再会は未だ闇の中
今回、珍しくちょっとシリアスめです。
朝起きると、そこには誰もいなかった―――。
「夢か……。とんでもない悪夢だった。すげー怖かった。発狂するかと思った……」
希美は寝転がったまま、虚ろな目で天井を見つめた。
ちょうど真上に当たる天井には、伊賀忍者が穿ったのだろう穴がぽかりと開いている。
まだ夜が明けたばかりで、部屋は上り始めた朝日に薄ぼんやりと照らされ、対照的に天井の穴はどこまでも漆黒で、まるで果て無き深淵の底を覗き込んでいるようだ。
なんとなく、その中に恐ろしいものが潜んでいるような気がして、希美はついと穴から目を逸らす。そうして、怯えを誤魔化すように悪態を吐いた。
「イクラちゃんめ……、いや、ももちんか?天井に穴開ける奴は、絶対伊賀忍者だろ。石山寺の人に怒られるじゃんか。後で伊賀忍者達に修繕させよう」
伊賀忍者の頭領である藤林長門守や百地正永には、天井穴開けの前科があるのだ。
希美は彼らのオシャレ忍者服姿を想像して恐怖心を取り払い、ようやく体を起こした。
パラリ、パラリ……。
「ん?」
起き上がった瞬間、希美の体の上から何かが落ちた。
見ると、白い欠片のようなものが希美の腹や太ももの上に散らばっている。
先ほど落ちたもののようだ。
希美は、それをつまみ上げた。
「これは……なんだ、蝋か。…………蝋!!」
希美は、弾かれたように下を見た。
はだけた胸元。
煤けた乳首。
乳首まわりに白くこびりついたカピカピの蝋。
そして同じように白くこびりついたカピカピの……。
ぽとり。
希美の手の甲に、白いものが一滴落ちてきた。
「ギィヤアアアアアアア!!!!」
この時の柴田勝家の絶叫は山の珪灰石を大いに揺るがした、と石山寺には後世まで伝わっている。
その後、すわ敵襲かと集まってきた家中の者達や寺の坊主達を騒がせた希美は、そそくさと石山寺を後にした。
もちろん希美は供についてきている忍者達を全員確認した。しかし、丹羽長秀は紛れてはいなかった。
しかし奴の事である。どこで紛れて見ているかわかったものではない。
希美は京までの道中、神経をすり減らした。結果、丹羽長秀はそれ以降現れなかったのだが、本能寺にたどり着いた頃には、希美はすっかり憔悴しきっていたのである。
「権六、来たか」
「殿……」
そんな希美を待っていたのは、鋭い眼でこちらを見る信長だ。
希美は警戒の気持ちが抜けきらぬ気持ちであった。しかし、ようやく目的地にたどり着いた安堵と会いたかった信長に再会できた喜び、ちゃんと仲直りできるかの不安を滲ませた表情を浮かべて、信長を見返した。
これが、希美の血走った眼と相まって、複雑怪奇な凄まじい顔となってしまっている。
(なんという奇妙で怪しさ極まる顔よ。こやつ、顕如とわしを手玉に取っておるから、今回の会合はよほど後ろめたいのだな。この裏切り者め!)
信長は、眼光をさらに鋭くした。だが、ここで感情を露にして、今こちらの不信を悟られては、顕如との会合に希美を参加させる事が叶わぬかもしれない。
希美の目の前で顕如を殺す。もしくは、希美に顕如を殺させる。
二心を持った希美への制裁に、信長は執着していた。
故に、怒鳴り散らし鞭でしばき上げたい心を圧し殺す。
そうして、なんでもない様子で希美に声をかける。
「そういえば、五郎佐(丹羽長秀)はどうした。あやつには、(権六が変なことに巻き込まれぬよう、真っ直ぐ京に連れてこいと)近江に入ったらお前を迎えに行くよう命じておったのじゃが」
「あの恐怖は、殿の仕業!!」
それを聞いた希美は、自然信長に対する視線が険しくなる。
信長が、巻き込まれ突っ走り体質の希美が、なかなか京に着けない事態になる事を危惧して、丹羽長秀を遣わしたようだ。
その意味で、丹羽長秀は命じられた仕事を果たした。ついでに己れの欲望も。
おかげで長秀を恐れた希美は、脇目もふらず、真っ直ぐ京を目指したのだから。
だが、希美からしたら、あの恐怖をもたらした元凶が信長であるという事実は、どうしても信長を見る瞳に、剣呑な色を滲ませざるを得ない。
「なんじゃ、その目は」
「……いえ。今後私にその気遣いは無用に御座る」
「なんじゃと……。わしの気遣いを要らぬと申すか!」
「気遣いはともかく、丹羽長秀は迷惑至極に御座る!」
「迷惑じゃと!?」
互いに苛ついている状態だ。どうしても言葉にそれが表れてしまう。
希美と信長の再会は、仲直りとは程遠いものになりつつあった。
「殿、いい加減に為されませ。今は顕如との会合に集中すべき時に御座ろう」
柴田勝家のパイセン家老林秀貞が、これ以上のヒートアップを止める。
信長と希美は、それぞれの目的を思い出して、口を閉じた。
信長は裏切った希美への仕置きを、希美は信長との仲直りのために、再会を望んだのだ。
「……」
「……」
とはいえ、呑み込めぬ不満を消せもせず、二人は口を閉じたまま黙りこくった。
そんな主従を、林秀貞はため息を吐いて眺める。
そんな膠着した空気を打開したのは、部屋の外からの声であった。
「殿、五郎佐に御座る」
「五郎佐か。何をしておった。早く入れ」
「は」
希美の肩が強張った。冷や汗が止まらない。希美の瞳孔が開く。
その後ろで、丹羽長秀がするりと戸を開け、入ってきた。
「申し訳ありませぬ。無事柴田様を京入りさせられ申したので、自分への褒美に今宵は思う存分『乳首焦がし』を作ろうと、京で一番太い蝋燭を求めておりました」
「蝋燭?乳首焦がしは、ふりもみ焦がしと同じような作り方であろう。ふりもみ焦がしを蝋燭で作るのか?わしも何度か作ったが、いくら太い蝋燭といっても無理があろう」
丹羽長秀は、するすると部屋の中を進み、硬直する希美の隣にぴたりと座して答えた。
「いえいえ、殿。ちろちろ炙るには蝋燭が良いのです。いや、実は柴田様の開発した『乳首焦がし』に触発されましてね。ただ某は長細くて小さな『乳首焦がし』だけでは満足できませぬ故、もっと太長くて大きなものを頬張りたいので御座るよ。それを真っ黒に炙る。あはは。いやあ、美味しそうだ」
「なるほど、太長い大きなふりもみ焦がしか。確かに大きな蝋燭が必要だのう」
「ええ。それを某は『ち◯焦がし』と名付けて、毎夜堪能したいと思っておるのです。おや?どうしました、柴田様。そのように真っ青になって。それにずいぶん震えておいでだ」
光無き眼でカタカタと振動する希美に、長秀は黒目を向けた。
「風邪でも召されましたかな?これはいけない。今宵は柴田様に、某が『乳首焦がし』と『ち◯焦がし』を振る舞いましょう!きっと元気になりましょうぞぉ?」
長秀は懐から大きな蝋燭を取り出し、希美に見せるように蝋燭を握ったままの手を動かして、その表面を優しく撫でた。
「ねぇ?」
希美は逃げた。
走って逃げた。
部屋の戸をぶち破って。
「権六……やはり、わしの前から逃げるかよ」
信長は、無惨に破壊された入り口を睨み、そう呟いた。
信長の目の中に、昏い炎がちろちろと燃えていた。




