救いのえろ
たまには別視点で……。そして、シリアス回!
ああ、我らはまるで『平家』のようではないか。
体の奥が激しく痛み、体に力が入らない。
全身に脂汗が滲む。
織田上総介信長と柴田権六勝家が部屋から出たのを見届け、客人に弱った姿は見せられぬと耐えに耐えてきた三好義興は、「ぐうっ」と呻いて蹲った。
父の三好長慶と叔父の安宅冬康が、義興の身体を支えながら、寝所へと義興を運ぶ指示を出す。
医師の曲直瀬道三は、素早く脈をとり、痛みを和らげるための灸を弟子に準備させている。
松永久秀と三好宗渭は、今回騒動を起こした三好長逸を拘束したまま、どこかへ連れていった。
そんな周囲の状況など、苦しみ喘ぐ義興には知覚できない。
だが、こんな時に意識を失うわけにはいかないと、義興は気力で弱りきった己れの体に抗っていた。
「苦しいよのう……。眠れるなら、眠るのじゃ。お前は、よう頑張った。後は、わしがなんとかするでな……」
父親が義興の背を擦りながら、労りの言葉をかける。
だが、義興は歯を食い縛りながら、首を横に振った。
「ば、馬鹿を申されますな……!三好の当主は私、です」
「だが、孫次郎!」
「早急に……っ、重臣達を集めなければ……。三好家を、平家の……、二の舞、には……」
「孫次郎!」
暗転していく意識の中で、義興は自分が死んだ後の三好家を思う。
父長慶は優しすぎる男だ。特に病を得てから、気弱になられた。
次代の当主を育て支えるために、父の力が必要だ。
しかし、息子と跡継ぎを失う事に、弱った父の精神は耐えられるだろうか……。
かつての平家のように傲った三好家一門の、野心と暴走を抑え導く事が、はたして自分亡き後の長慶に可能なのか。
かつての義興も、傲っていた。天下の三好が、神を騙る田舎武将を踏み潰してやろうと、柴田権六とその主である織田上総介に戦を仕掛けた。
その結果が、これだ。
道半ばで死ぬのは、この上なく無念だ。だが、こうなって、初めて三好家の本当の『幸い』が何か、考える事が出来た気がする。
それを思う時に浮かぶのは、昨今の父長慶が見せる姿だ。
柴田権六の正装(全裸鎖)について、熱く語る長慶。
裸に鎖を纏い、「どうかのう?似合うかの?」とはにかむ長慶。
鎖だけでなく、柴田権六考案の『武将紅』にもはまり、「気持ちが明るくなるぞ」と勝手に唇に塗りつけてくる長慶。
確かに、紅をつけた自分の顔を鏡で見た時のあのトキメキは、荒んだ心を浮き立たせたが……。
そう。
このままでは平家と同じように滅びかねない三好家を救うとしたら、それは―――。
えろ…………
そこで、義興は意識を手放した。
*****
一方、京の都にある御所の中庭では、足利義輝が一心に太刀を振っていた。
滝のような汗をものともせず、ただ斬る。斬る。
その太刀筋は、速く鋭い。
それを見守る近習達は、感嘆の息を漏らした。
しかし、義輝本人はその技の出来に納得がいかぬのか、据えられた巻き藁を怒り任せに一刀両断した。
「なんぞ、所念がおありで御座ろうか、公方様」
傍で見ていた兵法指南役の吉岡直光が、義輝に声をかけた。
義輝は、見透かされた事に「ぐ……」と呻き、太刀を鞘に納めると小姓に突き出すように手渡した。
別の小姓が手拭いを差し出す。
それを受け取り、濡れた体を拭きながら、義輝は答えた。
「あるといえば、ある」
三好筑前守義興が死にかけているという。
あの一族には、何度も煮え湯を飲まされてきた。
武家の棟梁は将軍職を受け継ぐ足利家である。
しかし将軍であるはずの義輝は、三好長慶等によって京を追われ、ようやく京に戻れたものの、足利将軍家は有名無実化された。
そんな足利家を押さえつける形で、三好一族が権勢を高める。
義輝にとって、『三好』とは、目の上のたんこぶであった。
だが、長慶の息子である義興との関係は悪くはなかった。
むしろ、義興は何かと義輝に心を尽くしてくれる気持ちの良い男だった。
長慶が死ぬならともかく、息子が死ぬのか。
……いや、あれの死は三好家の力を削ぐ。もしかしたら、将軍復権の好機に繋がるやもしれぬ。
義輝の気持ちは複雑だった。
義輝は思い出す。
足利家将軍職を継いだ時、喜びよりもその歴史と重責に押し潰されそうだった。そしてその重みは、年々増していく。
足利代々の先人達が、「足利将軍家の権威を回復せよ」と背後で己れを睨んでいるのだ。
そんな圧力を振り払うように、義輝は元々好きだった剣の道に、益々のめり込んだ。刀を振るっている時は、全てから解き放たれて、一介の剣士になれるから。
いや、それは嘘だ。
義輝は、将軍である事を忘れてはならぬし、忘れはしない。
かつて剣の師の塚原卜伝が自分に言った言葉を思い出した。
『惜しい事よ。あなた様が将軍でさえなければ……』
「のう、吉岡」
「何で御座いましょう」
直光は、義輝の顔に、苛立ちと鬱屈をない交ぜにしたような表情を見た。
義輝は、ポツリと呟いた。
「わしは、何者になりたいのだろうの……」
目を見開いた直光の返答を待たず、義輝は庭を出て濡れ縁に立つ。
その時であった。
やって来た近習が、織田上総介からの使者の来訪を告げたのは。
「織田上総介……。あの柴田権六の主か。何やら面白き事があるのかのう」
義輝は、使者に会うべく、汗に濡れた衣服を着替えようとその準備を小姓に申し付けた。
身支度を整えた義輝は、広間で使者と対面していた。
使者は、明智十兵衛光秀。既に面識のある男だ。
「織田上総介が京へのう……」
「は。是非に、公方様へお目通りを、と」
「うむ。構わぬぞ。織田といえば、あの柴田はどうしておる?何やら堺で祭を行ったという噂を耳にしたのじゃが」
十兵衛は、頷いた。
「柴田権六ならば、主の織田上総介と共にこちらへ参りまする。叶いますならば、柴田も共にお目通り願えれば」
「おお、あの面白き男もか!よいぞ、よいぞ。楽しみじゃ!」
「有り難き幸せ。然れば、主が堺で求めました品々を献上致したく。どうぞ、お納め下さいませ」
義輝はそれを聞くと、喜んで小姓に申し付けた。
「ほう、堺で!それは、面白そうじゃ。……菊丸、堺よりの献上品を見たい。ここに全て持って参れ!」
「ははっ」
小姓達によって、すぐに広間に献上品が並べられた。
義輝は、光秀にあれこれ聞きながら、堺商人一押しの茶碗や、南蛮渡来のガラス製品などを見て楽しんだ。
そんな義輝の目が、妙なものを捉えた。
義輝の室達への服飾品の中に、『猫耳』にしか見えぬものがあったのである。
「のう、この簪は、猫の耳に見えるが……」
『猫耳』簪を取ってしげしげと眺める義輝の問いに、光秀は答えた。
「は。『猫耳』に御座る。今堺で流行っている髪飾りに御座る。お手の物は簪で御座るが、こちらの『猫耳』は『かちゅうしゃ』となっていて、月代の男もつけられるようになっておりまする」
「……男もつけるのか?」
「は。堺では、男もつけておりまする。我が織田家筆頭家老も、『猫耳』をつける事を好んでおりますな」
「なに?筆頭家老もか?」
「つけてみられますか?」
義輝は、じっと『猫耳』を見た。
「……つけてみたい」
「然れば、烏帽子をお取りになり、御頭をこちらへ……。はい、出来申したぞ!」
「菊丸、鏡をこれへ!」
小姓の菊丸が持ってきた鏡を覗き込む。
義輝は、鏡に映る猫耳の生えた己れの姿を、見つめた。
「ようやく、わかったわ……」
義輝の呟きを聞き、光秀が尋ねた。
「何がわかったので御座りまするか?」
義輝は、どこか憑き物のとれたような、そんなあどけない表情で笑む鏡の中の己れに向かい、答えを返した。
「わしは、『猫』になりたかったのじゃな……」
光秀は、『猫耳』とセットになっている腰飾りの『猫尻尾』を、そっと義輝に差し出した。
*****
さて、場面は芥川山城に戻る。
信長等に与えられた一室では、信長と希美が部屋で待機していた林秀貞や上杉輝虎、今しがた戻ってきた滝川一益等と共に、京へ向かう準備を進めていた。
その時突然、滝川一益が何やらムズムズと体を動かし始めた。
そんな一益に、希美は訝しげに声をかけた。
「何、その『ふしぎなおどり』?MPでも減らそうとしてんの?」
「ぬぅおおおお!!なんで、そうなるんだああああ!!!!」
一益は、希美に渾身の右ストレートをかました。
希美に特にダメージは無いが、急なバイオレンスに驚き、当然抗議した。
「何すんの!?」
一益は、憮然とした表情で希美を見た。
「何故かわからんが、お前のせいで、誰かがとんでもない結論に至ったような気がしてな……。俺の中のツッコミ心が暴れ出した所へ、能天気なお前の顔を見ていたら、たまらず全力でぶん殴っていた」
「意味不明!!?」
そんな二人へ秀貞が一喝する。
「おい、遊んでおらんで、手を動かさんか!」
「「さーせんっ!」」
希美と一益は、秀貞の頭に乗せられた猫耳(本体)に向かって、元気に返答を返した。
えろは戦国の哀しみを救うのか?
それは、誰にもわからなかった。




