孔明と孔明
一九条城の廊下にて、希美は柱に手をつき俯いて、反省ポーズで固まっていた。
(なんだ、この意味不明な奇跡……)
向かって突き当たりを右に進むか、左に進むか。
希美は目下、これを検討せねばならぬ。
竹中半兵衛 ←←← 希美 →→→ 武田信玄
つまりは、このニ択である。
半兵衛と信玄、ほぼ同時に十九条城にやって来たので、どちらから面会するか迷っているのだ。
本来ならば信玄から会うべきだろうが、なんせ敵将だ。しかも絶対に海千山千。会うには勇気がいる。
(ど・れ・に・し・よ・う・か・な・え・ろ・の・か・み・さ・ま・の・い・う・と・お・り)
「おっし!竹中半兵衛な!」
えろの神様とは、自分だろう。
希美は謎の呪文を唱えて、まずは竹中半兵衛から面会する事に決めた。
「菩提山城城主、竹中半兵衛重治に御座る」
「この十九条城を預かる柴田権六勝家だ」
(このもみあげっ!稲葉山城で見た、もみあげ少年!!竹中半兵衛だったのか……)
希美はがっかりした。会社でスーツ姿がかっこいい先輩が、私服で出会ったら上下ケミカルウォッシュのジーンズに指先が露出した皮手袋だった時くらい、がっかりした。
だが、有名な知将には違いない。
希美はにこやかに言った。
「竹中半兵衛殿のような方にお目にかかれて光栄に存ずる。一度お会いしたいと思っていたのだ」
半兵衛は驚いた。
「某のような若輩者に過分なお言葉。某こそ、今孔明の如き柴田様にお会いでき、光栄の極み」
今度は希美が驚く。
「今孔明?!それは竹中殿の事でしょう」
「某がですか?!確かに『神童』だの『天才』だのと言われた事はありますが、今孔明などと言われるほどの事はしておりませぬが……」
「いや、だって稲葉山城乗っ取りで……」
「稲葉山城どころか美濃を乗っ取ったのは、柴田様でしょうに」
「あ、そうか……!」
(斎藤龍興が私の弟子になったせいで、美濃を放棄した挙げ句、稲葉山城は信長の居城に……竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りの歴史が消えた!)
しかも、実質乗っ取ったのは希美である。
「それで、『今孔明』の称号がこっちにスライド……うわあ、ごめん、竹中半兵衛……」
完全に『今孔明』を横取りである。
知将としてはこの上無い称号だが、『こういう事じゃない』感が酷い。
半兵衛は不思議そうに希美を見た。
「何故謝るのです?『今孔明』と呼ばれるべきは柴田様をおいて他にいますまい。柴田様はえろ教をうまく利用しておりますから、他の智者と区別するのに、『えろ孔明』とでも称しましょうか」
流石、元祖『今孔明』の竹中半兵衛である。一瞬で、希美を知将から恥将に叩き落とした。
(『えろ孔明』は酷い。何が酷いって、私だけでなく、知将オブ知将の諸葛亮孔明までとばっちりで大怪我してるから!)
孔明まで恥将になってしまうので、希美は半兵衛に『えろ孔明』の封印を求めたが、どこからかこの話が漏れたのか、後に『えろ孔明』の称号は定着してしまうのである。
話がそれた。
半兵衛は当初の目的を果たそうと話を切り出した。
「柴田様、お願いが有り申す。どうか、某を柴田様の麾下に加えていただきたいのです」
「いいよ。採用!」
「は?」
思わず、ポカンと口を開けた半兵衛は、すぐに気持ちを立て直して希美に確認した。
「某を麾下に加えて下さると?」
「そうだな。助かるー!うちは仕事が多いから、能力のある管理職が来てくれると助かるんだ。たまに出張あるけど、いい?」
「管理職……管理する役という事ですか?」
「そうだ。うちは能力があれば、それなりに優遇するから。元々うちの家老は草履取りだったし、今家老格でうちの商い関係を任せてる奴は、元々農民出身だしな」
半兵衛は目を白黒させている。
「あ、あの、某はえろ教徒ではないのですが、よろしいのでしょうか……」
半兵衛の言葉に、希美は意外そうな顔をした。
「仕事に宗教関係ないでしょ。あ、もししつこいえろの勧誘があったら言ってな!私は、そういうの大嫌いなんだ」
「しかし、えろ教を広めるのに、布教なさったのでは?」
「私は、全くしてないな。久五郎も、えろ道の良さを語っただけなどと言っておったが。気がつけば増えていた。良ければ勝手に増え、増えればつられてさらに増える。人の心理だな」
「なるほど……!それを利用するために、えろ教の内容を万人が受け入れ易いものに……」
半兵衛は勝手に感心している。
着衣エロが万人に受け入れられるかはさておき、希美は面倒になり、否定はしなかった。
そして半兵衛は、希美に向き直って平伏した。
「改めてお願い致す!某を弟子にして下され!柴田様の知略を学びたいので御座る!」
こうして恥将街道ばく進中の希美は、本物の知将に知略を教える羽目になったのだった。
とりあえず、希美は師として始めの導きを行う事にした。
「なあ、竹……いや、半兵衛。そのもみあげだがな」
「剃りませぬぞ」
希美の導きは拒否された。
何故そんなに頑なにもみあげを死守するのか。
天才はよくわからない。
希美がうちひしがれながらも、(そろそろ信玄の方に……)と考えていた時である。
にわかに部屋の外が騒がしくなり、希美は何事かと腰を浮かせた。
バンッ
勢いよく襖を開け、足を少し引き摺りながら、のしのしと入って来た四十絡みで少し細身の坊主は、驚く半兵衛の隣にどっかりと座った。
「どこの御坊か知らぬが、無礼であろう!」
声を荒げる半兵衛に、坊主は笑って言った。
「すまん、すまん!待ちきれなくての、こちらから出向いた!」
希美は眉根を寄せて坊主を見た。
(まさか、こいつ……)
「それにしても、わしを待たせて、どいつと会っておるのかと思うたら、こんな小僧とはのう!」
半兵衛はむっとしている。
「おい!十代の若者はキレやすいんだ。半兵衛は頭がいいから、親父狩りも計画的だぞ!躑躅ヶ崎館を乗っ取られても知らんからな」
希美は忠告した。
「この小僧がわしを出し抜くかよ」
くつくつと笑う男。
武田徳栄軒信玄であった。




