「『キナ臭い』なんて書かれてたら、そら武器が必要な状況だと思いますわ。今、朝倉が美濃にちょっかいをかけているそうではありませんか。こんな所で私と茶を飲んでいてよろしいので?」

心配そうな助五郎に、希美は言った。

「いいんだ。私は私で戦があってな。そちらが優先よ。殿は朝倉の対応でこちらに兵を割けぬからな」

助五郎は訝しげな顔をした。

「朝倉以外で、戦で御座いますか?」


希美は、「まあ、その話は茶を飲みながらにしよう」と、茶杓に手を伸ばした。



正直、希美は茶道の事など欠片も知らぬ。

が、柴田勝家は意外にも風流人で、それなりに茶の道に精通していたようだ。

希美は勝家の記憶を探りながら、自然と体が動いていた。

結果、茶人として名高い助五郎をそれなりに満足させる茶となったようだ。


「それにしても、助さんの茶碗は美しいねえ」

希美はうっとりと助五郎の持つ茶碗を眺めた。

全体的に黒くしっとりと輝いており、碗の内側には星が瞬くように、不思議なドット模様が散っている。

まるで、宇宙を覗いているようだ。


助五郎の糸のような眼の奥がが爛々と光った。

「ふふふ……曜変天目茶碗ですよ」

「へえ、ようへん……曜変天目茶碗?!!」

希美はギョッとした。

国宝である。

(昔、鑑定番組で見た事ある。確か、信長も前に持っている事を自慢していたわ。ほえー、流石戦国時代。案外身近に国宝がごろついてるもんだねえ)

そんなわけがない。ごろついているのは、偉人達だ。


「ある筋からようやく手に入れたんですわあ。見て下さい。この輝きを。まるで夜の底を覗いているような、それでいてその虹色の雫は……」

助五郎の謎のポエムが始まった。

(助さんの新たな一面が……これは長くなりそうだ)

希美は、ぶった切る事にした。

「助さんは、茶の道には詳しそうだなあ。茶会はよく開くのか?」

助五郎がこの世に戻って来た。

「え?茶会ですか?そうですね。先日もお公家様の方々をお招きして……そういえば、皆様、権さんの話題で持ちきりでしたよ」

「え?私の話題?油の事か?」

「いや、油も好評ですがね、なんといってもえろ教の事ですよ!京周辺にもふんどしを被った使徒がやって来て、新たな農法を授けていったとか。公方様は、戦を無くそうと貴重な知識を無償で広める権さんに、「武士の鑑よ」と涙を流されたとか」

「ええ……武士の本分は戦にあるんじゃ……」

武家の棟梁な筈の足利義輝さんは、精神的に追い詰められ過ぎである。希美は、気の毒になった。


「しかも、ここだけの話……」

助五郎が声を潜めた。

希美は、思わず助五郎に顔を寄せ、助五郎も希美の耳元で囁いた。

「えろ教の活動の話は宮中にも広まっていて、あの日の本で最も高貴なお方が、「世の安寧のために働く柴田某は善きかな」と感じ入られたそうに御座いますよ!」

「あ、あわわわ……」

名前を呼ぶのも憚られるほど高貴なあのお方が、自分の事を……

希美は、卒倒しそうになった。


「有り難すぎて怖い。もう、あのお方の話は止めとこう。ライトな勢力が騒ぎ出す前にな」

「何の事やらわかりませんが、わかりました。止めときましょう」


希美は自己保身に走ったが、宮中でもえろ教徒の活動が好意的に取られているのは、好都合である。

これは、最大限に活用するしかない。


「なあ、助さん。また近いうちに公家達と茶会があるか?」

「お公家様もお武家様も、それはたくさん御座いますなあ」

「ならば、今から話す事を茶請けに持っていくがよい。……実はな、近々上杉と戦になる」

助五郎がその細目を見開いた。

「なんで、また……では、権さんの戦というのは」

希美は頷いた。

「そうだ。上杉と、というわけよ。いや、私は戦などしたくない。だが、向こうが突然なあ」

「何があったので?」

助五郎がにじり寄った。

希美はわざとらしく、ため息を吐いた。

「戦を無くすために各地に農法を授けておる我がえろの使徒が、突然越後で殺され、上杉から首が送りつけられて来たのよ」

「な、なんと、惨い事を!」

助五郎は眉を潜めた。

「別段悪い事をするでも無し。越後の地を豊かにしようと善意で行っている者達にあまりにも酷い仕打ち。このまま捨て置けば、他の使徒も同じ目に合わされるやもしれぬで、その宣戦布告を受ける事にした」

「なるほど」

「なあ、私は間違っておるかなあ?」

意気消沈して見せる希美に、助五郎はにやりと笑った。

「そのような目に合わされて、権さんが思わずムキムキで仁王立ちになり、怒髪天をついてボコボコにやり返すのは当然の事。非難されるべきは、上杉!……と皆に広めればよろしいのですな?」

「なんだか、いやに具体的だな」

「いえいえ、昔から物語にはよくある描写ですよ。ほら、『源氏物語』でもあったでしょ。柏木に女三宮を寝取られた光源氏が、怒りのままにムキムキになり、烏帽子を逆立てながら柏木の精神をボコボコに追い詰めて、最終的に鬱にさせて殺してしまうという……」

「ええ……源氏物語ってそういう話?光源氏って、マッチョ設定あったっけ?」

希美は源氏物語を思い返した。



話が逸れた。

「と、とにかく、そんな感じで広めて欲しい」

「わかりました」

希美は情報戦を仕掛けるようだ。

助五郎は妙にやる気である。

「私も、えろ教徒の端くれとして、えろの神である権さんのために頑張りますよ!」

希美は目を丸くして助五郎を見た。

「ちょっと待て!お主、いつの間にえろ教徒に?」

助五郎が悪びれもせず言う。

「いやあ、例の農法の事でえろ教徒だって言うと、評判が良くて。ほら、以前坊主向けえろ教体験説明会に参加した本願寺の坊官、下間頼宗殿とは前から親しくさせていただいておりましてな。えろ教の手解きや着衣人形も用意してくださり……ほら!」


助五郎の手には、確かに着衣人形があった。

「いざえろ道を志してみると、なかなか良いものですなあ。どうも、真宗の中でもえろ教徒が増えているそうですよ?」

助五郎の言葉に、希美は戸惑うしかない。

(いいのかなあ。今度は一向宗から悪鬼呼ばわりされないかなあ)


「そういえば、権さんは着衣人形をお持ちで?」

「私には必要ないんだが、知り人が彫ってくれてな。これよ」

希美は、以前会露太郎が作ってくれた、人妻着衣人形『お艶』改バージョンを見せた。



助五郎が止まった。


「お、おい?助五郎?」

希美が助五郎の顔の前で手を振ってみるが、助五郎は目を見開いて人形をじっと見たまま、微動だにしない。


が、しばらくして、呟いた。


「惚れた……」


「え?」

「惚れてしまいました……この人形、お譲り下さい!」

「はあ?いや、惚れた?『お艶』人形に?」

「お艶さんというのか……素敵な名だ」

「いやいや、人形だよ?嘘でしょ!」

「お義父上様!お艶さんを是非私に下さい!今の妻は里に帰して、きちんと正妻に……」

「あ、阿呆んだらあ!!今の奥さん大事にできない奴に、お艶はやれるかあ!」

「ならば、妻も大事にしますから、どうか、どうか!!あ、私の曜変天目茶碗と引き換えに!お艶さんには、それだけの価値があります!!」

「こ、国宝の立場あ!!?」



結局、『お艶』は希美の元から助五郎に嫁に出され、希美の手元には結納金代わりの『曜変天目茶碗』が残った。

助五郎はお艶を片時も離さず、度々話しかけたので、堺ではその特別な着衣人形が有名になり、会露太郎作の人形を求める通な人が増加した。

当然、希美は会露太郎との仲介役として、中間マージンを儲けた。


その後、茶室に会露太郎の人形を置くのがブームとなり、会露太郎は、着衣人形界の名工として名を高めたという。





 


『会露太郎作 着衣人形お艶』 Wikipediaより


∨逸話

柴田勝家の所有する着衣人形『お艶』に一目惚れした津田宗及(天王寺屋助五郎)は、自身の持つ曜変天目茶碗と引き換えにして、手に入れたという。


助五郎の奥さんは無茶苦茶怒っているでしょうね。

奥さん、ごめんなさい。

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